修正表
原本 修正
九頁三行目 依ると → 拠ると
一一頁八行目 皇太后を暗殺し、出撃して司馬昭を捕らえようとして
↓
皇太后の暗殺と司馬昭の逮捕を目的として
一一頁九行目 引用されていることも → 引用されており、
一六頁一行目 なのである → である
一六頁二行目 ならない → ならないということなのである
一七頁七行目 フシがある → フシがあるのだ
二五頁五行目 丸写した → 丸写しした
二五頁九行目 (時と場合〜) → (削除)
二五頁一〇行目 裴松之が → 「随文改称」とは、『三国志』注の場合、裴松之が
二五頁一〇行目 『三国志』注に → (削除)
二五頁一一行目 改称した、というのである
→ 改称したことをいう
二六頁三行目 材料とならない。 → 材料にはならない。
二七頁五行目 だから → それ故
二九頁五行目 内容となっている。 → 内容となっており、
三七頁一四行目 漢魏以降流行した → 権力を持っていた
三八頁八行目 しかも、〜 → (改行せず前の行に続ける)
五三頁一九行目 並びて → 並びに
六一頁一一行目 三つ巴バトル → 三つ巴バトル?
六一頁一五行目 必要である。 → 必要であり、
六四頁一四行目 いわれている。 → いわれており、
七二頁六行目 ちなみに、 → ところで、
七二頁一三行目 ちなみに、 → その上で、
七八頁一行目 ちなみに、 → さらには、
八六頁二行目 勝ったのである。 → 勝っている。
九四頁一一行目 ちなみに董卓小銭 → この「董卓小銭」
一〇四頁一三行目 劉表 → 一九〇年に荊州刺史となっていた劉表
一〇四頁一五行目 ちなみに、この年 → 一九一年
一〇八頁一〇行目 なっていたのである → なっていた
一一〇頁四行目 小説には出てこない →
『三国志演義』や吉川英治『三国志』には出てこない(陳舜臣『秘本三国志』では指摘あり)
一二〇頁一五行目 見られる → 見られる。
一三二頁一一行目 像の重さ → 象の重さ
一四四頁九行目 のことかと思われるが → のことと考えられるが
一四六頁五行目 ちなみに → さらに、
一四七頁一五行目 なども同意見 → も同様の意見
一五五頁五行目 合肥に → 合肥を
一七一頁一一行目 ちなみに → ところで
一九〇頁一一行目 遺書 → 医者
一九五頁一一行目 ちなみに、夏侯惇は史料では
→ 夏侯惇といえば、史料中では
二一五頁九行目 録尚書事となっており → 録尚書事・仮節となり
二二三頁一一行目 西南 → 西南
二二九頁六行目 蜀漢も孫呉も沔水の上流・下流から司馬懿をけん制した
↓
蜀漢も孫呉も、沔水の上流・下流から司馬懿を牽制した
二三七頁六行目 最短距離の子午道とで → 最短ルートの子午道で
二三七頁一四行目 つまり、魏延が示したルートは、
→ その中でも魏延が示したルートは
二三八頁七行目 このようなこと → 以上のこと
二四九頁八行目 つまり、 → それ故、
二五一頁一〇行目 ちなみに、この「孟琰」は西南夷と思われる
↓
『華陽国志』南中志によれば西南夷であろう
二六六頁九行目 大将軍 → 大将軍
二七一頁三行目 ポイントなる → ポイントとなる
二七六頁一行目 一日、元旦に → 一日という日に
二八九頁三行目 断って → 絶って
三〇五頁八行目 ちなみに、この時 → なお、この時、
三〇八頁一一行目 下線部 → 傍線部
三〇九頁一一行目 なっが、孫綝は孫休に不満を持ち、
→ なったが、孫綝は孫休に不満を持ち
三三八頁 表 二四四年 → 二四六年