流鳥物語〜ぼくの旅〜 一  暑くて、だるくてぼくは目をあけた。波の音がとっても近い。気がつけば、なんか体中が痛かった。  ここは何処だろう……?  太陽は、すぐには見つからなかった。それもその筈、照りつけるような日差しを注いでくる太陽は、頭の上の方にあったのだから。それはぼくが見慣れた太陽とはだいぶ違うものだった。ものすごく痛む体を何とか起こして、ぼくは周りを見た。見慣れないごつごつとした黒っぽい岩場がまず目に入る。それからあまりにも鮮やかな紺碧の海。どこまでも続いているから海だってことは想像がついた。でもこんなに色鮮やかな海をぼくは今までみたことがない。…たぶん、きっと。 「おい、オマエ。見かけねーやろーだな?」  声に振り向いて、ぼくはびっくりした。小さくて赤くて硬そうな体に、鋭いものが両脇にそれぞれ四つずつついている。その上にそれぞれ一つずつの手みたいなもの。大きな手袋でもしているみたいだけれど、尖っていて痛そうに見える。一体なんていう生物なんだろう。 「きみは誰?」 「こっちが聞いてんだよ! まあいいか、オレ様はレオ様だ!」  自慢げに体を反らしたレオ様は、赤くて素敵な鋏みたいなものをぼくに差し出した。ぼくは片手を…あれ、ぼくの手ってレオ様のとはだいぶ違う。これじゃレオ様の鋏みたいな手で切られちゃいそうだ。でも友好のしるしなんだから、レオ様も突然ぼくに切りつけたりはしないだろう。そう思って手を差し伸べた。 「レオ様? はじめまして、よろしく。ぼくは…なんて名前だっけ?」  その拍子に、レオ様がコケて、ぼくの手の真ん中へんを締め上げた。 「痛い!」 「おっとっと。すまねぇな。でもオマエが突然変なことを言うからだぜ。名前が判らねぇなんてよ」  ぼくは手をそっと見つめた。良かった、怪我はしてないみたい。レオ様もぼくの手を不思議なものを見るようにじっと見ている。心配してくれてるのかな。 「でも本当なんだ。ぼくは一体誰なんだろう」 「こりゃまいった! オマエ、もしかして自分のことが判らないのかい?」 「そうみたい。ねえ、レオ様。ぼくみたいなのをどこかで見かけたことはない?」  レオ様はちょっと考えこんで、それから首を――たぶん、首だよね――横に振った。 「いねえなぁ。似てるっちゃこの島に住んでる『ガラ』ってメスが似てるけどよ。オマエはもっとでかいしなあ」 「じゃあその『ガラ』さんに会わせて!」  ゲッ!って声を出して、レオ様は口から泡を吹き出した。そんなに驚いたのかな。それともそんなに嫌だったのかな。 「オレ様はあいつらが苦手なんだよ。まだ『ガラ』は穏やかだからたまに話もするけどよ。それに似てるってだけでオマエとはだいぶ違うぜ?」  でも手がかりは他にはないんだよね。 「お願い!」  ひょこひょこと右に行ったり左に行ったりしながらレオ様は暫く考えていたけれど、しょうがねぇな。とつぶやいてぼくに教えてくれた。 「オレ様はあいつらのいるところにゃ行きたかねーから、オマエが一人でいけ。行き方だけは教えてやる」 「ありがとう!」  それからぼくはレオ様と別れて歩き出した。ぼくの長い旅はここから始まったんだ。 「ガラさんって方を探しているんですが」  そうぼくが声を掛けると、ぎゃーぎゃーと大きな声を上げてみんな逃げていってしまう。ぼくのような姿を見たことがないからなのか、それともぼくが余程凶暴そうにみえるからなのか、ぼくはちょっと落ち込んだ。でも他に手がかりがないんだから、ぼくとしては話を聞いて、教えて貰うまで頑張らなくちゃいけない。 「すみません、ガラさんって方はいらっしゃいませんか」 「あなたは誰?」  うしろの方から綺麗な声が聞こえて、ぼくは思わず振り向いた。ぼくにむかって語りかけられたような気がしたから。 「ガラさん、ですか?」  ほっそりした体は、確かにレオ様が言ったとおりでぼくとはぜんぜん違う。目の色は赤くって、仄かにピンクが混じった口はとても綺麗だった。多分ぼくの仲間はこんな風ではなかった気がする。でも体の形の雰囲気とか、お腹の色は少し似てる。それに手も。レオ様のに比べたらぼくのによく似てた。大きさがだいぶ違うみたいだけど。 「ええ」  ぼくより少し高い岩場に立っていたけれど、それでもぼくの方が目線は高かった。 「レオ様に教えて頂いてあなたを探してました。ぼくは自分のことが判らないんです。どこかでぼくみたいなのを見かけたことはありませんか」 「あなたのような? いいえ。あなたはどこからいらしたの?」  ガラさんはとても丁寧で優しかった。 「判らないんです。起きて、見回したら見慣れた風景とはだいぶ違うし。何処から来たのかもぼくは良く憶えていないんです」 「まあ。ではあなたは流されてしまったのかも知れないわね」  そっと哀しげにガラさんは目を伏せた。とても哀しげに。 「それで、ぼくはぼくの仲間を探そうと思うんです」 「どこから来たのかも憶えていないのに?」  ガラさんの声は綺麗だったけど、なんとなく突き刺さるような感じがした。 「でもこのままここにずっといるわけにはいかないですから」  はっとしたような瞳がぼくをじっと見つめる。 「そうね、お行きなさい」  それから、力になれなくてごめんなさいね。とやさしい口調で言ってくれた。  ぼくはガラさんと別れてずんずんと歩いて行った。この岩場はとっても歩きにくくてぼくは何度も海に落ちそうになった。それにすごく暑くて、体がだるい。そのとき、丸っこい岩が目に入った。他のと違ってあまりごつごつしていない。だから、それに上って周りをちょっと見回そうと思って、足を掛けたんだけど。その瞬間、いきなり大声がしてぼくは吃驚した。 「てやんでい! 何しやがる!」  あたりを見回したけど、どこから声がしたのかは良く判らない。きょろきょろ見回していると丸っこい岩から細長いものがにょろん。って伸びてきて、ぼくはひっくり返った。 「い、岩が!!」  細長いものは、目と鼻と口があった。丸っこい岩の端の方から出ていて、ぼくが岩だと思っていたのはその体だったんだ。 「ごごご、ごめんなさい」 「あん? お前ぇ他所者か? 見かけねえ面してやがんな?」  そういえばレオ様もぼくのことをそう言ってたっけ。 「あの、ぼくどこの誰だか自分でわからないんです。それで仲間を探しているんです。どこかでぼくみたいなのを見かけてませんか」 「ほっほー! それはそれは」  長い首が岩の端っこの方に戻りかけて、それからまたぼくの方に振り向いた。 「ガラには会ったのかよ?」 「えっ? あ、はい。ついさっき。でもぼくみたいなのには会ったこともないって」 「おいらは亀蔵ってんだ。この島に百五十年ばかり生きてる。だから、この島であったことは大抵おいらの耳に入る」  百五十年。って本当なんだろうか。とてつもなく長い時間ってことだけしかぼくには判らない。 「ここはいくつかの島が集まって出来ている。だから、外の生物とは随分違う風に育っちまったモンも多いんだけどよ。ここから東の方に行けば大陸がある。そっちの方がお前ぇに似ている奴がいるかも知れねえ」 「東…ですか? でもぼく飛べない…」  亀蔵さんはそれを聴くなりぷっと吹き出した。あまりにも盛大に笑いすぎて、本当に息が苦しそうだったので少しさすってたら、回復したみたい。 「お前ぇ、ガラの仲間の、違う種類に間違いねぇよ。多分だがな。だから、飛べなくてもその羽で海を泳げる。ざぶんと一回飛び込めばすいすい泳げるさ。じゃあな、あばよ。達者でな」  それだけいうと亀蔵さんは首をすっこめてまた岩みたいになってしまった。 二  ぼくは亀蔵さんのアドバイスに従うことにした。とりあえず手がかりはなかったし、あの島々をめぐったとしてもぼくの仲間には会えそうにないような気がしたから。ちょっと怖かったけど、思い切って海に飛び込んだらすいーっと進んだ。勿論時々息継ぎのために海面に上がって来なくっちゃいけないけれど、でもガラさんの仲間たちよりはぼくの方が海の中に居られる時間はちょっと長いみたい。体が大きいんだから当たり前かも知れないけど。  途中でご飯の小魚やタコ、イカなんかを口いっぱいに頬張りながら、ずんずんと東へ進む。とにかく東に行けば必ずぶつかると亀蔵さんが教えてくれたんだから、きっと大丈夫だろうってぼくは思ってた。でもその長い海岸線を見つけたとき、ぼくは本当に吃驚したんだ。だって、それこそあっちからこっちまで、ずーっと長い長い陸が途切れることなく続いているんだから。そこで、ぼくはガラさんに良く似た姿を見かけたんだ。それも、たくさん。最初はね、ガラさんの仲間なのかなって思ったんだ。とっても良く似ていたから。ほんのすこし、違う。体の模様とか色とか、それから口のあたりとか。目から口にさしかかるあたりがピンクだし、何より一回りか二回りくらい体が大きいみたい。グループで餌を取っているのを見て、ぼくは思わずぼーっと見てたんだけど。それが彼らの気に障ったのかも知れない。いつのまにかぼくは囲まれていて、逃げ出せなくなってたんだ。 「おい、おれたちに何の用だよ?」 「ジロジロ見ていやがって。やり難いったらありゃしねぇだろ。さっさと仲間のところへ帰んな」 「狩りの邪魔だ、さあ行った行った」  口々にそう言われて、ぼくは途方に暮れたんだ。だってぼくは彼らの邪魔をするつもりなんて毛頭なかったんだから。 「ちょっと待て」  最初に掛けられた声だった。グループのリーダーなのかも知れない。 「害意はなさそうだし、どっちかっつーと抜けていやがる感じだ。おい、ここに来た目的を話してみな。おれはこの群をしきってるボルトってもんだ」  それでぼくは今までの経緯を話した。ボルトさんは面倒見のいい兄貴って感じで、すごく話しやすかった。 「事情は判った。だが、お前さんに似たようなやつを見かけたことはねーな。おれたちは今気が立ってんだ。人間どもが卵を盗みに来やがるし、おれたちの餌も持っていっちまうしでな。時々、人間どもの用意した罠に捕まっちまって死んじまうやつだっているんだ。不用意に近づくとどこの群でも警戒されるから、あまり近づかないようにしろよ」  ボルトさんはそう言って、片手をあげて、濃い茶色をした目を片方だけ軽く閉じた。 「恰好いー……」  ぼくは思わず見惚れた。しばらくぼーっとしちゃったけれど、手がかりは相変わらずゼロ。我に返ってから、ぼくはひとつ大きな溜息をついて、また陸へ向って泳ぎだした。  大きな岩のたくさんあるところは、あの島にも似ていたけれど、こっちはもう少し乾燥していて、砂が多い。とりあえず足を滑らせないように気をつけながら上ると、一つの穴から赤いものが二つ見えているのに気付いたんだ。 「あんた…」  わ、ボルトさんの群からは離れたつもりだったんだけど、もしかしたら仲間さんの別の群の中に入っちゃったのかも。 「わー、ごめんなさい。ボルトさんに言われてたのに、もしかしてぼく…」  そうしたら、中から声の主がにょきっと顔を出したんだ。 「ああ、やっぱり。ボルトが言ってたのはあんたね。こんどボルトに会ったら感謝しときなさいね。『これこれこういうやつがいたら、そいつは仲間を探しているだけで危害を加えるようなやつじゃないから』ってあっちこっちの群のリーダーに声を掛けて言ったんだから」  ぼくが驚いてそちらを見ると、じとーっとした目で見つめられていた。それから首を横に振って。 「あたしもいろんなやつに出会ったけど、あんたみたいなやつはちょっとお目にかかったことがないねぇ。でもあんた、ちょっと暑そうに見えるけど」  そう、ぼくにはこのあたりの今の天気はとっても暑くて息苦しい感じがする。 「はい、あの島に居たときも暑くて暑くて。太陽があんなに真上にあるなんて、初めて見ました」  濃い茶色の目がきらん。と光った気がした。 「あたしはあんたみたいなやつはみかけたことはないけどさ。もしかしたら、その太陽が見えるところにいけば、あんたの仲間に会えるかも知れないよ。その太陽を探しに行きな」 「えっ? でもどうやって」 「親御さんから貰ったろ、そのしっかりしたフリッパーと足。それで泳いで行けばいいさ。北へ行く程太陽は天辺に近くなるんだ。南へ、南へ行くのさ」  ぼくは感謝して、そこから離れて、もう一度海へと飛び込んだ。  大陸を南へ南へ、ぼくはずんずん進んで行った。水温が少しずつ下がっていくのに従って、ぼくのだるさも少しずつ無くなっていく気がする。あのボルトさんの仲間――確かボルテさんって言ったっけ――が言った通りに、南へ行けばぼくの仲間もいるのかも知れない。ぼくは何日もかけて、まっすぐに南へと向った。やがて、陸が途切れ途切れになっているところにたどり着いた。いくつもの島が浮かんでいる。少し休憩したかったし、ぼくはその島のひとつに寄ってみることにした。海岸から近いあたりに、木の沢山生えているところが見えた。木陰になっていて、暑い日差しから身を守るのには都合が良さそうだった。ぼくが身を横たえるのに丁度良さそうな木陰を見つけて、ぼくは一寝入りすることにした。腹ばいになって、目を閉じる。そうすると、白い白い世界が一面に広がっている夢を見た。地平線すれすれの太陽は、見えるときはずーっと見え続けるけれど、一旦見えなくなったらまたずーっと見え無くなってしまう。そうなると暗い空に銀色の砂を撒き散らしたような星が瞬いて、時には緑や赤の空気のカーテンみたいなものがゆらゆらと揺れる。手にとったらきっと柔らかくて素敵だろうな。ってぼくはいつも思ってた。 「おい」  すぐ傍で声がして、ぼくは目をあけた。 「そこはおれたちの寝床だ。匂いでわかんだろ」  ぼくは跳ね起きた。 「ごごご。ごめんなさい」  そういってぼくが場所をあけると、そこに身を寄せ合うように横たわった影があった。まだ目が光に慣れてなくて良く見えないけど、ガラさんよりボルトさんに良く似ている。体格も多分ボルトさんくらいかな。とぼくは思った。 「あの、お邪魔をしてしまってごめんなさい。ぼくは仲間を探しているんですけど、ぼくに似たようなやつを見かけたことはありませんか」  邪魔のついでに一つ聞くくらいは許されるかなと思ったんだけど、ちょっと甘かったかも知れない。 「邪魔をしておいて更に質問するたあいい度胸じゃねえか」  ちょっとドスの聞いた声でそういわれて、ぼくは竦み上がったけれど、でも確実な手がかりが一つくらい欲しかったんだ。 「だがまあ、お前みたいなやつねえ。困ってるやつを助けねえのは仁義に反するってもんだ。体格見りゃここじゃねぇ島に住んでるやつに、近いのがいるけどよ。だがお前の方がもっとデカイぜ。それになんだ、その不思議な羽の色はよ」  え。とぼくは思わず自分の手を見た。 「そんな白っぽいフリッパーを持ったやつなんて、お目にかかったことがねえよ」  それだけをいうと、鬱陶しい虫でも払うみたいに首を振って、目を閉じてしまった。ぼくはお礼を言って、また旅を続けることにした。 三  大陸から遠ざかって南へと泳いでいく。そうしながら、ぼくは水の冷たさが心地よいことに気づいていた。少しずつ冷えていく水のおかげで、ぼくはどんどん元気になっていく気がする。嬉しくなって水の上でジャンプしたり、ちょっとひねりを加えてたりして泳いでいたんだけど、ふっとぼくと一緒に泳いでいる影に気づいたんだ。 「きみは誰?」  ガラさんよりはボルトさんに似ている。胸のあたりに黒い帯みたいな模様があって、ちらっと見えた足は黒っぽくてちょっとピンクが混じってる。きっと体の大きさとか、フリッパーとかはとっても近い。目の上から口にかけての部分がとっても綺麗なピンクなのは同じだけど、その形とかはちょっと違うみたい。 「へへへ。ようやく気づいてくれたか。おれっちはカン。こっちはおれっちの連れ合いで、リカってえんだ」 「ようやく。って。もしかして、ずっと一緒に?」 「おうよ。いい泳ぎっぷりだったからよ。ところで名前は?」 「ぼくは自分の名前が判らない。ずっと南に居たみたいなんだけど、仲間とはぐれちゃったらしいんだ。それで仲間を探す旅をしてる。きみたちは、ぼくみたいなのをみかけたことはない?」  カンさんとリカさんは顔を見合わせた。 「いいえ。私たちも最初あなたをイルカみたいだって思ってみてたの。でも少し違うようだしと思って、近づいてみたのよ」 「おう、そんなに白っぽい背とフリッパーなんて見た事なかったからよ。すっかりイルカだと思っちまったぜ」 「えっ?」  ぼくは驚いた。フリッパーの外側が白っぽいってことは気付いていたけど、背中までは考えたことがなかったから。そういえば、油を羽に塗るとき、白っぽかったかも知れない。でもぼくはずっと自分の背中が黒いって思いこんでたんだ。何でだろう? 今までに見たペンギン族たちがみんな、背中が黒っぽかったからかも知れない。 「良かったら、私達がつけてあげるわ! ホワイティってどう?」 「ホワイティ?」  リカさんは深く肯いてにっこり笑った。 「そうよ。だってこんなに白いんですもの。こんなペンギン族、見たことないわ」  ぼくは思わず嬉しくなってイルカジャンプをした。 「ぼくの名前だ、ぼくの名前だ!」  ペンギンらしくないって言われるかも知れないけど、だってすごく嬉しかったんだ。 「そういや。羽とか背が白っぽいペンギンが居るって聞いたことがあるな」  つけて貰ったばかりの名前に舞い上がって飛んだり跳ねたりしているぼくを、面白いものでも見るようにみつめながら、カンさんは言った。 「えっ? 本当に?」  おうよ。と力強く応えて、「おれっち自身が見た訳じゃねーから断言は出来ねーけどよ」と付け加えた。でもたとえ不確かでもぼくにはかけがえのない情報だ。 「お願い、そのペンギン族の話を聞かせて!」 「いや、おれっちもそんなに詳しい訳じゃねえよ。…まいったな、糠喜びになっちまったらすまねえしな」  ぼくは首を横に振った。 「間違ったとしても、そこにはぼくの仲間が居ないって確認出来るよ。お願い、カンさん。教えて!」  カンさんは弱ったようにピンクの混じった黒っぽい足で首のあたりをかいてたんだけど、ぼくの決心が堅いのを見て、教えてくれた。 「ここから西に行ったところに、南北二つの結構でかい島がある。その島のどこかにその羽とか背中が白っぽいやつがいるって話だ。おれっちもそれ以上のことは判んねえ。すまねえな」 「ううん」  ぼくはぶんぶん首を振った。首が千切れちゃうかと思うくらい。 「手がかりがあるなら、ぼくはどこへでも行くよ。カンさん、教えてくれて、ありがとう」 「おう。またどこかで会ったら一緒に泳ごうぜ」 「あなたのジャンプ、とても迫力があってみていても楽しかったわ。是非また会いたいわね」  リカさんはカンさんに寄りそうように微笑んだ。もしかしてこれから一緒にコロニーに行くのかも知れない。こんなことを言ったら怒られるかも知れないけど。でも言いたいな。 「うん、ぼくも会いたいな。出来ればお子さんも一緒に泳ぎたいね。お幸せに!」  カンさんとリカさんは顔を見合わせて、少しはにかんだ。口の傍のピンクがさっきより血色がよくなって、サーモンピンクに近い色になってる。 「ええ、是非」  リカさんの笑顔は、すごく胸に沁みてどきどきした。きっと、幸せってこういうことなんだろうな。  南北二つの島は、確かに大きかった。でもあの大きな大陸を見ちゃったぼくには、ちょっと物足りない。だけど島はとても起伏があって、自然が豊かに見えた。比較的歩き易そうな海岸を見つけて上陸したときには、もう日は沈みかけていて、ぼくはカンさんが言っていた「白っぽいペンギン族」に出会えるかどうか心配になっていた。そのあたりの土は柔らかくて、少し窪んだところがところどころにある。ずっと泳いでいて疲れたせいもあって、暫くそこで休むことにした。 「なんか、変だぞ。こいつ」 「うん、でかいね」 「いや、それだけじゃなくて、こう」 「そう、白っぽいんだ。こんな白いやつ見たことねーぞ」  ちょっと離れたところからひそひそ声が聞こえてきて、目が醒めた。あたりはもう真っ暗で、どこが土でどこが草かも判らない。でもぼんやりと白っぽい小さなものがいくつも並んでいる。 「あっ、目をあけたぞ」  その声にびくっとしたみたいに、白っぽい小さなものがぼくから少し離れたみたいだった。 「あ、すみません、ぼくはホワイティといいます。仲間を探す旅をしているんです。どなたかぼくみたいなのを見かけた方はいませんか」  白っぽいと思えたのは、多分小さなペンギン族の、お腹だったんだ。頭から背中にかけては青っぽいんだけど、酷く前屈みになっていて、今まであったペンギン族の誰とも似ていない。でもフリッパーの感じとかは多分ペンギン族で間違いないと思う。お腹の白いところとか、丸みのあるところも少し似ている。  小さなペンギン族はぼくの言葉を聞くと、顔を見合わせた。ひそひそ声で話しているけど近いだけに内容は聞こえる。 「おまえ、こんなやつ見たことあるか?」 「いや、こんなでかくて白いのなんてな…」  そこへ小柄だけどぽっちゃりした感じの、きりりとした面差しのペンギン族がとことことこ。ってやってきて、ぼくに向かって声をかけたんだ。 「あたしはリルってえんだ。お前さん、ホワイティって名前だったね? 年はいくつなんだい? 仲間とはぐれたのはどの辺りだったんだい?」 「すみません、全然憶えてないんです。ただ、この島に白っぽいペンギン族がいるらしいって聞いて、仲間かも知れないってやってきたんです」 「おやまあ。それはかわいそうに。だけどこの二つの島にもお前さんみたいなペンギン族はいないよ。居るのは、あたしらみたいなペンギン族でも小さい種族さ。この島には何種類かのペンギン族がいるけれど、それでもお前さんみたいに大きいのはいないねぇ」  確かに、リルさんとぼくの大きさは凄く違う。ぼくはいま土の上に横たわっているけど、もしこれでリルさんが横たわったら、目線が大分ずれるだろう。でも白っぽいペンギン族は居るのかもしれない。 「そうだねぇ、確かにあたしらよりは白っぽいのもいるね。でもお前さんほどじゃあないよ。だが、確かめに行きたいというなら好きにするがいいさ。ただ、ちょっと攻撃的なやつらもいるから、十分注意するんだよ。特に『失われた森の住人』にはね」  失われた森の住人? それって一体どんなペンギン族なんだろう。それとも他の生物なんだろうか。それを聞いてみたかったけど、リルさんは仲間と一緒に巣へ引き上げて行ってしまった。ちょこちょこっとした歩き方なのに、意外に早いんだ。他のペンギン族のことをもっと聞いてみたかったけど、ここで立ち上がったら折角友好的に話してくれたのに、変な威圧感を与えるような気がしたので、ぼくはそのまま眠ることにした。海のささやき声が聞こえるこの浜辺は、きっとぼくの夢の中の故郷に繋がってる。何ともいえない安心感に包まれて、ぼくは深い深い眠りに落ちていった。 四 「うへぇ。なんだ、こいつ。本当に白いぞ。気味が悪りぃな」 「フィリップ。そんなこと…」  耳を叩くみたいな呟き声で、ぼくは目を醒ました。ぼーっとした視界に飛び込んで来たのは、リルさんに良く似たペンギン族だった。大きさも多分リルさんと同じくらいだと思う。少し青みがかった背中は、リルさんと同じように前屈みで、ペンギン族って言っても体格は寧ろ普通の海鳥族に近いみたいだった。端っこが白いフリッパーも、とても小さい。ぼくのフリッパーの半分もないみたい。そういえばリルさんのフリッパーも端っこは白っぽかったっけ。 「もしかしてフィリップさんとパティさん? ぼくはホワイティ。仲間を探してここに着いたんだ」  寝ぼけ眼をこすりながらリルさんから聞いていた名前を口にしてみる。一瞬顔を見合わせていたけれど、こっちを見てにこって笑ってくれた。 「おう。リルからの紹介じゃあな。おれがフィリップ様だ。で、こっちがおれのハニー、うげっ!」  ものすごい勢いでパティさんがフリッパーでフィリップさんを殴ったような気がしたんだけど、きっとぼくの目の錯覚だと思う。こんなにやさしそうな笑顔が、とっても素敵なんだもの。 「パティよ。宜しくね。リルから話は聞いたわ。災難だったわね。ご覧の通り、私達は小型ペンギン族で、あなたとはこんなに大きさが違うし、種類が違うわ。少し白っぽいと言われているけれど」 「はい、でもぼくは自分の目で確かめたかったんです。少なくとも違うという確認が出来ただけでも大きな収穫でした。ありがとうございます」  ぼくは立ち上がって頭を下げた。 「あなた、良い子ね。…私達より体が大きいのに、『子』なんて言い方は失礼かも知れないけれど。あなたはまだ繁殖経験がないでしょう? きっと私達よりは若いんだと思うの」 「繁殖?」  鸚鵡返しに聞き返したぼくに、とびきりやさしい微笑みをくれて、パティさんは説明してくれた。ペンギン族は大体がパートナーを決めて、次の世代を産んで育てる。それを繁殖っていうのよ。って。 「でも、ヒナから換羽(羽が生え変わって、成鳥と同じ羽になること。換羽するまでは海に入ることが出来ない)してすぐの年には普通繁殖はしないの。大体繁殖するには成鳥になってから二回くらいその季節を生き延びてからかしらね。それまでクレイシのヒナの面倒を見たりして、繁殖に失敗しないよう、勉強をしておくのよ」  うっとりした、夢を見るような眼差しがとっても温かい感じがしたんだ。パティさんに見惚れてたら、フィリップさんがぼくを小突く。ああ、そうか。 「良くは判らないけど。まだぼくは繁殖したことがないような気がします」  リカさんとカンさんはコロニーに向うところだった。そうか、繁殖って、そういうことだったんだ。 「近頃では、『ヒト』が連れてきたやつらのせいで中々繁殖も難しくなっているけれど。私達の命を、次の世代に伝えたいわね」  パティさんがそっとお腹を押さえて、フィリップさんを見つめてる。『ヒト』ってどういう生き物なんだろう。そいつらが連れてきたやつらのせいで繁殖が難しくなってるなんて、酷い。そういえばボルトさんが「人間どもが卵を盗みにきやがる」って言ってたっけ。もしかして、人間って『ヒト』の仲間なんだろうか? だとしたら、ぼくらペンギン族は『ヒト』から多大な迷惑を蒙っているんだ。  フィリップさんとパティさんには会えたけど、白っぽいペンギンが他にいないか、聞きそびれてしまったぼくは、この南北の島を散歩してみることにした。 「うわぁ!」  林が海に落っこちてしまいそうなくらい、海岸ぎりぎりまで、広がってた。ぼくは思わず歓声を上げてしまったけれど、そのあとは息を呑むばかりだった。高い木が生い茂る豊かな森が続いて、急斜面を上った高台にシダが沢山生えてるんだ。思わずシダの上に寝そべってみたくなって、ごろん。って転がろうとしたとき。 「誰だ?」  鋭くて低い声がして、ぼくは思わず硬直しちゃったんだ。 「うわあ! すみません。ぼくはホワイティって言って、アヤシイものじゃありません。仲間とはぐれてしまって…」  そこまで言い掛けて、声がどこからしたのかを考えて吃驚したんだ。だって、シダから声がしたんだ。シダって喋れたの? ぼくはそんなこと聞いた事ないけど。 「はぐれペンギンか。ここはうちの巣だ。あっちへ行け」  しっしっ。って声まで聞こえて、本当に歓迎されてないんだって判ったけど、でもそれよりもぼくはシダが喋ってるってことに吃驚してたんだ。 「すごい! シダさんって喋れたんだ? わあ。ぼく喋るシダさんを初めて見たよ!」 「……」  がさがさがさ。って音がして、シダの葉っぱが左右に別れて、そこから現れたのは、ペンギン族らしい姿だった。しっかりした眉が黄色くて、軽くカーブしてる。リルさんやフィリップさんたちよりも大きくて、でもぼくよりは小さいみたいだった。 「どこの田舎者だ、お前は」  寝起きみたいな不機嫌そうな声だった。そうか、ぼく、喋るシダだと思って夢中になってたけど、あっちへ行けって言われてたんだ。でもなんかすごく不思議だ。背丈はぼくより全然小さいのに、ぼくの方が見下されてるみたいな感じだ。 「巣の近くを他のやつらにうろついて欲しくない。気が散るからな」  なんていうんだろう。すごく堂々としてて、落ち着いてる。 「なるべく早く消えろ」  それだけ言うと、首を回してぼくをじっとりとねめつけるように見ながら、シダの葉の中に隠れてしまった。取り付く島もないってこういうことかも知れない。ぼくはとぼとぼ歩いて、海にざぶん。って飛び込んだんだ。  荒れ狂う海のど真ん中で、ぼくは息も絶え絶えになってた。こんなに荒れ狂ってる海を見たのは初めてだった。このあたりはいつもこうなんだろうか? ぼくは絶望的な気持ちになったけれど、少し離れたところに陸の影が幾つか連なっているのに気付いて、そちらへ向って泳ぐことにした。このままじゃ泳ぎ疲れて死んじゃうって思ったから。  海草に足を取られそうになりながら海から上がるとき、ちょっとベタっとした感じがした。何だろう、この感じ。普段尾脂線から分泌される脂とはちょっと違って、しつこくて変な匂いがする。おまけに変な色までついているみたいだ。必死に羽づくろいをしていたら、少し離れたところに沢山のペンギン族がいた。シダの中に隠れてた、あの黄色い眉のペンギン族にとっても良く似ている。背丈も同じくらいに見えた。つまりぼくよりは小柄だってこと。  海から上がったばかりの時は青っぽい背中が、羽が乾くにつれてどんどん黒っぽく見えるようになる。それに合わせるみたいに、頭にぺったりと張り付いた黄色い眉が、風になびいて逆立つ。中には羽づくろいしているのも、日向ぼっこしてるのもいるみたい。良くみたら、陸はかなりの急勾配だった。白っぽい岩が延々と続いている。足の爪はかなり鋭いみたいだけど、雨の日には滑って落ちてしまいそうだった。 「すみません、ぼくはホワイティ。仲間を探しています。ぼくみたいなペンギン族をご覧になったことはありませんか」  あまり大きすぎる声だと吃驚させそうだと思って、気をつけて声を出した。ちら。ってぼくの方をみたのがいたけれど、反応してくれない。ここも手がかりなしかな。って諦めかけたとき、声を掛けられた。 「ホワイティ、だったな。私はアズ。このコロニーを仕切っている。この島と、周辺の島には私達のようなペンギン族しか居ない。この海域は少々荒れるから、あまり他のペンギン族は近寄らないんだ」 「そうですか…」 「大きさだけを言えば、南の方の大きな島にお前のようなペンギン族がいると聞いたことがある。ただ、お前のように白いペンギン族は見た事がないが。行って見れば何か判るかも知れん」 「ありがとうございます」  ぼくはアズさんにお礼を言って、また海へざぶん。って飛び込んだ。 五  海は旅を始めたころに比べて、どんどん冷たさを増している。それが何だか不思議に、ぼくには気持ち良い冷たさだった。なんだろう。すごく落ち着く気がするんだ。この冷たい感じを、ぼくはとても良く知っている気がする。  アズさんと別れたぼくは、言われた通り南へ向うことにした。でも海が荒れて、思うように進まない。ぼくは疲れきって、とりあえず近い適当な島で休憩することにしたんだ。一番最初に見えた島は、絶壁が続いていて、思わずぼくはごくり。って唾を飲み込んだんだ。海からすぐ近いあたりはまるで石垣みたいで、白い岩がそびえている。苔が豊かに生えて、緑と白い岩とのコントラストがとても綺麗だった。上陸出来ないかも知れないけれど、少し休むなら。と思って、ぼくは近くへと泳いでいった。そしたら、絶壁の上の方から、勢いよく水が落ちてくるのに気が付いたんだ。その近くの苔は他のところよりもずっと緑が濃くて、深く見えた。 「なんて綺麗なんだろう」  ぼくが思わずそう言ったら、「そうだな」という声がすぐ近くで聞こえて、思わず振り向いたんだ。そして、ぼくは目を瞠ったんだ。そこにいたのはペンギン族、多分アズさんに近い種族だと思う。薄い黄色の眉の飾りは、茶色と朱色を混ぜたような色合いの嘴の、すぐ上から目の上をやわらかくカーブしている。嘴の下は眩しいくらいに白い羽毛が縁取っていて、顔の黒さが一層引き立って見えた。濃い茶色に見える目は少し小さいけれど、とても知的な感じがしたんだ。 「見かけない顔だが、おまえさんは?」 「ホワイティと言います。仲間を探す旅をしています」 「ここの島にはおまえさんのような白っぽい、大きなペンギン族はおらんよ」  島に上陸する前に判ったのはラッキーだったのか、アンラッキーだったのか。でもぼくはくたくただったんだ。 「そうなんですか。じゃあちょっと休憩したら、なるべく早く出掛けることにします」  そういうと深く肯いてにっこりと笑ってくれた。 「わしはテッド。長いこと滞在しないのなら大きな問題にはならんだろうが、何かあったらわしか、エレクトラの名を出しなさい」 「ご親切に、ありがとうございます」  ぼくはテッドさんと並んで島に到着した。上陸して、テッドさんがとてもスリムでハンサムなペンギン族だということに気付いた。こんなにハンサムなペンギン族って、今まで見たことがないや。絵になりそうな、ってこういうペンギン族のことを言うのかも知れない。尻尾が地上とぶつかったあたりは少し色が白っぽくなっているけれど、背中も顔も目を惹く様な黒。そして細くて形の整った薄いピンク色の足に、細くて長くて鋭い黒い爪。全身をぶるぶるさせて軽く水気を払うと、薄い黄色の眉が少し乾いて、ちょっとだけぴんと張って、まるでブラシみたいに見える。白くて緩やかなカーブのお腹は程よくふくらんでいた。良く見回したら、ここのペンギン族は皆そんな風なハンサムなペンギンばかりだった。  上陸した「岩棚」は、大きな石が沢山あったけれど、石は波か何かで削られているみたいで、ごつごつした感じはなかった。そこはコロニーから近いみたいだったので、お邪魔にならないように離れたところで休むことにしたんだけれど、苔と緑に隠れるようにしてコロニーの様子を窺っている生き物がいるのに、ぼくは気づいたんだ。 「どどど、どうしよう?!」  でもぼくが傍に行けば、また嫌がられてしまうだろうし、迷惑にもなりかねない。そうだ、近くにいるペンギン族に、テッドさんかエレクトラさんを呼び出して貰えば。そう思って、なるべく驚かせないように、近くにいた若いペンギン族に恐る恐る声をかけたんだ。 「すみません、ぼくはホワイティといいます。テッドさんかエレクトラさんに連絡をしたいんですが」  びくっとしたような顔をしたけれど、ぼくがテッドさんたちの名前を出したことで、きりりとした引き締まった表情になった。 「どうかしたのか?」 「はい、あそこに、見慣れない動物がいて、こちらを窺っているんです。ぼくはもう少し休憩したらこの島を出るつもりですが、テッドさんに伝えておけば注意して頂けると思って」  若いペンギン族はちら。とそちらを見て、ああ。って肯いたんだ。 「あいつらは、ネズミというやつらだ。『ヒト』が連れてきた連中さ。あいつらはヒナや卵を襲って食っちまう。お陰でここ数年は中々若いのが育たなくてな。これじゃどんどん仲間が減っちまうって皆で心配してたんだ。そうか、じゃあこちら側には巣を作らない方がいい。ホワイティ、だったな。教えてくれて、ありがとよ。俺じゃああいつは見つけられなかったぜ」  え。って一瞬吃驚したけれど、そうか。ぼくの方が背が高いから、あそこに隠れているネズミを見つけることが出来たんだ。でかいでかいと言われ続けてて、ちょっと落ち込みかけてたけど、この身長が役に立って良かった。ってぼくはとっても嬉しくなったんだ。 「お役に立つことができて、幸せです。繁殖の成功をお祈りしてますね」 「おう、ありがとよ」  若いペンギン族…クレスさんは、そう言ってやわらかくカーブした片方の眉だけをそっとあげた。  テッドさんやクレスさんの島を離れて、ぼくは考え込んだ。「ヒト」が連れてきた「ネズミ」というやつが、ぼくらペンギン族のヒナや卵…大事な子供たちを襲っている。それは、テッドさんたちのペンギン族だけではないんだって、気付いたんだ。確かそう、フィリップさんとパティさんも似たような害を受けているって言ってた。ボルトさんは「人間」ってやつらが卵を取りにくるんだって憤慨してた。それに。アズさんのいた島の傍。確かに海が荒れてたけれど、それだけじゃなかった。だって、変な油みたいなものが海一面に浮かんでて、汚くて臭くて、泳ぎにくかったんだ。この近くに他のペンギン族はこない。って言ってたけれど、それでもまだ「ヒト」とか「人間」が来ないだけ、そういう被害を受けないだけ、少しは繁殖に適しているのかも知れない。ぼくはそんなことを考えながら、また次の島をめざして泳ぎはじめた。  細くて長い草は地面からゆるやかに空に向って伸びていて、柔らかくカーブしてまた地上近くへと戻る。そういう草の塊みたいなものが、島全体を埋め尽くしてた。生き生きとした明るい緑色はお日様の光を浴びて、とても元気そうに見える。ところどころの灰色っぽい石や岩には、白いちっちゃなものが沢山ついて、まだらになっているのが見えた。この島にもペンギン族がいるのかな。と思いながら上陸したら、少し離れた岩場に、海からぴょんぴょん上がっていくペンギン族が見えた。黄色い眉が海水で張り付いているけれど、乾くとそれが扇みたいにふわっと広がっていく。少しつんつんした感じのそれは、今まで会ってきたペンギン族の中でも特に大きくて、立派で、とても素敵だった。顔は黒くって、アズさんやテッドさんたちと近いペンギン族だと思うけど、嘴と目はオレンジ色で、テッドさん達にあった嘴の下の白い羽毛がないし、体格もほんの少し小柄で、ちょっとふっくらしてる気がする。足はテッドさんより少し濃いめのピンク。足の先の方は黒くて、水掻きが大きく見えた。背中と頭の黒々とした色や毛艶はテッドさんの目を惹く黒を思い出させるけど、でも多分違う種類なんだろうな。と思ってたら、すごい急斜面を勢いよく飛んでいくのが見えた。すごい。少し遠いから大きさまでは良く判らないんだけど、ぼくよりは絶対に小さいと思うんだ。それが、ぴょんぴょんって自分の身長よりずっと高いところへ飛んでいくんだ。吃驚しない方がおかしいと思う。凄く足腰が強いんだろうな。海を行くとき、ぼくらペンギン族はすごいスピードで流れるように泳ぐ。でも陸上ではよたよた。それが普通だと思ってたんだ。でも、この島にいるペンギン族は、本当にぴょんぴょん良く跳ねる。すごく元気がいいペンギンだなって感心していたら、何時の間にか囲まれてた。 「なんだ、コイツ」 「おい、変なやつがいるぞ!」 「あ、あの…!」  詰め寄るようにあっという間に囲まれてしまったぼくは、どう言ったらいいか判らなくて本当に困ってしまった。 「でも、コイツ、こんな白っぽくてデカイけど、一応ペンギン族じゃねーの?」 「じゃああのヘンなやつとは関係ねーか」  ぼくを無視して、会話が成立してる。とりあえず自己紹介でもすれば、休憩だけはさせてもらえるかな。 「あの、すみません。ぼくはホワイティと言って、仲間を探しています」 「あん?」 「ぼくに似たようなやつを見かけたことはありませんか?」  恐る恐るそう言ってみると、囲んでたペンギン族たちはお互いに顔を見合わせていたけれど、その中で、ひときわ体が大きそうなペンギンが、ぼくをじろっと睨みつけた。 「おいらはロック。こっちはホップだ」  そう言って、隣にいたペンギンをぼくに紹介してくれた。良かった、怖そうだと思ったけれど、話を聞いてくれそうな気がする。 「人間ってやつらがおいらたちの餌を横取りしちまう上に、最近妙な病気が流行るようになってな。それでここ数年、ばたばたと仲間が死んじまった。理由は判らないんだが、どうも人間どもが持ち込んだやつらに、原因があるとおいらは睨んでる」  仲間が激減してしまう程の病気の大流行。それは、警戒しても当然だ。ましてや、群を守るリーダーなら、慎重になって、新参者や見慣れないものを警戒しなくちゃいけないだろう。 「ぼくは、仲間を探しています。この島に居ないなら、すぐに立ち去って他の島へ行きます。ご迷惑をかけないようにしますので、少しの間、置いて下さい」 六 「少しの間、ってどれくらいだ?」 「ぼくの仲間がこの島にはいないとはっきりするまで、です」 「この島にはお前みたいなのはいねーよ」  ロックさんはそう言い捨てて、そのまま立ち去ろうとした。ぼくはがっかりして、その場にぺたん。って座りこんでしまったんだ。 「ここにも、かあ」  いくつも島や大陸を回ってきたけれど、ぼくの仲間って一体どこにいるんだろう。南へ南へってずっと進んできたけれど、島が沢山ありすぎて、どこがぼくの故郷なのか判らない。 「お、おい。泣くなよ! 男だろっ?!」 「え?」  気付くと、ホップさんがぼくの隣にいて、顔を覗きこんでた。いつのまにか、泣いてたみたい。 「ぼく、男なのかな」 「…お前、自分の性別も知らないのかよ?」 「だって、気にしたことなかったから」 「じゃあ、でかい図体してめそめそ泣くな!」  きっぱり言うホップさんて本当に男らしいなぁ。って惚れ惚れと見ていたら、何かロックさんがぼくを睨んでる。 「俺の連れに何色目使ってやがんで…えっ?!」  素晴らしく切れのいいキックがロックさんの首にヒットした。そのキックを恰好良く決めたホップさんは、何故か眉根を寄せて、すごく厭そうな顔をしてる。 「誰が貴様の連れだって?」  声だけでその場が凍り付きそうなくらい、冷え冷えとした空気が漂って、ぼくはちょっと吃驚した。ホップさんはロックさんを嫌っているのかな。それとも単に照れくさいだけなのかな。 「ホップさんってとっても恰好いいですね! 惚れ惚れします!」 「なっ……!」  真っ赤になったホップさんから、ぼくにもキックが飛んでくるかな。って一瞬覚悟したけれど、それは飛んでこなかった。ロックさんとは仲が良くて、そういうことも気がねなく出来る関係なのかも知れない。ぼくにはそういう仲間がいないから、正直羨ましかった。 「ぼくは、故郷の記憶があんまりないんです。故郷がどこかも判らなくて。ロックさんとホップさんみたいに、気兼ねなく話せる仲間が居たらいいなって」  そんなことを話してたら、また涙が出てきそうになった。長いこと一人でずっと旅をしてきたから、ちょっと淋しくなってるのかも知れない。 「ああ、もう!」  頭を勢い良く振る。黄色い冠毛がそれにつられて左右に揺れるのは、とても綺麗だった。 「しょうがねえな。面倒はごめんだぜ。自分の始末は自分でしろよ? あと、用事が済んだらさっさと出て行け。それまでは置いてやる」  フリッパーをぼくの方に突きつけて「いいな?」と確認すると、そのまま今度は本当に離れていった。とりあえず、この島を調べるくらいの時間は貰えたんだ。 「あ、ありがとうございます! ロックさん!」  遠ざかるロックさんの背中を見つめていたら、横合いからそろっと声が聞こえた。こそ。っていう程度の、囁き声で。 「良かったな」  振り向くと、ホップさんがロックさんの後を追いかけるように行くのが見えた。遠巻きに見守っていた他のペンギン族たちも、ロックさんたちの様子を見て、離れていく。ぼくはその夕陽に紛れていくその背中に向って、深くお辞儀をした。  それから暫くその島を歩いてみたけれど、テッドさんと似ているペンギン族の他は、発見出来なかった。島を離れるとき、ロックさんとホップさんが並んで泳いでいるのが見えたので、ぼくがあのときと同じように深くお辞儀をすると、ロックさんはそれに応えるみたいにイルカ飛びをしてにやり。って笑った。こうしてぼくはロックさんたちのいるこの島を離れたんだ。  青い海から見える砂浜には、ペンギン族でない生物が寝そべってた。なんていう動物なんだろう。濃い目の灰色から黒に近い毛で、随分大きい。今までみたペンギン族の三倍以上はありそうだった。この辺にペンギン族は居ないかな。と思って、ぼくはその生物に聞いてみることにした。 「あのう、すみません」  寝そべっていた生物が、ぼくを見てびくっとした。ぼく、何か変だったかな。 「ぼくはホワイティって言います。仲間を探しているんですが、このあたりにぼくみたいなペンギン族はいませんか」 「おい」  気がつくと、ぼくはその生物たちに囲まれてた。 「えっ?」 「良い度胸じゃねえか、俺らアシカ族にものを尋ねようだなんてよ」  機嫌が悪かったのかな。寝起きだったのかな。ぼくは思わず後ずさりしそうになって、ゴンと何かにぶつかった。 「痛え!」 「うわあああ! ごめんなさい!!」  振り向くと、ペンギン族らしい姿があった。とても印象的な金色の瞳、黄色の頭。それからほんわりしたピンクと、朱に近いオレンジ色とで彩られた、上品な嘴。少し濃い目のピンク色の、ほっそりとした足。今まで見てきたペンギン族の誰とも似ていない、独特の模様は、はっとするほどだった。 「何邪魔なところに突っ立ってやがる?!」  そう言いかけた顔が、ぼくの目の前のアシカ族に気付いて、ははあん。って顔になった。 「アシカ族に因縁つけられてたのか。こいつら、機嫌が悪いと良くペンギン族に噛み付く癖があってな。さっと避けねーと、怪我すんぞー」  そう言った途端、アシカ族の尻尾がぼくらの足を襲ってきた。と思ったら、そのペンギン族は目にも止まらないスピードでジャンプして攻撃を避けて、アシカ族のお腹の急所に踵落しを決めた。そのお陰だろう。尻尾の攻撃はぼくの足には届かなかった。ペンギン族はさっとアシカから離れたところに着地して、走り出した。 「さっさと逃げろ!」 「はい!」  どこへ逃げればいいかなんて判らなかったので、とりあえずそのまままっすぐに走った。隣にはさっきぼくを助けてくれたペンギン族もいる。砂場だった足元は、何時の間にか潅木の沢山あるところになっていた。目の前に広がっているのは、あまり大きくはないけど、森。 「俺達は、『失われた森の住人』って呼ばれてる。俺の名はアイだ」  逃げ切ったと判断したあたりで、さっきのペンギン族がそう話してくれた。 「ぼくはホワイティと言います。さっきはありがとうございました」 「あいつら、相手見ずに絡むからな。ズルズルしてるとやつらに噛みつかれて怪我だらけになるから、気をつけた方がいいぞ。ところでどうしてさっきは絡まれてたんだ?」  そこでぼくはこの島に仲間を探しにきたこと、この島にぼくみたいなペンギン族がいないかを尋ねていたことを話した。 「なるほどな…」  そういえば、リルさんは「失われた森の住人には気をつけろ」って言ってた気がする。さっき、アイさんは「失われた森の住人」って言ってなかったかな。それってどういう意味なんだろう。 「あの、すみません。厚かましいと思うんですが、伺ってもいいですか?」  アイさんはじーっとぼくを見て、くす。って笑った。何かおかしいこと、言ったかな。 「あ、いや、すまん。お前、良いやつだな」 「は?」 「いや、大したことじゃない。で、何が知りたいんだ?」  ぼくは、「失われた森の住人」って言葉が、どういう意味なのかを知りたい。と聞いた。そうしたら、少し淋しそうな顔になって、ぼくは訊いたことをちょっとだけ後悔したんだ。 「いや、それはお前のせいじゃない。だが、俺達は種として絶滅の危機に瀕している。お前の種族にこの話を伝えて貰えれば、俺達がいつか絶滅しても、少しは浮かばれるかも知れない。…聴いてくれるか?」  もとより、ぼくが聴きたがったことだ。 「はい」 「俺達の種族は、もともとそれなりに数がいて、いろんな島に生息してた。俺達の種族が好むのは森林地帯で、海岸から結構入ったところで繁殖する。他のペンギン族は密集して生活し、卵を生み育てて繁殖するが、俺達は自分たちの巣から見えるところに他のペンギンが巣を作るのを好まない。そのせいもあったのかも知れないが。人間どもがやってきて、俺達の住む森を次から次へと伐採して、どんどん牧草地に変えちまった。しかも、人間どもが連れてきた得体の知れないやつらのお陰で、卵やヒナ、それに親たちまでもが襲われて、俺達はどんどん数を減らしてる。住むところを奪われ、餌を奪われ、子孫も自分自身も奪われてなお、俺達は足掻いてる」  アイさんの話は今までに聞いたペンギン族のどの話よりも悲惨で、胸が苦しくなった。子孫を奪われることも辛いけれど、餌を奪われることも大変だけれど、何より住む場所を奪われて、追われるなんて。なんて酷いやつらなんだろう。人間って。 「俺達は細々と繁殖してる。だから、正直外部から来た奴らには警戒して、普段ならこんな風に立ち入った話をするどころか、寄ってきたやつらに対して蹴りを入れるところだ。お前がそういう目に遭わなかったのは、アシカに絡まれてたからだ」 「だったらぼく、アシカ族に感謝します! アイさんとこんな風に話をする機会を与えてくれたんだから」 「面白いやつだな」  ふっ。って笑うところは、とっても恰好良かった。でも、この島に住んでいるペンギン族に、ぼくの仲間はいないみたい。 「無駄足だったな」  そういったアイさんに、ぼくはにっこりと笑って見せた。 「でも、アイさんに会えた。ぼくは忘れません。アイさんに助けられたことも、アイさんの種族のことも」  それからぼくは、川へ飛び込んだ。海へと続く川からなら、アシカの居る砂浜を通らずに行ける。とアイさんが教えてくれたからだ。ぼくはアイさんの心遣いに深く感謝して、この島を離れた。アイさんたちの種族の歴史を、胸に深く刻みつけて。 七  アイさんと別れて、ぼくは泳ぎながらまた考えてた。話を聞けばきくほど、「ヒト」って「人間」とすごく近い種族であるような気がする。他の生物は別の生物を連れて来ないけど、「人間」と「ヒト」はぼくらペンギン族の脅威になるような生物を連れて来ている。そう、例えばクレスさんが教えてくれたネズミ族。他にもネコ族、イヌ族、イタチ族など、いろんな生物を連れて来ているみたい。何故「ヒト」や「人間」がそいつらを連れてくるのかは判らないけれど、結果的にぼくらは迷惑してる。辞めさせることが出来ればいいけれど、話が通じないような相手なんだろうか。アシカ族みたいに、勝手に絡んできたりとかするんだろうか?  泳いでいて、ふとフリッパーが重くなったような気がした。それに、変な匂いがする。アズさんのいた島あたりも変な匂いがあったけど、海が荒れてたせいか、そこまで気にはならなかった。こっちは匂いだけじゃなくて何となく海の水がべたっとしてフリッパーにまとわり付く感じだ。水が切りにくい上にスピードが出ない。ぼくらペンギン族は皆、尻尾の尾脂線から出てくる脂を丁寧に嘴ですくいとって体中に塗ってる。これは水鳥であるぼくらにはとても大切な脂だ。でも海水に混じってるそれはもっと油っぽくて、ぼくたちの脂とは大分タイプが違うみたい。泳いでいるうちにどんどん体が重くなっていく。手近にあった島は砂浜が広がっている。これなら、体力もそんなに使わなくても陸に上がれるし、ちょっと休憩出来そうだな。そう思ってぼくは島へ近づいていった。そこでぼくはほんのすこし、吃驚したんだ。  明らかに違う種族だと思うペンギン族が、並んで歩いてる。仲睦まじい恋人同士のように、とまではいかないけれど、とても親しそうだ。勿論、リルさんとフィリップさんたちみたいに違う種族でも交流のあるペンギンはいるみたいだけど、でもリルさんとフィリップさんの種族はとても近いからお互いに親近感を持ってもおかしくないと思う。だけど、このペンギン族は、明らかにタイプが違うんだ。小さい方は朱色の嘴にとても白い顔、そしてテッドさんたちみたいな黄色い眉がある。ピンク色の足はとても可憐で、全体的にスリムな感じだった。そして大きい方は、エレガントな濃いグレーの背中に、白いお腹。黒い嘴にはとても印象的なオレンジ色が入って、首の辺りにはそれにグラデーションがついたみたいなオレンジ色。首とお腹の境目の辺りにもオレンジ色。足は黒くて、しっかりしてる。そして、ぼくはドキドキしたんだ。だって、今までに見たことがあるペンギン族の中で、一番このペンギン族がぼくに近い大きさだって、すぐに判ったから。もしかしたら、このペンギン族がぼくの仲間なんじゃないだろうかってぼくは本当に思ったんだ。重くなったフリッパーも、今は軽い。ぼくは心の中に期待を閉じ込めて、このペンギン族たちに近寄って行った。 「あの」  それまで和やかに話をしていたペンギン族たちは、ぼくの声を聞いて立ち止まった。良かった。話を聞いて貰えるかも。 「仲間とはぐれてしまったんですが、ぼくみたいなペンギン族を見かけたことはありませんか」  ペンギン族たちはぼくの話を聞いて、小声で話し合ってたみたい。それからぼくをまじまじと。それこそ、頭の天辺から尻尾の先っぽまでじろじろと観回して、小首をかしげた。 「誰かに何かを聞くときはまず名乗れって言われなかったか?」  大きい方のペンギン族がぼくにそう声をかけた。ああ、そうだった。つい気が焦ってしまったぼくは名乗ることを忘れてたんだ。 「すみません、ぼくはホワイティと言います」 「ふむ」  それからまたぼくのことをじっと観察してたみたい。ぼくはどうしたらいいのか判らなくて、思わずモジモジしてたんだ。 「ロイ」 「なんだ? キン」 「コイツと俺と、どっちがでかい?」  声をかけられた小さい方のペンギン族はロイさん、大きい方はキンさんというらしい。ロイさんは突然そう訊かれて、戸惑ったようにぼくとキンさんを交互に見ていた。 「お前は嫌がるかも知れんが。この、ホワイティっていう方だな」 「ふん」  目障りなものでも見るような目が、ぼくを斜めに見ていた。ぼくは一層落ち着かなくて、思わずあたふたとフリッパーをバタつかせた。 「おい」  鋭い視線に見つめられて、竦みあがったのは、しょうがないと思う。 「お前、あの油の海を泳いできたのか? そんなにフリッパーにつくほど?」 「えっ?」  ぼくは驚いてフリッパーを見た。海から上がったばかりで、まだ手入れもしていないフリッパーには、べっとりと黒い油がついていた。 「ああ、はい。良く判らなくて」 「……なんてやつだ」  ロイさんとキンさんは顔を見合わせて、それからまたぼくの顔をまじまじと見た。 「おれが思うに、だけどよ」  ロイさんが首回しをしながらそう言った。 「体格的にはキンの種族とお前の種族は近い。だが、お前の方がもっとでかい。それにお前、若鳥だよな?」 「若鳥?」  思わず聞き返したぼくを、ちょっとイラついたような顔でロイさんが睨む。 「たとえば。そうだな。繁殖したこと、ねえだろ?」 「はい、多分」  あの暑い島で目が醒めたときより前に繁殖したことがあったなら判らないけれど。 「多分ってなんだよ。手前のことだろ」 「いえ、ぼく気を失って倒れていたんですが。それより前の記憶がないんです。でもきっと多分、ないと思うんです」  ロイさんとキンさんは、また顔を見合わせてる。ぼく、何か変なことを言ったかな。本当のことだけど。 「お前、もしかして仲間に捨てられたんじゃないか?」 「えっ…?」  なんていうのかな。ものすごく気の毒そうに、キンさんが呟いた。どうしてそんなことを言うんだろう。 「端的に言ってしまえば、お前のような白っぽいペンギン族なんざ、俺達は見たことがない。同族からあまりにも違うペンギン族が生まれたとしたら、それは追い出されるか、村八分にされるか。運が良ければロイたちの仲間みたいのもいるにはいるが」 「それは、どういう?」  ロイさんは丁寧に付け加えてくれた。キンさんの説明だけでは、ぼくにはちんぷんかんぷんだと思ったからだろう。ロイさんは顔が白いけれど、同じ種族の中に時々顔が黒っぽいペンギンが生まれるということだった。そうすると、多分テッドさんたちみたいなペンギンになるのかも知れない。でもそんなに模様が違ったら、普通は違う種族だ。だから、本来は生まれた場所を追われるか、群のすみっこにひっそりと暮らすことが多くなるのだという。でもロイさんたちの種族は、そういうペンギンが居ても遠ざけたり追い出したりはせずに、同じコロニーで過ごすのだという。 「だが、大抵はそういう異分子を嫌うものだ。だから、普通のペンギン族は自分たちと極端に姿が異なるものを排除したがる」  ぼくは背筋が凍りついた。追いたてられて、そしてあの北の島へたどり着いたんだろうか? だとしたら、ぼくが南の島へ戻るのは、寧ろ望まれていないことなのだろうか? ぼくは自分の故郷を探してはいけないんだろうか? 「いや、だが、もしお前の仲間がおれたちの種族みたいなペンギン族だとしたら、お前が戻る価値はあるさ」  でも、自分自身が信じていないことを他の誰かに信じさせようと思っても、それはとても無理がある。ぼくもそんな話を聞いたって、そうだとすぐに信じることは出来なくなってた。ぼくが帰ることが出来たら、仲間たちは本当に喜んでくれるのだろうか? それとも、「何故戻ってきやがった」って蹴飛ばされたりフリッパーで叩かれたりしちゃうんだろうか。厭な考えが次からつぎへと頭の中に浮かんでくる。でもぼくにはそれを消してしまうことは出来なくなっていた。 「迷いはあるかも知れないが。お前は、故郷を探すべきだ。そこで仲間達が受け入れてくれなくても、お前がそこへ戻れない理由がはっきりした方がいい」  ぼくはちょっと落ち込んで、離れていくロイさんとキンさんを見つめていた。打ち寄せてくる波の音が、ぼくをそっと慰めてくれるような気がした。ぼくは、油がみっしり付いたフリッパーにそっと嘴を寄せて、手入れをはじめた。また、故郷へと旅を続けるために。もしぼくが嫌われていたら、故郷を出ればいい。ただ、真実だけを求めにいくんだ。そう自分に強くつよく言い聞かせて。  油は、中々取れなかった。アズさんたちの島でもいっぱいついてしまった油を何とかとったけれど、こっちの方がしつこいみたい。黒くて重くて、本当に臭くって気が滅入ってしまう。また海に入れば同じ油が待っているかも知れないけれど、それでも泳ぎのキレを少しでも戻せるなら、頑張って綺麗にしたい。 「よう、精が出るな」  ロイさんとキンさんが、また今日も連れ立って歩いてきた。どうもロイさんたちはそれぞれの種族のリーダーみたい。両方の種族が喧嘩をせず、仲良く共生していくために最初はリーダー同士が仲良くならなくちゃってことだったけれど、何時の間にかお互いペンギン族として仲良くなってたんだ。って言うんだ。それはきっと大変なことだったんじゃないかなって思う。種族が違えば餌も違うだろうけれど、完全に競合しないで生きていくのは難しいから。同じ時期に繁殖して雛が孵ったら、同じように餌が必要になってしまう。そうしたら、競合したくなくたって、競合せざるを得ないんだから。 「まあな」  そういってキンさんは首を竦めた。でも、そうしながらそっと視線をロイさんに向けてる。なんていうのかな。心を配ってるのが、とても良く判る。 「ホワイティ、お前に一つ情報をやる」 「えっ」  キンさんはぼくの反応を楽しんでるみたいに笑うんだ。 「南の方の、本当に寒い寒い氷だらけの大きな島に、俺と良く似た種族がいると聞いた。体格はお前より大きいらしい。お前の体の模様は矢鱈と白っぽいが、行ってそれを確認するだけの価値はあるだろう」  隣に控えていたロイさんが、にっこり笑った。 「おれもひとつ情報をやろう。油の海は人間どもの仕業だ。やつら、自分で大海原を渡れねえもんだから、道具を使っていやがるんだ。その道具が垂れ流した油が、あれよ。それを避けるには、なるべく浅い、岩場が多い海をゆっくり行くといい。人間どもが使う道具は、ある程度の深さがないと使えねぇらしいからな」 「すごい。詳しいんですね」  そのとき、ロイさんの表情が暗いものになったことに、ぼくは気付いた。 「厭でも詳しくなるさ。あいつらのおかげで、おれたちの種族は…。仲間はこんなに減っちまったんだ」  ぼくは思わず聞き入った。それは、とても辛い過去だったんだ。ロイさんの仲間たちが大量に人間たちに捕まって、ぼくたちの素敵な脂を採っていたってこと。大きな丸いものに沢山のペンギンが次々に放り込まれて、殺されていくなんて、なんて酷いんだろう。ぼくたちペンギン族が彼らに何かをしたっていうんだろうか? 「しみったれた話になっちまったな。今はそういうことも減りはしたけどよ。今度は脂を採りに来るんじゃなくて、油を落としにきやがる。それに、人間が連れてくるやつらはおれたちの雛や卵、下手するとおれたち自身を狙ってきやがるからな。おれたちは連携プレーでお互いに協力し合ってるって訳さ。ま、それに時々旅ペンギンには有益な情報を与えてやることも出来るしな」  そっと片目をつぶる。合図なんだか目にゴミが入ったんだか判らないような感じだけど、でもそんなことはどうだっていい。 「ロイさん、キンさん。ありがとうございます!」  ぼくは遠ざかっていくリーダー達に深く頭を下げた。キンさんとロイさんは連れ立って海へと歩いていき、やがて白い波頭の向こうに消えていった。ぼくは、教えて貰ったことを頭の中で反芻しながら、遠い南の大きな島のことをあれこれと考えていた。 八  ロイさんたちと別れて、ぼくはまた海へと飛び込んだ。もっと南へ、南へと。そういえば、暫く気にしていなかったけれど、ガラさんのいた島よりもぼくの憶えていた太陽に、ちょっと近い。もっと楕円というか、歪んで平べったい太陽だったけれど。そして水もどんどん冷たくなってきてる。それがとても気持ちがいいんだ。何だろう。懐かしいってこういう感じなのかも知れない。  陸地が見えて、ぼくはほっとした。石と土が見えて、遠くには鋭く尖がった山も見える。そして、山には白いもの。 「『雪』だ」  あ、あれ。ぼく、今何て言ったんだろう。「雪」だって? それってどういうものなんだろう。あの白いもののことなんだろうか。  あそこまで行くにはとても歩かないといけないみたい。でもその前に、ここにはペンギン族がいるんだろうか。  陸地に上がって、体をぶるぶる。水は一気に切れるけど、乾くほどじゃない。 「いってえ!」  すごく近くでした大きな声に、ぼくは思わず振り向いた。ぼくは気が付いてなかったんだけど、すぐ後ろに、ペンギン族が居たんだ。 「何しやがんだよ、ちゃんとまわりをみてぶるぶるやれよ! 今度やったら突っつくぞ!」  ものすごく不機嫌そうに、というのは当然だよね。ぼくがぶるぶるやった水飛沫を浴びたんだから。おまけにこの辺はとても寒くて、水飛沫もちょっと痛かったんだろうなぁ。 「ごめんなさい、気が付かなくて。ところでペンギン族ですよね? ちょっと教えて頂きたいんですけど」  良く見ると、とても小柄なペンギン族だった。黒い頭と背中、足はとても綺麗なピンク色でフリッパーの内側も同じピンク。嘴の先の方は少し黄色とピンクが混じったような色だったけれど、ちょっと洒落た感じがする。 「やなこった!」  そういうとペンギン族はさっさと歩いて行ってしまった。ぼくは諦めて違う方へと歩き始めたんだけど。 「ぎええええ!」  大音量の悲鳴を聞いて、ぼくはそっちに向った。見ると、さっきのペンギン族が、何かに捕まって困ってるみたい。 「だだだ、誰か、助けてくれー!!」  でも困った。近くには誰も居ないみたい。ぼくだけで大丈夫かな。ちゃんと助けてあげられるかな。 「大丈夫ですかー?」 「馬鹿野郎、大丈夫なら助けを求めたりしねーんだよっ!」  ……そういわれれば、そうかも知れない。ぼくは、とりあえず近寄って行って、どうすればいいのか考えることにした。近寄ってみて、とても驚いた。石とも木とも砂とも土とも違う、何か不思議なものが、とっても一杯転がっていたんだ。どんな素材なんだろう。すごく鋭くて、痛そうなものが多かった。きらきらした色をしているものもあったけど、ちょっと茶色でざらざらしてるものもいっぱい。それは触ったら怪我をしてしまいそうな感じだった。そして、叫び声の主はといえば、何かに挟まってるみたいだった。どうも足を滑らせて、そこにものが落ちてきたみたい。とっても重さがありそうで、ぼくだけで持ちあげるのは無理な気がした。 「こ、これを、どかして、くれ」  さっき叫びすぎて疲れちゃったのかな。ちょっと息を切らしてる。ぼくのフリッパーで持ち上がるかどうかは自信がなかったけど、でもぼくに出来る精一杯をやらなくっちゃ。 「じゃあ、いっせいのせで動かしますよ。頑張って下さいね」 「いっせいの…」  ぼくはペンギン族の上に乗っかった塊を一生懸命持ち上げた。必死に体を横にずらして塊から逃げようとしてるけど、上手くいかないみたい。 「もうちょっと上げられないか」 「すみません、これが精一杯で」 「フリッパーで持ち上げてるからそうなんじゃねーか。そのばかでかい足で蹴っ飛ばせよ」  ぼくは吃驚して、思わず止まった。その途端、ぼくが支えていた塊がまたペンギン族の上に乗っかって、苦しそうな悲鳴があがる。 「馬鹿野郎、何しやがんだよ」 「あ、ごめんなさい。思いがけなかったから」  ぼくは慌ててフリッパーを足と交換して、えいやっと力をいれた。そうしたら、何とそれは反対側に倒れて、あっという間にペンギン族は自由を取り戻せたんだ。 「ふー。死ぬかと思ったぜ」  冷たい汗をいっぱいかいてるみたい。大丈夫かな。 「助けてくれてありがとよ。さっき邪険にしたから助けてくれねーかと思ったぜ」  それからぼくたちはお互いに名乗り合った。名前はリーさんと言って、これからコロニーに巣を作りに行くところなんだって。 「この辺は石が多いからな」 「石? 石を一体何に遣うの?」  ぼくがきょとん。って目を白黒させてたら、リーさんは怒ったみたいに声をあげるんだ。 「巣を作るにきまってんだろ! 高く積み上げた方が子育てに成功する確率が高くなる。すると雌が寄ってくるんだぜ。巣作りに失敗しちまった雄は雌に洟も引っ掛けられないんだからよ」 「へええ! そうなんだ?」  確かにこの辺は石が多いみたい。でも違うものの方が多いような気がするのは気のせいかな。 「いや、多いさ。このあたりは人間が要らねえものを置き去りにしてった場所だからな」  さっきリーさんの上に乗っかってた大きな塊は、石よりもずっと重かった。形も妙に四角っぽくて、ごつごつしてて。細長いものとか、すごく鋭くて触ったら怪我しちゃいそうなものとか、一杯あるし。ここって大丈夫なんだろうか。 「巣作りに使えそうなものがあるから取りに来たんだけどよ。今回は諦めた方が良さそうだ」  リーさんはすごく悔しそうな顔で呟いた。 「さっき、足を捻ったらしい。何往復もしなくちゃいけねーのに、これじゃいくら石を見つけても持っていくのには時間がかかっちまう」  そして、「下手すりゃその辺のやつらに大事な石を持っていかれちまう」と泣きそうな声で呟いた。 「えーと。じゃあぼくが手伝うっていうのは、駄目ですか」 「え?」  まんまるになったリーさんの目ったら、可愛かったなぁ。  石を盗まれないように、リーさんは巣を作るあたりにいて、ぼくが石を持っていく。そう取り決めをして、ぼくは何度も行ったりきたりすることになった。うっかり目を離すと、何時の間にか盗まれているからずっと見張ってないといけないんだって。素敵な巣が出来れば、きっと雌が来てくれる。そうしたら繁殖も出来るんだ。今は足を捻ってるけど、卵が生まれるまでにはきっと治ってるから、子育ても大丈夫だ。そういってリーさんは丁寧に石を積み上げていく。隙間を作らないように積み上げるのが、しっかりした巣作りのコツなんだって。ぼくは何度も往復した。その甲斐あって、リーさんの巣はとっても素敵な出来ばえになったんだ。あともう少し石を積み上げたら完成かな、ってところで、不意に声が聞こえたんだ。 「リー、良いのが出来たじゃない?」  近づいてきたのは、雌のペンギン族だった。途端にリーさんの声の調子が変わる。 「おう、アディ。なあ、今年こそ一緒になってくれよ?」 「そうねぇ、結構良い出来みたいだし?」  チラッと盗み見るみたいに視線を走らせると、リーさんは一層興奮したみたい。 「これだけ石を積み上げたんだ。繁殖だってばっちりOK!だぜ。なあ?」 「そおねえー」  ぼくはリーさんのとっても切実な視線を感じながら、恐る恐るその場をゆっくりと離れて、また新しい石を持って来ることにしたんだけど。暫く経って石を持って戻ったときには、リーさんだけだった。 「リーさん? あの……」  まんまるの目から、涙がものすごい勢いで溢れだしてた。ぼくは驚いて回れ右をしたんだけど、リーさんはぼくをひきとめた。 「くそ、アディ。最初っから石が目的だったんだ」  既に繁殖のパートナーを決めていて、若い雄を騙して石を奪う雌がいるんだ。とリーさんはボロボロ泣きながら言った。アディさんは、リーさんと繁殖行動をした後、リーさんが眠るのを待って、石を持って行ってしまったらしい。 「良い雌は競争率が高い上に繁殖成功率も高いんだけどよ」  そう言ったリーさんは、アディさんに騙されたことは恨んではいなかったみたい。振られたのは堪えたみたいだけど。 「もっと素敵な雌ペンギンに、きっと出会えますよ」  ぼくはそういってリーさんの頭をフリッパーでそっと撫でた。 九  大分南へ来たような気がする。冷たい水分を含んだ風は、どきどきするほど心地良かった。ふと見上げた太陽は、でもそれでもぼくが憶えているそれより、ほんの少しまだ明るい。もっと地平線すれすれの太陽が、ぼくの憶えている一番最初の太陽だ。ご飯の魚やタコ、イカ、オキアミなんかをぱくぱく食べながら、ぼくはどんどん進んだ。ぼくが生まれたであろう、大きな南の島へ。そこに何が待っているかは判らないけれど。  何度目かの島を見つけて、ぼくは上陸した。見渡すと、地肌が露出した岩だらけのところに、ペンギン族がいるのが見えた。ぼくは驚かせないように近づいて、声をかけた。そう、驚かせないつもりだった。 「あの、すみません」  顔がとっても白い、本当に白いペンギン族だった。嘴は黒に近い灰色で、頭の天辺は黒。赤い目は横に細くて長い。それからとても綺麗なピンク色の足。そして何より特徴的だったのは、顎紐みたいな黒い一筋の線だった。今までに会ったことがない、ペンギン族だった。でもそのペンギン族はぼくを見るなり、細長かった目を思いっきり見開いて、口をパクパクさせている。何か驚かせるようなことをしてしまったのかも知れない。 「ぼくみたいなペンギン族を…」  とりあえず話してみるだけでも。と続けてみたのだけれど、それは無意味だった。だって、ぼくの話を聞く前に慌てて海に飛び込んでしまったから。流石にちゃんと全部聞いて貰う前に行かれてしまったのは初めてだったので、とっても落ち込んだって仕方ないと思う。もしかして、ぼくの風体がとてもあやしくおかしく見えたのかな。一瞬そんなことが頭を過ぎったけれど、とりあえず、ぼくは島を探検することにしたんだ。初めての島でどきどき。でもちょっとだけ足を引き摺るような気分になったのは、さっきのことが頭にあったからだ。ぼくのどこがいけなかったのかな。ちゃんと友好的にお話するようなペンギン族には見えなかったのかな。怖いペンギン族に見えたのかな。そんなことを考えて歩いていたら、さっきのペンギン族と同じ種族らしいペンギン族に出会った。 「すみません、ぼくはホワイティと…」  今度のペンギン族はちゃんと話を聞いてくれるといいな。そう思いながら声を掛けたんだ。細長い目はそのままだったけど、大きく嘴を開けて、ほんのちょっと止まったかと思えば、急に後ろを向いて猛ダッシュで走り始めたんだ。岩だらけの足場が悪いところで走るなんて、とても無茶だってぼくは思ったから、慌てて、でも吃驚させないように叫んだんだ。 「すみません、驚かせるつもりはなかったんです。話を聞いて貰えませんか?」  それだけじゃ駄目だって、ぼくはそのペンギン族をおっかけて走り出した。でも却って怖がらせてしまったかも知れない。途中、何度も引っくり返りながら、そのペンギン族はどんどん走っていってしまうんだ。 「待って、お願い」  次にペンギン族に会えたとしても同じような反応を示されるかも知れない。ぼくには何となくそういう危機感があって、一所懸命追いかけたんだ。多分、今までの中で一番早い走りだったってぼくは自負してる。でも顎紐のペンギン族の方が、きっと島の土地に慣れてるせいだと思うんだけど、どんどん走っていって、ぼくは何時の間にか置いていかれてしまったんだ。結構歩いたつもりだったんだけどな。次にペンギン族に会えるのは、いつになるんだろう。そう思ってペンギン族が消えた方へそのまま歩くことにした。  暫く歩いて、岩の山を見つけた。今回も手がかりゼロか。とそんなことを考えながら、ぼくはそこによじのぼった。そして、とっても吃驚したんだ。一面に広がる、ペンギン族のコロニー。かなり大規模なコロニーだ。それも、さっきぼくが声をかけたペンギン族と同じ種族の、顎紐が特徴的なペンギン族。さっきは怯えてすごい勢いで逃げていったペンギン族が、ここでは仲間同士喧嘩をしてる。突き合ったり、体当たりをしたり。このペンギン族はとても仲が悪い種族なんだろうか。ぼくは目の前で展開してる喧嘩に唖然としてしまったんだ。だって、コロニーにいるペンギン族、それも同種族が喧嘩をしてるんだ。それもその大半が。流石に怪我をするほど手酷く突き合ったりはしないみたいだけど、なんでこのペンギン族はお互いに喧嘩をしてるんだろう。巣を守るために、近づくペンギン族を威嚇したりっていうのは今まで何度も見てきたし、ぼく自身が威嚇されたことだって何度もあった。でも、これはちょっと異常だっていうのはぼくにだって判る。 「お前、何者だ?」  不意にすぐ近くから声をかけられて、ぼくは文字通り飛び上がった。見ると、黄色い眉をとっても素敵にキメた、ペンギン族がすぐ傍に居た。ロイさんの顔が黒くなったみたいなペンギン族だった。多分、大きさもあまり変わらないと思う。 「あ、あ。すみません。吃驚してしまって。ぼくはホワイティ。仲間を探す旅をしています」  今までみた黄色い眉のペンギン族の中で一番眉がしっかりがっしり付いていたのは多分テッドさんたちだと思うんだけど、もっと少なくて、バラけている感じ。でもそれが恰好よく流れて見える。 「ん? お前、若鳥か。流鳥だな?」 「りゅう…ちょう?」 「なんだよ。そんなことも知らねーのか。流れもんの鳥ってことよ。繁殖にはまだ若いペンギン族が旅をすることさ」  ぼくはへええ!って感動して、そのペンギン族をじっと見つめた。 「物知りなんですね!」  そういったら、すごく照れてるみたい。足で首の周りを掻いてる。 「ロニーだ。宜しくな」  ロニーさんは、フリッパーを差し出してくれた。ぼくは、同じようにフリッパーを差し出しながら、何か温かいものがほっぺたをつつー。って伝っていくのに気付いたんだ。 「宜しくお願いします」 「お、お前どうしたんだよっ!?」  今度はロニーさんが飛びあがって驚いてる。どうしたんだろう。 「え?」  ぼくは不思議になって、首を傾げた。 「一体何で泣いてるんだよ?!」  あ、これ。そうか、これって泣いてるっていうんだ。 「判りません。ただ、すごく胸のあたりがぽわーって熱くなって、そうしたらつつつーって。ぼく、どうして泣いてるんでしょう」 「お前…、マジかよ」  どうしてだろう。って良く考えて、ぼくは気付いた。「宜しく」って言われたのって、初めてだったんだ。何か、その一言だけでとっても温かくなったんだ。 「良く判らないんですけど、『宜しく』って言われたの、生まれて初めてだったんです。そしたら、こう。胸のあたりが、ぼわーっ。ってあったかくなって」  暫くあっけに取られてたみたいだったけど、ロニーさんはぼくが泣きやむまで、静かに待っていてくれたんだ。そっと、隣で。 「ありがとうございます」  ロニーさんはぼくがそういうと、優しく微笑んでくれた。黄色い眉みたいな毛が、そっと風になびいて、とってもきらきらして見える。 「仲間を探す旅か。さぞ辛かったことだろうな」  包みこんでくれるような声が温かくて、ぼくはまた泣きそうになった。でも。 「いえ、楽しいことも吃驚することも沢山の、素敵な旅でした」  威嚇されたり、しっしって追い払われたこともあったけど、でも大半のペンギン族はみんなちゃんと話を聞いてくれたし、手がかりをくれた。 「素直な、いい心がけだ。だが、それだけではうまくいかないこともある。さっきのやつらを見たろう? コロニーで大喧嘩してた奴ら、顎紐のやつらを」  ぼくは深く肯いた。仲間同士で喧嘩なんて、良い事だとは到底思えなかったから。 「あいつらは、単体だと臆病で、何かあるとすぐ逃げる。だが、仲間同士で集まると、気が荒くて良く喧嘩になる種族だ。集団に戻った途端に喧嘩っ早くなる面倒な種族でな。それで、他のペンギン族との関わりは皆無なんだ。だからこの近くにいるペンギン族は、あいつらのことを見て居ない」  そうか、だからさっきぼくが声を掛けただけで逃げちゃったんだ。 「ところで。お前の種族だが」  首のあたりを足で掻きながら、ちょっと考えこむような顔をしてる。何か、手がかりがあるのかな。そうだったら嬉しいな。 「ペンギン族の中でももっとも大きな種族が、『最果ての氷の島』にいる。それは、さっき出てきたキンという奴に良く似た色をしているが、もう少しでかい。サイズからいえば、お前はその種族の若鳥くらいだ。しかも、『最果ての氷の島』なら、お前の言っていた、地平線すれすれの太陽という条件にもぴったりの場所の筈だ。お前とは色は違うが大きさは近い。行くだけの価値は、絶対にあるだろう」  それから「お前の仲間が、探してくれていることを祈っている」と笑って片目をそっと閉じた。ぼくはまた胸のあたりが温かくなるのを感じながら、遠ざかっていくロニーさんに深く頭を下げた。 十  ぼくは、『最果ての氷の島』を目指して、南へと泳いでいた。海は深い闇みたいな色で、気が遠くなりそうなくらいに冷たい水が、とっても気持ちが良い。この底はいったいどこにあるんだろう。きっと、とてもとても深いんだろう。ぼくは手近にいたオキアミをぱくん。と食べた。その瞬間、ぶわっと涙がわいてきたんだ。なんだろう。胸がつん。ってなって、すごく切ない。でも何か、懐かしいんだ。オキアミなら今までだって食べてた筈だ。でも、このオキアミはちょっと違う。何でなんだろう。そう思いながら進んでいくと、ペンギン族の群に出会ったんだ。オレンジ色の足と嘴、両目のすぐ上から伸びて天辺で繋がってる白い帯みたいな模様があって、それがとても素敵だった。どうも皆で狩りをしてるみたい。ぼくは狩りの邪魔にならないようにそっと避けて、少し離れた場所から、その様子を観察してた。 「うわあ」  多分そのペンギン族が吐いている息なんだろう。白くて小さな気泡が、南の海の、深い深い闇に数え切れないくらいに広がって、とても幻想的に見えた。包囲網を狭めて小魚やオキアミだらけになったそこを、今度はペンギン族が次々に素早く泳いで、獲物を捕まえてる。ものすごく呼吸のあった連携プレー。狩りは大成功みたい。  思わず見惚れていたんだけど、良く考えたらまた邪魔になっているかも知れない。ぼくは慌てて水面に戻った。そうしたら、さっきのペンギン族がどんどん近くの岸に上がっているのが見えた。濃い黒色をした地面には、もう既に到着しているペンギン族がいるのが見えた。それもたくさん。そうか、ここはコロニーなんだ。 「あなた、お帰りなさい」 「ただいま」  そんな声がそこかしこから聞こえてくる。すごく優しい気持ちが籠もった声だっていうのは、ぼくにもすぐに判った。胸の中に温かい光が灯ったみたいに。 「おい?」 「はい?」  唐突に声を掛けられて、ぼくはそのまま反射的に答えた。その声の聞こえた方を見ると、コロニーの住人が皆こちらを向いていた。 「うわあああー! ごめんなさいっ!!」  慌てて水に飛び込もうとしたけれど、何時の間にか結構進んでたみたい。ぼくは思いっきりすってーん。って転んでしまったんだ。 「あらあら。しょうのない坊やね」  綺麗なオレンジ色の足が近づいてきて、静かに、そして優しく頭を撫でられた。 「大丈夫? 立てるかしら? おっきしてご覧なさい?」  ぼくは声を掛けてくれたペンギン族を驚かせないように、出来るだけゆっくりと、そしてそっと立ち上がった。でもそのペンギン族はちっとも驚いていなくって、それどころか、ぼくと目が合うとにっこり。って笑ってくれたんだ。 「怪我はない?」 「は、はいっ!!」  空から降ってくるみたいな綺麗な声に、ぼくはどきどきして直立不動になった。そして、そのペンギン族が意外に大きいことに気付いたんだ。今まで会ったペンギン族の中で一番大きかったのは、キンさん。そのキンさんよりほんの少し小さいくらいだと思うんだ。でも、あれ。さっき、ぼくのことを「坊や」って呼んでくれた。ってことは、ぼくが若鳥だって一目で判ったってことだ。そしたら、もしかして…! 「あの…! ぼくみたいなペンギン族をご存知ありませんか?」 「え?」  首を傾げたら、頭の白い帯も一緒に斜めになって見えた。  ぼくがすっかり話し終えた頃には、結構な時間が経っていた。そのペンギン族――ジェンさんと名乗った――は、しょっちゅうつっかえて聞き苦しいだろうに、ぼくの話を根気強く静かに聞いてくれた。 「確かにあの『最果ての氷の島』には、あなたと同じか、それより大きいペンギン族がいるわ。とても大きなコロニーを作って、連帯感がとても強いんですって。ただ、あなたみたいな羽の色をしたペンギン族は居ないわ」 「そう、ですか……」 「ただ…」 「ただ?」  ジェンさんは少し言い淀んだけれど、結局頭を振って。 「いえ、なんでもないわ。行って、確かめて見るのが一番でしょう。冷たいのは大丈夫ね?」  深く肯くと、またあの優しい笑顔を見せてくれた。 「行きなさい。あなたの太陽が待つ、その場所へ」  ぼくはジェンさんに頭を下げて、『最果ての氷の島』へと向うために、また冷たい海に飛び込んだ。  深い深い青がどこまでも続いている海を南へと向う。その先に、漸く何かが見えた。ずっと聞いていた『最果ての氷の島』かも知れない。青い海の上に、白い雲にほんの少し海の水の青を混ぜたような、ものすごく白い、でも澄んだ色の壁が見えた。今まで見たどんな崖よりも鋭く切り立ったそれは、海からそそり立っているようにも見える。と思ったら、その天辺の近くの塊が、いきなり凄まじい音を立てて崩れおちて、ゆっくりと海に沈んでいくのが見えた。「凝縮された海」そのものみたいな透き通った青白い塊は、あまりにも鮮やかで、そして崩れ落ちていく様は圧巻だった。ぼくは思わずあんぐり口を開けて見ているしか出来なかった。海の上にも白いものが沢山浮かんでいる……というより、近づくと、雲みたいに白くてふわふわってしているように見えるものがあった。その隙間に海が覗いているのが見える。という方が正しいのかも知れない。勢いこんで飛んだらそのまま氷の下に落ちちゃうんじゃないかって、一瞬怖くなったけれど、ぼくはどんどん近づいて行った。そして、えいやって思い切ってジャンプして、白いものの上に飛び乗ろうとしたんだ。でも、その時。ぼくは反対側から海に飛び込もうとしている影があるのに気づいた。 「うわわわわ」  ぼくは悲鳴を上げたけど、既に飛んじゃってるんだ。方向だって変えるのは難しい。せいぜい、フリッパーでほんの少し方角を変えるのが精一杯だった。相手もそうだったらしくって、でも正面衝突は何とか避けられた。空中でフリッパーがちょっとぶつかって、お互いに白いものの上に落ちたから、怪我も大したことないみたい。良かった。 「ごめんなさい、大丈夫でしたか?」  声をかけて、そちらの方をみて、ぼくは心底吃驚したんだ。キンさんに良く似たペンギン族が、そこに居たんだんだもん。でもキンさんより背中が黒っぽいし、もっと、ちょっと横に大きく育ってる感じがした。でも何より驚いたのは、そんなことじゃないんだ。 「ふー。痛てて。俺様に感謝しろよ? 俺だから避けられたんだからな」  フリッパーで頭を撫でて、そのペンギン族はそう言った。でもあれは不可抗力じゃないかな。ってぼくは思ったんだ。そのペンギン族がぼくを見て「うん?」って顔になるまでに、そんなに時間は掛からなかった。ペンギン族は、とてもぼくに似ていたんだ。色の違いはあるけれど。 十一  ぼくとそのペンギン族は、暫くじっと見つめあってた。ような気がする。というのも、あまりにも吃驚してしまって、動けなくなっちゃったからなんだ。それから、そのペンギン族はものすごい悲鳴をあげて、猛スピードでダッシュして、行ってしまった。最初は二足歩行でばたばたと、途中でコケてからはトボガンで。 (注:トボガンとは、ペンギンが腹ばいになって、フリッパーでバランスを取り、足で蹴って進む方法をいう。二足歩行よりずっと早いので、遠距離移動などに良く使われる。まるで橇のように見えることから、北欧の橇「トボガン」の名で呼ばれている)  ぼくは少し不安になった。やっぱり帰って来てはいけなかったんだろうか。ここを、ぼくは「石もて追われた」のかな。そんな想いが頭の中をぐるぐる旋回してるみたいで、どうしたらいいか判らない。居場所がない。行く場所が見つからない。限りなく地平線に近い太陽だけが、ここが、ぼくが記憶していた場所にとても近いところだということを教えてくれる。でも、それはぼくにとっての生きる場所ではないのかも知れない。そんなことを考えたけれど、失われてしまっているぼくの記憶を取り戻すためにも、そしてぼくのこれから生きるべき場所を見つけるためにも、ぼくは本当の「故郷」へ帰らなければならないって思ったんだ。その場所は、ぼくが見た太陽の記憶が教えてくれるはず。いつまでもそこでグダグダしてる訳にはいかない。ぼくは胸いっぱいの不安を抱えて、歩き出した。  どこまでも白い白い大地が、どこまでも続いている。重い足を引き摺るように、ぼくは歩いた。トボガンで進むことも考えたけれど、太陽の位置を確認しながら歩くなら、歩いていくのが確実だと思ったからだ。でも本音をいうと、ちょっと。ううん。すごく。ぼくは怖かったんだ。故郷にたどり着いたときのことを考えるのが。長い道のりを越えて帰ってきた故郷で、何を言われるのかが。記憶があったら、ぼくがどうしてここを離れたのか、判るだろう。もしくは離れなくちゃいけなかったのかが。でも今のぼくには、そういうことは何ひとつ判りはしないんだ。だから、たとえ嫌われても、迷惑だって言われても、ぼくはその理由を知らなくちゃいけない。  大きな山を越えて、ぼくは黙々と歩いてた。そういえば、暫く何も食べていない。お腹は少し空いてはいるけど、暫くの間なら耐えられそうだった。そんなときだった。ぼくは、ひとつのコロニーを見つけたんだ。  コロニーには、ぼくが見つけた、あのペンギン族と同じペンギン族が、沢山いた。そして、どんどん到着してるみたいだった。トボガンで来るペンギン族、歩いてくるペンギン族もいる。コロニーはとても大きく見えた。こういうコロニーはこの「最果ての氷の島」に一体どのくらいあるんだろう。でも、そのコロニーは今までみたペンギン族のコロニーとは、全然違っていたんだ。例えばそう、他のペンギン族はみんな、巣を作る。でも、このペンギン族には、巣がないみたい。石や羽や木や土で、巣を作ったりはしないみたいだった。それとも、まだ繁殖期じゃないから巣を作らないってことなのかも知れない。  少しずつ集まっているペンギン族は、多分殆どが顔見知りなんだと思う。頭を下げたり、声を出したりして、とても優雅な挨拶を交わしていて、すごく賑やかだ。そして、とても楽しそう。このコロニーは、ぼくを迎え入れてくれるかな。ぼくの故郷とは少し太陽の位置が違うような気もするんだけど、でもきっとそんなに離れている訳ではないような気がする。それとも、入ろうとした途端追い出されてしまうんだろうか。ぼくはそんなことを考えたけれど、でもコロニーには怖くて近づけない。何が怖いって、多分拒否されるのが、だと思う。長い長い旅をして、遥かな海を越えて、故郷に帰ってきて。そこでもし拒絶されたら、ぼくは本当にどうしていいか判らないもの。拒否されることが平気なんて、ない気がするんだ。行動しなくっちゃそのまんまってことは判ってる。でも、ぼくには声を出して、挨拶をして、「仲間に入れて貰えませんか」って言うだけの、ほんのちょっとの勇気が足りないんだ。ここまで来て、そう、あんなに長い旅をしてきて、ぼくは少しも成長してない。ううん。寧ろ、ここに向う途中のほうが、きっと勇気があったんだ。どこでその勇気を落としてきてしまったんだろう。そんな馬鹿なことを考えたりして、本当にぼくは馬鹿だ。 「おい」   振り向くと、あのペンギン族がそこにいた。 「お前、一体何者なんだ?」  ぼくは思わず、じっと相手を見つめた。 「ぼくは…ペンギン族だと思う。多分、この『最果ての氷の島』で生まれて。……ぼくは、自分が誰なのか、判らないんだ」 「何だと?」  胡散臭げにぼくを見つめているペンギンは、すごく鋭い目つきをしてた。もしかしたら、このコロニーのリーダーなのかも知れない。それだったら、不審なペンギンがあたりをうろついているのを嫌っても仕方ないよね。だから、ぼくは話をした。一番最初に、あの暑い島で目が醒めたときからの話を。長いながい、ぼくの旅の話を。全て話し終えたとき、ペンギン族――ペールさんって名乗ってくれた――は何とも言えないような顔をしてた。 「そうだな。おれたちと、多分お前の種類は同じ種類かも知れない。色がこんなに違うけれど。でも、このコロニーには、そんな色で生まれた奴は今まで居なかった。だから、お前の故郷はここではない、どこかのコロニーだと思う。だが」  一呼吸おいたとき、深く息を吸ったのがぼくにも判った。 「お前の羽の色は、もしかしたら、故郷のやつらに、歓迎されないかも知れない。それは、考えておいた方がいい」  すごく冷静に指摘してくれたのは、きっとペールさんの思いやりだと思う。でも、今はちょっと要らなかったな。だってそれはぼくがずっと考えていたことなんだもの。指摘されて、余計凹んじゃったのは仕方ない。 「い、いや。そんなに脅かすつもりはなかったんだが。そんな羽の色は、今までみたことが無えしなぁ。強いていえば、俺達の雛どもの、生まれて一番最初に生える羽が少し似てるっちゃ似てるか」  気を逸らすみたいに、慌てて言ってくれた言葉も、ぼくにとっては慰めにさえならない。でもこれはぼくの勝手な事情だ。ペールさんには全く関係がないことなんだもの。そうだ、今まで旅の途中で出会ってきたペンギン族たちだって、ぼくとは全然関係ないのに、親身になって話を聞いてくれたり、アイディアをくれたりした。ぼくが知りたいと思ったことを教えてくれたペンギン族だっている。そういう情報は、当のペンギン族にとっては、一文の得にだってならないんだ。なのに、それをしてくれた。純粋な、好意で。ぼくは、出会ってきたいろんな種族の動物たちの好意で、やっとここまで来れたんだ。ぼくが本来生まれただろう場所、この「最果ての氷の島」へ。ぼくは確かにぼくだけだけど、でもぼくだけじゃない。いろんな動物たちの好意で支えられて、ここまで来ることが出来た。だったら、こんなところでぐずぐず考えこんでいるのは、そういう動物たちの好意に対する背信行為とさえ言えるんじゃないだろうか。 「ありがとう、ペールさん」  ぼくは、何が何でも行かなくちゃいけないんだ。そういう気持ちが、体のずっと奥の方からまるで炎みたいに湧き起こってきたんだ。そうしたら、なんだろう。すごく、気持ちが軽くなってきたんだ。旅の途中で出会った、いろんな動物たちの顔が、次々に頭に浮かんでくる。優しく微笑んでくれた顔、気味が悪いと罵られちゃったこともあったっけ。あっちへ行けって言われたこともあったっけな。でも、別にぼくに害意があった訳じゃなかったし、たとえぼくの容姿が嫌われたとしても、みんな、最終的にはとても優しかったし、判る範囲内でいろんなことを教えてくれた。今から帰る故郷のペンギン族が、ぼくをどう思っていたか、どう思っているかは判らない。でも、今まで大変だと思ってきた旅のことを考えたら、そこでどんな仕打ちにあったとしても、大丈夫かなって気がした。 「なんか、すっきりした顔になったな」  隣に座っていたペールさんが、ぼくの顔を覗きこむように笑った。 「もし、故郷のやつらに見捨てられたら、このコロニーに戻って来い。多少時間はかかるだろうが、俺が何とかしてやる」  すごく頼り甲斐のある言葉に、ぼくは思わず吃驚した。 「ペールさん…、どうして?」  なんとなく、歯切れが悪そう。ぼくの顔をチラっと横目で盗見して、それから顔をあげて、遠くを見るように言ったんだ。 「……俺達の雛どもの色に、良く似てるっつったろう。お前は一応若鳥だろうが、行き倒れたりしたら、子供が死んじまったみたいで、寝覚めが悪りぃんだよ」  それって、何となく微妙な気がするな。と思ったことは、流石にペールさんには言えなかった。 十二  白い氷の世界が、何となく日毎に大きくなっている気がする。気温はどんどん下がっていて、吐く息は白い。見渡す限りに白い山と、白い氷の塊がどこまでも続いていて、手前の平原みたいな白いまったいらなところには、ペンギン族の足跡と、トボガンの跡らしきものが見えた。記憶に残っている太陽を手がかりに、ぼくはまた歩きはじめた。大きな氷の山をいくつも越える。しっかりと歩いて、でもときどきはトボガンで、どんどん進んだ。その時だった。 「『夏日』が終わったな!」 「ああ、もうコロニーへ戻らなくては」  そんな声がふと聞こえて、ぼくはそちらを振り向いた。少し離れたところに、ペールさんと同じ模様のペンギン族が見えた。丁度、ぼくのことは向こうからは見えないみたい。少し高い位置だからかも知れない。でも夏日ってなんだろう? 「すっかり日が短くなっちまったな」 「夏の暑さに慣れた体にはひときわ冷えたこの空気が堪えるぜ」 「ま、コロニーに着けばお楽しみが待ってるんだからよ」 「それもそうだ!」  口々に語り合う様子は、わいわい賑やかで、とても楽しそう。気心知れた仲間って感じがとてもする。そのときだった。そそり立つ、それが見えたのは。  白い、だけどそれだけでなくて、その中にほんの少しの青を含んだみたいな色は、冷たいことが一目で判るのに、何故か温かい感じがした。その崖は、間違いなく氷で出来ているみたい。でも、ただ冷たいだけじゃない何かが、ある気がしたんだ。そこに、太陽が横から光を差し込んでる。ガラさんの居たあの島と比較したら、細くて弱々しい光。だけどその光も、この最果ての氷の島では、大切な宝物。その宝物の光に照らされてきらきら輝くその崖は、とても大きくて、逞しくて、そしてすごく懐かしい感じがした。太陽のひかりで少し溶けたところからは、透明な氷の、細長い棒が出来ている。 「父岩だ……」  ぼくは、何時の間にかそう呟いてたんだ。でも、父岩って何だろう。何でぼくはそんな言葉を知っているんだろう。そして、なんでぼくの目から涙があとから後から零れてくるんだろう。訳が判らないまま、鼻がずるずるーっ。ってなって、涙が止まらない。そして、まるで引き寄せられるみたいに崖のすぐ傍にたどり着いたとき、ぼくは漸く気がついたんだ。そこが、どこかということに。  崖の下に広がっていたのは、とても広大なコロニー。多分、ぼくが生まれた場所だと思う。とても懐かしい匂いのする場所。そこには、何千何万っていうものすごい数のペンギン族が居たんだ。ペールさんと同じ種類の、あの大きなペンギン族が。賑やかに鳴き交わして、お互いに優雅な挨拶をしてる。お辞儀をしているペンギン族は、黒い顔に黒い背中と黒くてしっかりした足、嘴にはとても鮮やかなオレンジが入って、首と咽喉元にとても綺麗なレモンイエローが見えた。形はキンさんを一回りか二回り、大きくした感じ。色合いも良く似ているけど、キンさんやロイさんみたいなスマートな体と比べたら、もっとどっしりしていて、ずんぐりむっくりっていう感じがした。ぼくは、どきどきしながら、一歩を踏み出した。コロニーの中へと。 「あのっ…」  ぼくが声を上げる前に気付いたペンギン族も居たみたいだけど、大半はぼくの声に気付いて振り向いてくれた。 「ぼくは、故郷を探して遠くから旅をしてきました。ここは、もしかしてぼくの故郷ではないでしょうか」  一気にそれだけ言ってしまうと、あとは相手の反応を待つしかなかった。ぼくが海に飛び込んで魚を五匹くらい口に入れるくらいの時間が静かに過ぎた。そして、次の瞬間、ものすごい地響きがしたんだ。ぼくが驚いたって当然だと思う。でもそれは地震とかじゃなかったんだ。 「お、お前っ! もしかして、あの<白い希望>かっ?!」 「<白い希望>だって!」 「何ですって?」  忽ちに辺りは喧騒に包まれた。でもぼくが<白い希望>って呼ばれてるの? ぼくは<白い変なやつ>とか、ずっと旅の途中で言われていたのに。 「ぼうや! ぼうや!!」  遠くから、沢山のペンギン族の波をかき別けて、やってくる影があった。体はぼくより一回りくらい大きい気がする。とても豊かでしっかりした体をしていて、すごく安心出来そうなペンギン族だ。あれ、でも「ぼうや」って、誰かとはぐれてしまったのかな? 「ぼうや!」  すぐ近くで優しくて温かくて、それでいて綺麗な、とても懐かしい声がして、ぼくは抱き締められていた。すごく強く。でも単純に痛いんじゃなくて、とってもとっても心配していてくれたんだってことが、良く判る抱き締めかただった。そして、このコロニーに来た時にも感じた、懐かしい匂いがぼくを包みこんでくれる。それから、優しくフリッパーをぼくの頬に添えて、そっと顔を覗きこむ。どきん。って胸が高鳴った。 「ああ、ぼうや。無事だったのね」  涙で顔はぐちゃぐちゃだったけれど、その涙は、すごく心に染み入ってくるような、温かい涙だった。でも、匂いとか、腕の感じとかは記憶にあるけれど、でも実感としての記憶は戻ってないんだ。それがものすごく申し訳なかった。 「すみません、ぼく…。記憶がないんです」  はっとしたような、哀しげな目がぼくを包みこむように見つめてくれている。ああ、却って心配かけちゃったかな。でも、記憶がないのに、適当に合わせるなんて、ぼくには出来なかったんだ。 「ただ、ここの太陽のことだけ憶えていて、それだけを頼りに、ここまで旅をしてきました。失礼だけど、あなたはぼくのお母さんですか?」 「おお。おお」  涙で言葉に詰まっているみたいだったペンギン族の後ろから、慣れた様子でパートナーらしきペンギン族が現れた。とても優しい眼差しに、力強い体。穏やかで、どっしりしてる。 「そうだ。ここはお前の故郷だよ。そして、お前は私たちの子、<白い希望>だ」  そういって、そのペンギン族……ぼくのお父さんは涙を零しながら、お母さんごとぼくをしっかりと抱き締めてくれた。ぼくはお父さんのフリッパーの確かさと、お母さんの胸の温かさに、また新たな涙がこみあげてくるのを感じていた。こうしてぼくは、無事に長い長い旅を終えて、故郷に帰りついたんだ。  記憶がないぼくのために、後からお父さんとお母さんが説明してくれた。子供を待ち望んでいたのに、お父さんとお母さんはなかなか繁殖に成功出来なくって、ぼくの兄さんや姉さんたちは、雛とか卵のうちに死んでいたんだって。そして、去年。初めて換羽出来るまでに成長出来た子が、ぼく。両親が少し驚いたのは、ぼくの換羽した羽が白っぽかったこと。今まで、そういうペンギンは居なかったんだって。 「でもね、わたしたちは生まれた子が、そこまで成長してくれただけですごく幸福だったの」  もしかしたら、周りからはいろいろ言われたかも知れない。でも、換羽出来るまで、両親はぼくを一生懸命力を合わせて育ててくれた。そして、換羽してすぐ飛び込んだ海で、調子に乗ったぼくは沖合いまで出掛けて、そこで大きな波に巻き込まれてしまったんだ。記憶を無くしてしまったのは、その時頭をぶつけたからじゃないかなって言われたけど、そうかも知れない。だって、お父さんやお母さんの声を聞いたとき、とても懐かしい気持ちがして、訳が判らないままに、熱い涙が目から零れてきちゃったんだ。 「<白い希望>……」 「良く帰ってきてくれたな」  ぼくは泣かないぞって思ってたんだ。でも、お父さんやお母さんの、涙でくしゃくしゃの素敵な笑顔を見てたら、今までの旅のこととか、いろんなことが次から次へと頭に浮かんできてしまって、気付いたらぼくもわんわん泣いていたんだ。これくらいは、許されるかな。許してもらえるのかな。  「夏日」が終わろうとしてる。太陽が空にある時間は目に見えるほど日毎に短くなっていく。ちょっとずつ夜が延びていって、そして「冬夜」が。これから、長くて暗い冬が始まるんだ。でもその前に、ぼくらの種族の恋の季節があって、卵が生まれる。そうしたら、お母さんたちはお父さんに卵を預ける。とてつもなく寒いから、預けるのには時間をかけないよう素早くしなくちゃいけない。ぼくが魚を二匹飲み込む程度の時間には終わらないと、卵が死んでしまうんだ。 「あなたには繁殖はまだ早いけれど、お父さんの傍で、見守っているといいわ。その経験は、あなたにはきっとかけがえのないものになる」  そう言い残して、お母さんは海へと向った。それからすぐ、太陽が全然見えない「冬夜」がやってきた。他の殆どのペンギン族は巣を持って、そこで抱卵するけれど、ぼくたちに巣は要らない。卵を足の上に載せてお腹の体温であたためながら、皆で身を寄せ合う。だって、巣があったら皆で集まって暖を取ることなんて出来やしないもの。「最果ての氷の島」の寒さは半端じゃない。ぼくたちは吹き荒れる白い氷の風の中で、一心不乱にハドリングし続ける。黙々と歩くのは、体温と体力とを少しでもキープするため。無駄な動きや言葉はエネルギーの無駄遣いだもの。そうして、お母さんたちが海から帰って来る頃に合わせるみたいに、卵から雛が孵る。この頃になると、太陽は殆ど見えない。「冬夜」だ。「夏日」っていうのは一日のうちの殆どが太陽が出ていて、温かい時期のこと。だから「冬夜」はその反対で暗くて寒い夜が続いている。その暗い夜の終りを告げ、灯を灯すのは、雛の誕生。ピロロロロ。って、賑やかな声を出すのは、淡い灰色の、生まれたばかりのふわふわの雛たち。ぼくもこんな風な色だったのかな。ああ、そういえばペールさんが雛の色とぼくの色が似てるって言ってたっけ。とすると、今のぼくにも似ている色なのかも知れない。 (注:ハドルとは密集体形のこと。密集体形を取ることをハドリングといい、極寒の南極大陸で子育てをするエンペラーペンギンに見られる行動) 「弟はそろそろかな」  お母さんはまだ帰ってこない。ぼくはお父さんの隣で卵の様子を見つめていたんだ。 「おやおや、弟って決めているのかい」 「妹でもいいね。元気に生まれて元気に育ってくれたら」  お父さんは目をぱちくりさせて、それからにっこりと笑ってくれた。 「その通りだ」  すごく優しくて、温かい笑顔だった。ちょうどその時。お父さんの足元の卵、つまりはぼくの弟か妹の入っている卵がこつん。って割れて、けたたましいって言いたいくらいに元気な声が響いた。小さな嘴が卵の殻を必死に突いてる。 「初めまして、ぼくの弟」  ぼくは雛を覗き込んで、にっこり笑った。お父さんが「兄弟ご対面だな」ってそっと笑った。その時だった。ぱああああっ!って明るい光が、地上を一閃した。それはぼくが憶えていたあの懐かしい太陽そのものだった。長い長い、「冬夜」が終わった。父岩の向こうに、お母さんらしい影が見えたとき、ぼくは全てを思い出すことが出来たんだ。 「ああ! お父さん、お母さん! ぼく、ここで本当に生まれたんだね!」  卵から漸く這い出したぼくの小さな弟が、何だか嬉しそうに小首を傾げてぼくを見て、にっこりと笑った。  ねえ、ペールさん。ぼく、ようやく本当の故郷にたどり着いたんだ。ぼくの旅は、ようやく終わったんだ。  旅が終わったんだから、この続きを書くのは、ええと、ペールさんの言い方を借りるなら「野暮」ってことかも知れない。でも、ぼくはちょっと付け足ししなくちゃいけない気がするんだ。弟の換羽が始まって、お父さんとゆっくり話せる時間が出来たときに、「ヒト」の話が出たんだ。お父さんによれば、「ヒト」と「人間」は同じ生物なんだって。そういえば、ぼくたちがハドリングをしてるとき、黒っぽい姿をした生き物が傍でずっと見ていたけれど、あれがそう?ってきいたら、お父さんはそうだよ。って答えてくれた。ぼくは吃驚したんだ。だって、今まで聞いていたヒトとか人間って、ぼくたちペンギン族を迫害してばかりだったから。アイさんたちの話をしてみたら、お父さんは静かに教えてくれた。 「今までヒトはずっとペンギン族だけじゃない、いろんな生物を迫害してきた。でも、きっとそれがいけないことだってことに気付いたんだろうね。勿論、我々ペンギン族の大事な卵を取ってしまうような輩は今でも時々いるけれど、自分たちでそれじゃいけないんだって気付いたことは、とても大切なことだと思うよ」 「でも、アイさんたちは、住処を失ってしまった」 「勿論、そういったことに対してなんらかの援助を差し伸べる必要はあるだろうね。でも、我々ペンギン族が彼らヒト族の趣味や好みが判らないように、彼らも我々の好みは知り得ないだろう」  それは、そうかも知れない。 「それにね」  お父さんはヒトの方をチラっと見ながら、ぼくに続けた。 「どうもヒトっていうのは、我々ペンギン族の雛が大好きらしくってね。本来ヒトはもっと温かいところの生き物なのに、わざわざ我々に会いに来るんだよ。そういうのを、邪険に出来るかな?」  茶目っ気たっぷりにウインクをするお父さんは、とっても素敵に見えた。 「じゃ、もう雛を苛めたり、ぼくらを苛めたりしない?」 「多分、そうだろうね」  そんなことを話していたとき、すぐ傍から弱々しい声が助けを求めているのに気付いた。でも、辺りに雛は見えない。その時、近くでぼくたちを観察していたヒトが、ぴかぴか光る鋭いものを持って、ぼくたちに近づいてきたんだ。今までずっと近づいて来なかったのに、一体どうしたんだろう? 良く見ると、地面に穴があった。そこから弱々しい声が聞こえる。ヒトは、その穴の周辺部にその鋭いものを突きたてているみたい。見守っていたら、穴が少しずつ大きくなった。そうか、雛を穴から助けようとしてくれているんだ。その傍には、雛のお母さんらしきペンギン族もいる。長い時間をかけて氷の穴が広げられて、無事雛が出てこられた。ずっと怖くって泣きじゃくっていたんだろうな。助け出されるとすぐ、雛は覚束ない足取りで親のもとへと走り出した。  その足取りはまだまだ頼りないけれど、ぼくたちペンギン族とヒト族との関係も、こんな感じなのかも知れない。ぼくは、助け出した雛を優しそうな表情で見つめるヒト族の向こうに、太陽が昇ってくるのに気付いて、そっと微笑んだ。