夏目漱石論
- 今日の地位に至れる徑路
- 政略と云ふやうなものがあるかどうだか知らない。漱石君が今の地位は、彼の地位としては、低きに過ぎても高きに過ぎないことは明白である。然れば今の地位に漱石君がすわるには、何の政策を弄するにも及ばなかつたと信ずる。
- 社交上の漱石
- 二度ばかり逢つたばかりであるが、立派な紳士であると思ふ。
- 門下生に對する態度
- 門下生と云ふやうな人物で僕の知て居るのは、森田草平君一人である。師弟の間は情誼が極めて深厚であると思ふ。物集氏とかの二女史はどんな人か知らない。随つて何とも云はれない。
- 貨殖に汲々たりとは眞乎
- 漱石君の家を訪問したこともなく、又それに就いて人の話を聞いたこともない。貨殖なんと云つた處で、餘り金持ちになつてゐさうには思はれない。
- 家庭の主人としての漱石
- 前條の通りの次第だから、其家庭をも知らない。
- 黨派的野心ありや
- 黨派と云ふ程のものがあるかどうだか知らない。前に云つた草平君の間柄丈なら、黨派などと大袈裟に云ふべきではあるまい。
- 朝日新聞に據れる態度
- 朝日新聞の文藝欄にはいかにも一種の決まつた調子がある。其調子は黨派的態度とも言へば言はれやう。スバルや三田文學がそろそろ退治られさうな模樣である。併しそれは此の新聞には限らない。生存競爭が生物學上の自然の現象なら、これも自然の現象であらう。
- 創作家としての伎倆
- 少し讀んだばかりである。併し立派な伎倆だと認める。
- 創作に現はれたる人間觀
- もつと澤山讀まなくては判斷がしにくい。
- その長所と短所
- 今迄讀んだところでは長所が澤山目に附いて、短所と云ふ程のものは目に附かない。
- 底本
- 『筑摩全集 類聚森鷗外全集 第7卷』(昭和46年8月5日初版第1刷・筑摩書房)
- 作成
- 平成18年5月5日