1ページ目 私の身に流れる放浪の血は風を呼び、私たちはその風 に魂を任せます。私の名前は風のように自由な魂、「ドラ ゴン」と言います。 狭いテントの中は、どこからか漏れる光が 舞うほこりを照らし出し 熱をはらんだ空気とたき染められた香の甘い匂いに満ち て ひそやかな光を受けて鈍く光る水晶を見つめる 占い師の言葉はまるで遠くから聞こえてくるようだった。 「島・・・・枯れないバラ・・・ 傷ついた魂に光が下る所・・・ 血の呼びかけ・・・放浪者の群れに帰る・・・」 ドラゴンは、まるで記憶に刻み付けるように何度も重ねて 言った。 2ページ目 風に誘われるまま、自分の血を辿る旅は、 彼をはるか遠い異国の地へと案内した。 一ヶ月前に占ってもらった占い師の言葉に導かれるまま 訪れたその場所に立ち尽くしていた。 「占いに出ていた場所はここを称しているようだが・・・。 強い流れの川に浮かぶ島、バラの窓、魂を救う聖堂・・・ しかし、なぜここに?」 ドラゴンは聖堂の正門が眺められる広場に立って考え込 んでいると、不意に誰かに腕を引っ張られる感覚がして 驚いて振り向いた。 「この花をどうぞ。摘み立てのバラです。」 振り向いた先には、花の入ったかごを手に持った少女が 立っていた。 かごにあるバラはどこかで密かに折ってきたのか、大き さも長さもみんなバラバラだった。 3ページ目 素手で急いで折ってきたのか少女の手はトゲで怪我して 、 まだ乾ききっていないバラよりもっと赤い血が少女の肌を 染めていた。 差し出されたバラはすでに枯れて、歩き辛そうな靴をは いてバラを売るために広場を数十回は回ったのか、少女 はくたびれたように見えた。 そんな少女の姿がドラゴンの胸の中に染み込んできて 心が痛んだ。 しかし、少女の無邪気に輝く大きくて真っ黒な瞳を見てい ると不思議なことに彼女とは初めて会った気がしなかっ た。 ドラゴンは少女から一輪のバラを受け取ると、少女の傷 だらけの手に代金を渡した。 「ありがとうございます!これでやっとお母さんの薬を買 うことができるようになりました。本当にありがとうござい ます。」 4ページ目 少女は広場の向こうへと走り去っていき、ドラゴンは不思 議な懐かしさから遠ざかる少女の後姿から目をはなすこ とができなかった。 「おぬしもあの少女のように何ものにも捕らわれない自由 な魂を持っているるようだな。」 不意にかけられた声の主をつきとめようと、ドラゴンは辺 りをを見回した。 しかし、観光客や学生たちとすれ違うだけで、声の主を見 つけることはできなかった。 人々の流れが途切れたとき、ドラゴンに背を向けるように 立ち絵を描いている一人の老人の姿が見えた。 老人は黙々と絵筆を走らせていた。 その絵を一目見ようと老人のそばに近付いき彼のキャン バスをのぞきこむと、キャンバスには美しい女性の踊っ ている姿が描かれていた。 決して派手ではないが女性の内面から溢れる美しさと、 軽やかで優雅な身のこなしに彼女の息づかいまで聞こ 5ページ目 えてきそうな、生き生きとした姿がそこにあった。 花売りの少女にも感じた不思議な懐かしさを感じて、ドラ ゴンは絵から視線を逸らして広場を眺めた。 そして、絵の中の彼女を捜していた。そんなドラゴンの気 持ちを読み取ったのか老人が先に声をかけた。 「その女性はいないんだ。」 「では想像の中の女性なんですか?」 老人は一度もキャンバスから目を離さずに続けて話した 。 「美しい女性だった。彼女は絵の中に見えるそのままだ った。不思議な魅力に溢れ、この広場に集まる多くの人 々の心を捕らえた。 この広場に来る人はみんな彼女のことを知っていた。聖 堂ではなく彼女を見に来る人さえいる程だったからな。 人々は彼女を『エスメラルダ』と呼んでいた。 彼女の本当の名前ではないが、誰も彼女の本当の名前 を知らず、物語に出てくる女性のように美しかったからそ 6ページ目 う呼んでいた。」 老人の話に耳を傾けて絵を見つめていると、絵に描かれ た女性の目が自分の魂に語りかけるのを感じた。 胸が熱くなり、その感情はのどまでつき上がるようだった 。 「それで、どうなったんですか?この女性は、もう広場で 踊っていないのですか?」 「もう二十年以上前の事だ・・・。広場へ来る人々はもう彼 女のことを忘れ、彼女はわしの記憶の中にだけ残ってい る存在になってしまった。しかし、わしの絵を見れば昔の 姿そのままの彼女に会える。」 「どうして今は会えないんですか?その女性は今はどう しているんですか?」 7ページ目 老人は何かを思い出したのか筆を止めた。 振り向いた老人とドラゴンは始めて目があった。 そして、椅子に座って長く一息を吐き出し長々と話を始め た。 人々は広場に集まって彼女を待っていた。 集まった人々は熱に浮かされたように、口々に芸術の神 に愛された踊り子の名前を呼んだ。 “エスメラルダ!踊ってくれよ!みんながあなたに会いた がっているんだよ。” 人々の熱気と、歓声は放浪者たちのテントを震わせんば かりに響きわたった。 “サラ、まだ無理だよ。” 放浪者の仲間が、踊りの準備をするサラに言った。 人々が「エスメラルダ」と呼んでいた彼女は、放浪者の間 では「サラ」と呼ばれていた。 放浪者たちの守護者になった聖女「サラ」のように彼女は 8ページ目 彼らの守護者だったからだ。 “いいえ、平気よ。この子のお父さんが戻ってくるまで・・・ この子のためにも、私たちのためにも、踊らなければな らないわ。” “あれが行った場所は、ここより遠い所だ。私たちはそれ よりも更に遠い所にきてしまった。もう、あれが戻ってくる ことはないだろう。待つことはお前と、この子をもっと苦し ませるだけだ。諦めることも肝心なんだよ。” 老婆がため息をついて、半ば自分に言い聞かせるように 言った “この子のお父さんは私たちを助けるために行ったのよ。 私たちのところに絶対帰ってきます。絶対に・・・。” サラは生まれて一ヶ月も経っていない赤ちゃんのほおに 唇をよせ、老婆に預けた。 今や広場は割れんばかりの歓声に包まれていた。 9ページ目 集まった人々は口を合わせてサラのことを呼び続けた。 サラは楽器を持った放浪者4人を従えて、踊るために人 々の前に立った。 演奏が始まり、広場の風を巻き込んだメロディーに身を 任せた彼女の振りは人々の目と心を一瞬で捕らえた。 音楽に合わせて踊っている彼女は"生"そのものだった。 喜びに溢れ、悲しいながらも熱情的で。 そこにいた人々の心を洗い流した 彼女の踊りは傷ついた魂をも癒すことができた。 しかし、興奮と幸福感に包まれた時間も、切り裂くような 悲鳴であっけなく終わった。 広場の向こうから、放浪者たちを快く思っていない青年 達が現われたのだ。 彼らは、サラと共に旅を続ける放浪者たちがこの地に定 着し、ここに住む民の数がますます増えることに不満を 持っていた。 10ページ目 彼らは放浪者たちを追い出すと高らかに宣言し、みんな を殺すような勢いで飛びかかった。 それは、放浪者の子供達も例外ではなかった。 凶器を振り回し、誰彼かまわず殴りかかり、抵抗しようと するものは強制的に連れて行った。 怒声、子供たちの泣き声が入り混じり、混沌とする広場に 一発の銃声が轟き、一瞬の静寂が訪れた。 彼らに強く対抗していた放浪者の一人が広場の石畳に 倒れふしていた。 石畳は、みるみるうちに赤く染まり、突然訪れた死に驚き 見開かれた瞳を閉じようとする者は最後まで現れなかっ 。 広場は恐ろしさに包まれ混乱に陷った。 放浪者たちと銃声に驚いた人々はあちこちにもつれて逃 げ出し始めた。 11ページ目 サラは老婆から赤ちゃんを渡してもらい胸に抱いたが、 広場の真ん中では赤ちゃんを安全に隠す方法がなかっ た。 彼女はちょうど広場を通って聖堂に向かっていく司祭服 装の男に赤ちゃんを聖堂に連れていってくれるように頼 んだ。 司祭は赤ちゃんを胸に隠して暴れまわる青年たちを避け て聖堂に消えた。 広場を襲った混乱と恐怖は、出動してきた警察が放浪者 たちの混乱を収めるために、広場から離れた一帯へと移 動り幕を下した。 調査はあったものの、定住していないという理由でそれ は形式的なもので終わった。 混乱が収まると寂寞感が何日か広場に漂った。広場を 襲った暴力についての話が広がり広場を尋ねてくる人々 はだんだん少なくなってきた。放浪者たちも姿を隠し、サ ラも騒動以降その姿を広場に現すことはなかった。 12ページ目 司祭は親を失った赤ちゃんのために毎日祈っていた。 この子に新しい親の縁を作ってくれることを、この子の真 の親がどこかに生きていることを。 生きているならばまた親と子が出会えるようにと祈った。 十日が経ちまた一ヶ月が経とうとしていた頃、東洋から来 た観光客の夫婦が聖堂を尋ねてきた。 そして彼らは司祭に祈りを頼んだ。 彼らは何一つ足りないものはなかったが、ただ一つだけ 、子供に恵まれなかった。 心から子供を望んでいる彼ら夫婦の願いを聞いた司祭 は神様から下さった緑の紐が赤ちゃんとこの夫婦を結び つけていると感じた。 司祭は赤ちゃんを彼らの夫婦に任せる事にした。 夫婦は涙で感謝の祈りをささげて赤ちゃんと一緒に立ち 去った。 13ページ目 「それで?それで終りでしょうか?」 ドラゴンの声は嗄れていた。 老人は何も答えず画材に入れる大きなかばんから白い 布で くるんだキャンバスを取り出した。 ずいぶん前から保管して持ち歩いていたようで白い布は 黄色く色褪せていた。 布をはずすと、そこには一点の絵が現れた。 “あの時、赤ちゃんを引き受けた夫婦はわしのところに来 て絵を描いてほしいと頼んだ。 赤ちゃんを抱いて幸せそうな自分たちの姿を絵にしてほ しいと。 ところが、頼まれた通りの絵が完成しても、代金は支払 ったが絵は持って行こうとしない。 わしは、夫婦にこの絵が気に入らないのかと訊ねた。 14ページ目 すると、夫婦はこの子の実の母親がこの広場に現われ る事があったら、その時にこの絵を彼女に渡してほしいと 言っていた。 自分たちが一生懸命育てて良い親になるから安心して 欲しいと。赤ちゃんに会いたければいつでも連絡してもら って構わないからと。 ところが、この絵は本来の持ち主である女性に会うことが できず、ずっとわしが保管しているんだ。” 老人はドラゴンに絵を見せてくれた。ドラゴンは目を疑っ た。 絵の中の夫婦は自分の両親だった。 “おぬしの姿からぼんやり踊っている女性の姿をかいま みることができた。 そしておぬしを包みこむ風からは、何にもとらわれない自 由な魂を感じることができた。 そう・・・この広場で多くの人々の心をつかんだ放浪する ことを定められた一族と同じものをな。 15ページ目 わしは五十年以上絵を描いているんだ。そして本質まで 見抜くことができる目を手に入れた。 わしの目に狂いがなければ、この絵は長い時を経てよう やく収まるところを見つけたんだ。違うかね?” 老人の質問に答えなくても絵の上に落ちた一滴の涙が それを答えてくれた違いない。 老人はドラゴンにサラの絵を手渡した。 不思議な懐かしさは、今は自分の中で確固たるものに変 わっていた。自分がどこから来て、何をすべきなのか--- ---。 16ページ目 それから、ドラゴンは放浪者たちを助ける活動をし始めた 。 自分と同じ同族の不幸を何もせずに見過ごすことができ なかったのもあるが、活動を続けていれば親の生死や便 りを少しでも耳にする機会が増えるのではないかという 期待もあった。 しかし、活動は、彼の力だけでは回りきらなかった。 現在の生活よりも良くはならず、数十人の放浪者たちの 一日一日を繋げるだけで精一杯だった。 その時、カバリア島とドン・カバリアの遺言についてのニ ュースを耳にした。 ドラゴンはこの島が長い間待ち望んでいた、彼の占いに 出ていた島であるということにすぐ気付いた。 ドラゴンは自分のまた新たな姿を予言する占いの中の島 に向かった。 その血が指し示し、魂の命じるままに。