突発企画パロディ海邑秋の大運動会 年齢設定   海碧玉(17) 陳菫玉(04) 藺槍玉(07) 海白玉(15)   海翠玉(14) 海天祥(61) 海青玉(08) 陳叔牙(38)     海黄玉(01) 虞紫玉(16) 藺水玉(10) 虞縞玉(14)     藺天化(68) 鮑黒玉(12) 海紅玉(06) 鮑天興(61) 一  空が高い。季節の変化が殆どない海邑では、夜空に見える星が少しずつ変わっていくことが季節の変化の一つと言えた。秋にまつわる語は多いが、それはかつて海邑を作った先祖たちがもたらした、遠い地での風習であったという。それを長老海天祥から聞き出した海碧玉は、腕をまくってガッツポーズを作った。 「大哥、何をなさっているの?」  寝ぼけたような顔でにっこり微笑んだのは、陳菫玉である。女の子にしか見えないような愛らしい頬は、桃のようであった。 「い、いや。そのな」  慌てて何かを隠すようにしている碧玉の後ろに音もなく静かに回りこんだのは、藺槍玉であった。 「なになに? 海邑秋の大…この字、読めない。なんて書いてあるの?」  すかさず白い衣の持主がその槍玉の隣に身を寄せた。少年は巫女の接近に気付いて心持ち顔を赤らめている。 「『秋の大運動会 来たれ勇者よ。我が許に集え』? 大哥、何をなさるのかしら? 教えて頂けるのよね?」  その視線は穏やかなものではあるのだが。歳下とは思えぬ迫力のある眼差しに射抜かれて、碧玉は言葉に詰まった。 「つまりだな」  海邑で運動会というものを開催したいのだ。と碧玉は言った。運動会とは何だと弟達に尋ねられて、先程長老海天祥から聞き出したばかりの情報を自慢気にご披露する。 「和国という国でな。秋になると、収穫を祝って運動会というものをやるんだそうだ。それは、賞品を掛けて武芸を競う大会なんだな。ちょっとした祭礼のような意味合いもあるんだが、屋台も出て、それは賑やかだと…」  細い指先で螢璃(けいり)の器を取って茶を啜る巫女の仕草はこのうえなく優美である。弟達に話している途中についうっかりそちらの方に目が行って、ぽーっと見惚れてしまう。 「そう天祥おじいさまが教えて下さったのね?」  うぐ。と言葉に詰まる。巫女は博学でなければ勤まらぬ。その中でも特に海白玉は古今の書物をかなり読破していた。下手をすれば読書家で知られるすぐ下の弟海翠玉も太刀打ち出来ぬ程であるのだ。 「それで。大哥は、運動会をなさりたい。とおっしゃるのね?」  顔はにっこりと微笑んでい、その物言いは穏やかではあるのだが。どことなく滲み出てくる威圧感は「どこにそんな金銭的余裕があるとおっしゃるのかしら?」とでも言っているようである。祭礼は金銭がかかる。しかし行わなければならぬ最低限の祭祀はやはりやらねばならぬ。形式だけであったとしても、その形式を生み出した伝統と心とを喪ってはならぬ。それもまた子孫に伝承せねばならぬものなのだ。しかしそれ以外の余興としての祭りを行う余裕はあまりない。伽国に暮らす七族の中でも海の人々は、かなり質素に暮らしている。独立を好む気風がこの邑での生活を支えている。他の六族は使用人を雇って雑事をこなす者が多い中、海邑では使用人は殆ど居ない。大抵のものは自分のことは自分で行うのだ。それぞれに役割を分担して行う。もっとも、海邑の外へ一歩出てしまえば、それなりの立場を約束されていることも手伝って、使用人を使わなければならぬことも多いのだが。伽国三将軍の一人として栄達している陳叔牙などは、使用人を使ってはいるが、それとて他の六族の人々に比較すれば極端に少ない。自給自足というものは、経済的な豊かさとは無縁である。金銭を必要としないこともある。邑の中で用が足りるなら、わざわざ外部へ出る必要もない。時折訪れる行商の者がいるくらいだ。  白玉の視線を受けて、へにゃり。と潰れかけた碧玉の肩に、そっと触れた者がいる。 「大姐。お願い。無理のない範囲で頑張りますから」  碧玉や白玉と同じ、黒髪黒瞳の少年が巫女に向かって真摯に語りかける。 「どうか、大哥のお願いを叶えてあげて!!」  え?と海青玉に一斉に視線が集中した。 「父上や叔紹叔父様の鎮魂の儀式なんでしょう? お願い、白玉大姐」  そこまで言われて、碧玉は頭をぼりぼりと掻いた。実を言えば、単に屋台を冷やかしたり賞品を独り占めしたいと思っただけなのだが。他の者は単に長兄海碧玉が運動会というイベントを機に遊びたがっていることを知っているのだが。しかし青玉は真剣に祭礼だと信じているようである。あまりにも真面目すぎる青玉の言葉に一同は声を失い。そして、何時の間にやら「秋の大運動会」なるイベントが開催されることが決定していた。  実行委員長になったのは、海白玉である。本来なら言い出しっぺの海碧玉にこの任務は行くはずであった。長老海天祥がそれを口に乗せ掛けた瞬間、冷やかな空気が身をまとったのに気付いて視線を上げると、艶やかな微笑みを浮かべた白玉がじっと天祥を見つめていたのである。蛇に睨まれた蛙のように脂汗を流しつつ、「白玉が良かろう」と言うのが精一杯であった。孫娘に迫力負けしては長老も立つ瀬がないが、相手が最悪であったのは誰もが認めるところであろう。財布の紐をきっちり締める巫女であれば、無理もすまい。その期待に過剰なまでに応え、余分な費用を出さぬよう白玉は徹底的に節約につとめた。しかし一番邑人を唖然とさせたのは、白玉が組んだ練習の日程である。子供達は普段の勉強や練習に加えて、運動会の練習も別途行わねばならなかった。一目で判るよう、鞭でも持ってぺしぺしやられるならまだ諦めもつく。しかし白玉は常に微笑みを絶やさない。更に恐ろしいことに、青玉などは嬉々として全てのカリキュラムをこなしているが、こういう者の方が稀であるのは疑いの余地がない。しかも白玉は腕に末弟海黄玉を抱えたまま、平然と全部をこなしていた。巫女は普段から多忙であるが、漸く歩行を始めたばかりの幼い弟の面倒を見ながらというその凄まじさに、一族は改めて巫女白玉の恐ろしさを思い知ったことである。目まぐるしい程の忙しさの中で皆やつれた顔色をしているのにも関わらず、巫女のその、白い中に紅を秘めたような頬は、青春の輝きを映し出し、その涼しげな眼差しはいつもにも増して澄みきっていた。 「白玉大姐、怪物なみ…」  そう呟いたのは、藺槍玉である。父譲りの柔らかい金髪は後頭部でまとめられ空色の巾に包れていて、長さは判らぬ。琥珀色の瞳はすぐ上の姉水玉のそれよりも少し鋭さが優る。ぜえぜえと息をつく傍で、元気に刀を遣う練習をしているのは、万年能天気を絵に描いてカラーコピーを取ったような海青玉である。それを横目に見て、槍玉は口の中で呟いた。 「もう一人、怪物が居た…」  その声は、呟いた当の少年にとって幸いなことに。誰にも聞かれずに済んだ。  ぽーんぽーん。という音が空に響いて、白い煙が青い空に広がっていく。大会当日ともなれば、練習で疲れまくっていた子供達もほんの少し元気を取り戻す。お祭りだという意識が高いせいか、少し興奮しているようでもある。  海碧玉が望み海青玉がせがんで実現されたイベント、「海邑秋の大運動会」はここに開催された。出店は有志の努力の結果である。虞紫玉が何やら薄焼卵のようなものを焼いて、隣では藺水玉がそれに野菜などを包んでい、その隣の出店では虞縞玉が丸い団子のようなものを焼いていた。縞玉が扱う鉄板には丸い窪みがいくつもあって、そこへとろとろの生地を流し、具を入れて焼くのである。かなり危なっかしい手つきではあるが、不思議に火傷はしていない。ひっくり返しながら全面を焼いて、海苔や醤などをかけて食べるようだ。それを見ていた陳菫玉などは自分が焼きたいと言い出したが。危険だからと遠ざけられた。  競技は年齢性別ともに無差別である。この場合、有利なのは玉世代の長兄海碧玉であるが、全てに公平になるよう、いろいろと趣向が凝らされていた。競技としては短距離に長距離、障害物に借り物などが企画されている。複数種目に名前を連ねている者も多かった。  今回、皆制服のように衣を誂えたのだが。半袖の白い服は体に馴染みやすく、触り心地が良い。海碧玉をはじめとした数人が短距離競技に出ていた。合図は藺天化が小脇に抱えた太鼓である。間を置いて三回、叩かれるそれは、一回目で腰を落とし二回目で用意し三回目で出走と決められていた。三の太鼓の音ともに、各者が大地を蹴った。足の長さを考えれば、現在一番成長している碧玉が有利である。しかし、その体格はがっしりとしており、重量がある。スピードを命とする短距離では不利な部分もあった。結果は、翠玉が一位。羚羊のように軽快に走り抜けた紫玉が二位を獲得した。  長距離は、海邑の傍にある湖を一周することである。これには臨場感を高める為、実況中継が設けられることになった。法螺貝使用の拡声器を使ってそれを行うのは、鮑黒玉である。 「各者最高の走りを見せております! おおっと。碧玉大哥、早くも先頭集団に出遅れましたっ! 先頭集団は先程短距離で勝利しました翠玉二哥、青玉、それに菫玉、槍玉、縞玉大哥…。早い話が碧玉大哥、一番後になっております。意外に体力ありませんねー。あ、情報が入りました。どうも碧玉大哥、昨夜翠玉二哥と飲みすぎたようです! しかし翠玉二哥は全然堪えていないようですねー。ああ、なるほど。翠玉二哥は自分が一杯飲む間に碧玉大哥に五杯ずつ飲ませたようです。これは翠玉二哥の作戦勝ちでしょう! でも未成年は飲酒が堅く禁じられております! 喫煙と飲酒は二十歳になってから! 社会的ルールは守りましょう! いいオトナになれません!」  その間にもぐんぐんスピードを上げているのは、青玉であった。まだ小さいながらも俊敏で、身の軽さが武器である。健康的な肌色をした細い足は、少年らしさに満ちている。今回の為に用意された衣類は、確かに動きやすかったのだが。足の大半が外気に晒され肌が見えるので、青玉くらいの子供であれば問題ないが、碧玉たち年長三人組の足は、そろそろあまり目にしたいものではなくなりつつある。 「青玉、軽快な走りで早くも体一つ分リード! 満面の笑みは余裕の表情です! 続いているのは縞玉大哥と翠玉二哥であります! 槍玉、菫玉、ファイト!! 碧玉大哥、スピードが徐々に落ちている模様です! あーこれは。リタイアかっ?!」  明るく楽しく容赦なく黒玉は実況を続けている。白玉の腕の中でその黒玉を見つめていた黄玉が、それまでしゃぶっていた指をふと伸ばして黒玉の赤い頭を軽く叩いた。当然ながら小さな指先には唾がしっかり付着している。しかし付けられた本人は目の前のレースに夢中になっているようだ。 「ああーっと! ここで碧玉大哥、無念のリタイアです! やはり昨日の飲み過ぎが原因でしょうか。お酒は二十歳になってから! 未成年の飲酒は法律で禁じられております!! あなたの健康を損なう恐れがありますので、吸い過ぎに注意しましょう!」  徐々にリードを広げている青玉は、爽やかに朗らかに走っている。下手をすればそのままゴールを突き抜けて、自分がゴールしたことにも気付かずにいそうだ。 「青玉、独走態勢に入りました。翠玉二哥と縞玉大哥は少しずつではありますが、引き離されつつあります! そしてまもなく、青玉、ゴォーーーーール! 勝利の女神は青玉に微笑んだぁー!」  黒玉の絶叫が響き渡る。近くに居た者の一部は耳がおかしくなりそうな程であった。と後日語った音量は、誰に似たのかは不明である。しかしゴールに到着しても青玉は走るのを止めなかった。 「勝者海青玉、どこへ向かうのでしょうかー?! おお、向かった先は観客席! 自分の妹紅玉を! 今抱きあげたー! 高い高いをしております! 紅玉、非常に喜んでおりますが。しかしこの二人の年齢差は二つ! ちょっときついのではないでしょーか! ああっと。見事に青玉すっ転んだ! 大丈夫かー?! 先に紅玉が立上がりました。怪我はないようです。流石に叔珪叔父様の血です! 紳士です!! 青玉、可愛い妹に怪我一つ負わせておりません! おおっと。ゴールの方も中継を忘れてはなりませんねー? 今遅れて翠玉二哥、縞玉大哥そろってゴール、イン!! まるで結婚式のようです。どちらが花嫁でどちらが花婿かというツッコミはこの際忘れて頂きましょう! さらに遅れて、菫玉と槍玉もゴール! 長距離は見事青玉が栄冠に輝きました! このまま表彰式といきたいところですが、次は障害物です。選手登録をしている方は、入場門へお集まり下さい」  鮮やかな実況中継が終了し、手に汗握って立ちあがって勝負の行方を見ていた観客は、一旦席についた。 「続きまして障害物です」  声が変わったことに気づいたのは、数人だったろう。だが話し方が違うことに気づいた者は、もう少し居たかも知れない。 「この競技は、会場の障害物すべてをクリアしなければゴール出来ません。また、一部障害と判らないよう加工してあるものもありますので、障害をクリアしたら必ずその場所のスタンプを貰ってきて下さい。レディ?」  その瞬間、スタート地点がフリーズした。法螺貝拡声器を握っている人物が誰であるのかが、はっきりしたからである。藺天化の太鼓の一回目が鳴り響いた。 二  藺天化の抱えた太鼓が、レースの開始を告げた。先程のアナウンスで肝が冷え切った選手達は、暗い気持ちを抱えながらも先へと進む。これでもし最終走者にでもなったら、恐ろしいことが待ち受けていそうである。選手達は脱兎の如く、駆け出した。障害は、順不同である。越えさえすれば、それでいい。だから選手たちは自分がクリアしやすく、人があまり来ないものを狙う。そこで時間稼ぎをしてから難関に立ち向かうのだ。先程肝を冷やした選手に混じって、黒玉が走っている。アナウンス役を隣にいた白玉におしつけて、レースに参加したのである。まずは網くぐり。次に飛び箱。越えるまではそれが障害かどうか、はっきりしない。そこを越えて、それが障害物として認定されていた場合、スタンプ係がやってきて、体の一部に押すのである。到着する頃にはスタンプだらけになっている訳だが、擽りっこが好きな小さい子供にはちょっと人気のある種目であった。女子登録選手筆頭である黒玉は、先程長距離の男子選手が着用していたのと同じ半袖の服をまとっている。しかし下は何やら丸い形状のもので、色は黒であった。ぴったりと太腿の付け根にくるので、動きやすいのだが。普段着慣れている服は長袖であるので、ちょっと慣れない。怪我をしたら擦り傷の処理だけでも消毒に時間がかかりそうである。その黒く丸い形状のハキモノからややふくよかに伸びた足は、成長期最中のものであるが、褐色の肌は普段目にすることが叶わぬ部位であり、少年達の一部はそれに釘付けとなっているものもあった。 「黒玉大姐、意外に…」  そういいかけたのは、藺槍玉であったが、そう呟いた途端上空から粘ついた透明な液体が降ってきたことに気付いて、悲鳴を上げた。アナウンス席の隣にいたのだが、白玉に抱かれた黄玉の涎攻撃を浴びたのである。その量は尋常ではなく、藺槍玉は着替えのために戻らざるをえなくなった。 「各者、最良のスタートを切っております。今のところトップは黒玉でしょうか。スタンプは四つを数えております。今更に一つ。いえ、その上を行く選手が現れました。碧玉大哥です。先程リタイアしてエネルギーの温存を図ったものと思われます。俊敏さでは敵わぬと見ての作戦変更でしょうか。一見正しい選択に思えますが、その選択が最高の結果を導き出すとは限りません」  冷静にアナウンスをしている白玉の左腕に抱かれたまま、黄玉は「あー」と声をあげた。黒玉がコケたのである。 「ここで黒玉、転びました。怪我はしていないでしょうか。救護班、用意願います。立ち上がりました。大丈夫でしょうか。そのまま続行するようです」  障害として用意されたものは、全部で十五である。黒玉が七つ、碧玉が八つになっていた。藺水玉は俊敏に立ち回って挽回し、十を数えている。 「碧玉大哥に代わってトップに踊り出たのは水玉です。流石の軽量級。ぽんぽん飛んで楽々障害を越えていきます。しかも息一つ切らしておりません。その隣を行くのは翠玉です。やや表情が硬いのは、先程の長距離の疲れが残っているのでしょうか。お酒を飲むなら成人してから。あなたの健康を損なう恐れがありますので、吸い過ぎには注意しましょう。良い子は、絶対に真似をしてはいけません」  近くで、「はぁーい」という声が響いて、白玉はそちらを見てにっこりと微笑む。青玉に抱っこされてレースを観戦している紅玉であった。ゴールに金色の髪の少女が飛び込んで、終了を告げる鮑天興の笛が鳴った。 「勝者は、水玉でした。余裕はまだまだありそうで、息も切らせていません。さて、最後の借り物競技に移ります。選手登録をしている方は、入場門へお集まり下さい。なお、このレースは本日のメインであり、一番の危険を伴うものでありますので、怪我には十分注意して挑んで下さい」  アナウンスを終えて白玉は紫玉に法螺貝拡声器を預けると、入場門へ向かっていった。メインは、出場者も最多となる。巫女が着替えて準備すると、それだけで周囲のどよめきがあった。すらりと伸びた白い足は、細くしなやかでいながらどこかほんのりと明るい。いつも控えめに結い上げた髪も、今回ばかりは運動に不向きと判断したか、後頭部頭頂で束ねて背中へと垂らしている。まっすぐな黒髪は艶やかで、腰に届きそうであった。白と黒のコントラストが目に焼きつくように鮮やかである。普段着ている巫女の衣装は肌の露出が少ないのだが、今回の大会制服として誂えた、海邑としては露出過多気味の衣装は同族少年男子達の感涙を誘ったようである。 「いよいよ最後のシークレット借り物です。フェイクも十分用意してありますので楽しんで下さい。各選手スタートラインにつきました」  再び声が変わったことに安堵したものは、少なくなかったようである。 「まず最初に借り物が何かを決めるカードを見つけなければなりません。黒玉は雲梯に。碧玉大哥は天祥おじいさまの許へ襲撃。紅玉はまっすぐ…あら?」  その声にアナウンス席に視線が集中した。紅玉はまっすぐ紫玉のもとへ近づいていき、その髪をまとめるリボンをねだった。 「はい、紅玉」  リボンには借り物が記されていた。 「紅玉、早くも借り物のカードを入手しました。黒玉は…雲梯の脇に埋めてあったカードを確保。碧玉大哥は天祥おじいさまの靴の裏に貼り付けられたカードを手にしています。白玉は、あら。どこへ行ってしまったんでしょうか。あ、観客席のプレートを確認しています。カードはあったのでしょうか。あったようです。他の選手もそれぞれカードを見つけたようですね。リアルでしょうかフェイクでしょうか」 「黒玉、残念ながらフェイクだったようです。碧玉大哥もカードを地面に叩き付けております。白玉は走り出しました。紅玉もまた走り出しました」  そのとき、黄玉が黒玉に向かって「あー」と声を発した。それに気付いたのは碧玉の方が先である。すぐさま突進を開始した。 「あっ!」  アナウンスの紫玉が思いがけなく声を上げた。黄玉はその膝から飛び降りてよちよち歩きながらもしっかり黒玉の方に向かっている。 「黄玉」  レースの妨害行為に当たるのではと紫玉は冷や冷やしたが、その場を離れる訳にはいかぬ。碧玉の猛進に気付いた黒玉がさっと走り出した。水玉に比較すれば重量級ではあるが、それでも流石に碧玉よりは身が軽い。ダッシュして黄玉を抱え上げると、黄玉が袖口に縫い付けられたカードを差し出した。 「きゃあ♪ 黄玉、恩に着るわ!」  軽く額に口付けして碧玉に預けようとするが、幼子は黒玉の袖をしっかり握っている。 「ぶー。ぶー。ぶー」 「黄玉、これは驚きです。何と自ら選手に堂々とえこ贔屓を行いました。この行為は果たして認可されるのでありましょうか? 今、審判長天祥おじいさまからのコメントが入りました。三歳以下の幼児の介入は、天佑によるものとして許可する。とのことです。無事認可されました。しかし黄玉のブーイングは何を意味するのでしょうか? 解説出来るであろう白玉は只今借り物に向かっているもようです」  一瞬躊躇い。黒玉はブーイングを続ける幼児の唇に軽く口付けをした。その瞬間、舌に何かちょろちょろとしたものが触れたような気がしたのは、気のせいだろう。黄玉は満面の笑みで黒玉を開放し、碧玉の厚い胸板に縋り付いた。 「お前…自分のオンナに勝たせたいからってそこまですんのかよ」  呆れかけた碧玉にご機嫌の笑みを返して黄玉は宣言した。 「だー!」  右手の親指がしっかり立って、ウインクが見事に決まる。碧玉は思いっきり脱力した。  借り物レースはいよいよ中盤である。各自が何とかリアルのカードを手にいれて、ゴールめがけて走ろうとしているのだが。今回ゴール役になっている人物が誰であるのかが判明していない。  白玉はまだ戻ってきていない。碧玉と黒玉はまだ借り物を捜しているようである。紅玉が虎玉を抱えて青玉の許に駆け寄ってきた。 「たーっっち!」  前から紅玉、後ろから白玉に抱きつかれて、サンドイッチ状態になったのは青玉である。鮑天興の笛が高らかに鳴った。 「観客席の青玉が今回シークレット借り物のゴール役だったようです。しかし前後から紅白コンビに突っ込まれ、衝撃は小さくありません。大丈夫でしょうか。満面の笑みのまま気絶しているようです。あっ、息を吹き返しました。にっこり笑って手を振っております。これは…同着でしょうか? 審判長のコメントをお願いします」  軽く咳払いをした海天祥がアナウンス席の紫玉の隣にやってきた。法螺貝拡声器を使うまでもない大音声である。 「これは、観察していた近辺のものの情報を合わせ、判断する。白玉・紅玉は同着。よって賞品も山分けとする」  長老の宣言に場は一気に盛り上がった。どよめきがこだました。 「以上でシークレット借り物競技は終了です。海邑秋の大運動会もこれにて全競技を終了致しました。続いて表彰式を行います」  紫玉の声が会場に響き渡る。結局言い出しっぺの碧玉は一つも勝てぬままであった。翠玉、青玉、水玉に紅玉と白玉が順番に表彰される。 「続きまして。閉会式です。今回は、最終走者に対して、賞品が与えられます」  ぎくっと肩を竦ませた者が数人いた。そのうちもっとも動揺した者は、その場を抜き足差し足で逃れようとしていたが、明るく元気な声を掛けられて、ままならなくなる。しーっと人差し指を立てても首を傾げられるばかりで、離してくれそうにない。逃げたいのだが。 「海碧玉大哥が最終走者と決まりました。皆様、この度はイベントにご協力頂きましてまことにありがとうございました。開催実行委員長海白玉から、ご挨拶があります」  紫玉から法螺貝拡声器を受け取ると、にこやかに微笑んでスピーチを始めた。いつのまにやら、着替えていて既にいつもの巫女姿である。 「イベント開催に当たり、皆様の多大なるご協力を頂きまして、まことにありがとうございます。朝晩の練習も準備もそれから会場設営もそれぞれ頑張って下さいました。多忙な日々の中、お時間を捻出頂きましたことに深く感謝申し上げます。なお、イベント開催を呼びかけて下さいました碧玉大哥。今回は見事に最終走者を引き当てて下さいました。それでは、賞品といたしまして、今後一ヶ月、お風呂とお手洗いのお掃除権を差上げます。どうぞ満喫して下さい。なお一日でもおサボりになった場合には、倍の期間延長とさせて頂きますので、予めご諒承下さい」  白く輝いた肌も明るい微笑みも、極上のものであった。  空はからっと晴れて心地よく湖の上を渡る風も快い。そんな中で、碧玉の心の中にだけどしゃぶりの雨が降ってきたようであった。  何やら冷たい風が胸の中を通りぬけた気がする。その時水滴が落ちてきたことに気付いて、雨だろうか。と。ふと顔をあげた。  すぐ傍にあったのは、白玉に抱っこされた黄玉の顔だった。その唇から零れている透明な雫に目がいき。碧玉は深い吐息をついた。そして、もう二度とこのようなイベントはやるまいと心に深く刻みつけた。