銀宵――海虹外伝―― 一  乾燥した風が、頬をたたく。数日水浴びさえも出来ずにいた肌は、少々埃にまみれて気持ちが悪いが、その代わりに汗は殆どかいてはいない。厚手の衣は日除けでもある。頭をも保護するように出来ているそれは、目深に被らねば意味が無い。鼻のあたりまで隠れてその瞳を見ることは出来ないが、小ぶりの顎は血色が良く、形から言ってまだ幼いと見えた。慣れた足取りで岩山をひょいひょいと歩いていく様子は、小柄な割に強靭な体力を秘めていそうである。背格好だけを見て年齢を判別するのであれば、十代前半くらいかも知れない。今まさに南中しようとしている太陽は、ぎらぎらした日差しを注ぎかけていた。岩場を乗り越えて軽く吐息を一つつくと、一瞬立ち止まる。 「一年ぶりか……」  声は高く、凛とした響きがあった。まだ変声期を迎えていない少年か、或いは少女かも知れない。突風がその頭部の布をさっと払うと、後頭部の上方で一つにまとめられた焦茶色の真っ直ぐな髪が風に翻って流れた。その二つの瞳は、透き通った宝玉のように鮮やかな紫である。切れ長できりりとした目には厳しさが窺え、細く尖った顎は繊細ながらも意志の強さを感じさせた。頭を軽く振って、風に飛ばされた布を元に戻すと、そのまま歩き始める。行く手には岳家本拠地、岳邑が見えはじめていた。  岳家は、伽国七族の家柄である。海家と同じ武門の家で、従って立場的には非常に近い。伽国東北部に位置する本拠地岳邑は大陸東部の平野が北部の沙漠地帯と接するあたりに存在していて、あまり大きくは無い岩山がいくつか点在している。若干乾燥気味の気候で、海邑のように水の豊かなところに住み慣れた者には少々湿度が足りなく感じられた。四季はあるが、降雨量は少々少なめである。旅人はその岳邑に足を踏み入れた。慣れた足取りはここでも迷うことなく、邑の中の一番大きな建物へと向った。岩石を切り出して作られた、岳家の館へと。  小柄な人影を見つけた岳家の子供たちが、声をあげる。甲高い歓声は明らかに客人を歓迎していた。あまり変わらぬ背丈の者達が飛びかかると、ただでさえ小柄な人影はその中に埋もれてしまいそうである。 「こらこら、待て」  苦笑しつつ旅人が倒されると、騒ぎに気づいたほかの者たちも皆駆け寄ってきた。その紫色の瞳と焦茶色の髪がむきだしになる。 「炎玉! 来てくれたか」 「嬉しいよ。ありがとう」  岳邑には普段よりも少し華やいだ雰囲気がある。炎玉と呼ばれた旅人は、飛びかかってきた子供たちをようやく押しのけて、にやりと笑い、「そりゃ、招かれた宴に来ない方がどうかしてるだろ」と軽く片目を閉じた。 「炎玉!」  銀色の風が流れた、と見えたが、それは髪であったようである。真っ直ぐなその銀髪は腰まであって、束ねてはいない。子供達に飛びかかられて尻餅をついていた炎玉の腕に、そのまま飛び込んでいく。 「ちょ、ちょっと待て! 孔昭!!」  飛び込んできたしなやかな体を抱き止めるのは流石に難しかったらしく、焦茶色の髪の主は強かに後頭部を地面に打ちつけた。 「痛ッ!」 「あ…。ごめんなさい」  幸い、双方とも怪我はなかったようである。 「痛たた…。相変わらずだな、孔昭」  体勢を立て直すと、痛みに顔をしかめつつも、相手に気を遣わせぬためか、軽く笑った。 「痛かった? つい嬉しくなってしまって。ごめんなさい」 「構わぬ」  ぱたぱたと埃を払って立ち上がり、微笑みを交わす。仲睦まじい様子は傍から見ても良く判った。 「来てくれて、ありがとう」  感謝の気持ちが滲み出るような、温かい笑顔である。 「何の。お前の婚儀とあってはな。相手が洛家の次男坊というのが少々気に入らんが、お前なら奴の性格矯正くらいは出来るだろう」 「炎玉ったら」  二人は顔を見合わせて、楽しげに笑い声を立てた。 「炎玉、来ていたのか」  銀色の髪はまっすぐに延びて、後ろで一つに束ねられている。些か垂れ目気味の蒼い瞳は柔らかい色合いを帯びて、焦茶色の髪の客人を楽しげに見下ろしていた。満面の笑みを浮かべてやってきたのは、岳孔昭の兄岳孔嘉である。妹と良く似たその銀髪は見事な程で、鬘にしたいという者もいた。胡散臭げに旅人の紫色の瞳が、ねめつけるように孔嘉をじろりと見上げた。身長だけをいうなら、両者を比較すると大人と子供程の差がある。 「相変わらず無駄にでかいな」  ふん、と鼻息を漏らす。孔昭との微笑ましい様子が嘘のように冷淡な物言いで、炎玉は視線を逸らした。厭なもんを見た、とでもいいたげに。 「そういうお前は相変わらずちっこくて可愛いな。俺の腕の中にすっぽり入るぞ。明日は孔昭も嫁に行くことだし、お前も俺のところに嫁に来い」  冷ややかな返事をものともせずに肩に手をかけようとするが、一瞬早く手を払われる。 「却下だ。私の男は海邑の者に限る」  一瞬の間もおかず即答しているあたり、いつものことなのかも知れない。 「それに、岳家の後継ぎが岳一族内から娶らんでどうする?!」 「いんやー? 別に俺は後を継ぎたいと思っている訳ではなし。お前が嫁に来るなら、家なんざどうでもいいさ」 「私はお前のそういうところが嫌いだ」  つん、と顔を背けるあたり、まるで子供のようであるが、会話の内容を考えれば、結婚してもおかしくない年齢と思える。 「もっと一族に責任を持て! 男とはそういうものだろーが!!」  立ち上がって拳を振り上げる炎玉に対し、孔嘉は思わずぱちぱちと拍手をした後で、懲りもせずに付け加える。 「じゃ、俺をそういう風に教育しなおしてくれ」 「無駄は嫌いだ」  不毛な会話が続いているところへ、明日の衣装の確認を終えた孔昭が現れた。 「あ、孔昭。衣装は大丈夫だったんだな」  明日嫁ぐことになっている娘というものは誰でもそうかも知れないが、幸福感に満たされたような佇まいを見せて、軽く肯いた。上気した頬は潤んだ蒼瞳を際立たせて、婚礼前夜の花嫁に相応しい、甘い憂愁に彩られている。 「花婿は明日到着か?」 「ええ」 「幸福になれよ」  深い微笑みが少々の不安をも溶かしていくように思える。 「ええ……」  一人取り残された孔嘉は、ぼりぼりと頬を爪でかいていた。 「なんで炎玉は孔昭にはそんなに甘いのに、俺には冷たいんだ?」 「可愛げのなさが原因だろうよ。だが、私は基本的に男には平等に冷たいんだ。別にお前ばかりじゃない」 「俺一人くらい優しくしてくれたっていいじゃねーか」  即答を期待していたが、返ってきたのは皮肉っぽい微笑みであった。見惚れる程の魅惑的な微笑みを数秒示したあとで、冷淡に応える。 「男の中で誰か一人、と決めるなら、それはお前ではない」  久しぶりの湯浴みを終えてさっぱりした炎玉は、孔昭とともに寝所に居た。長旅の疲れを癒すのには温かい湯と食事が一番である。 「んー、落ち着いた!」  遠慮なく一緒の寝台に飛びこむ。今まではこの岳邑にくればいつでもこうすることが出来た。しかし孔昭が嫁げば、こういうことは出来なくなるだろう。婚礼前夜の花嫁は、親しい同性の友人と一緒に夜を明かす。本来は一族内の同世代の少女が数人ということが多いが、今回は花嫁である孔昭のたっての願いで、炎玉一人だけが寝所にあった。同じ岳一族であれば結婚後も婚家を尋ねることは難しくはないが、海一族に名を連ねる炎玉としては、政治的な思惑が絡む可能性もあり、一緒に夜を過ごすことは難しくなるだろう。普段わがままを言わぬ孔昭のたっての願いを、岳一族の人々が受け入れた結果である。 「お前の兄は相変わらずだ」  拒んでも拒んでもまだ擦り寄ってきやがる、と呟く。本音を言えば孔昭としては親しい友人である炎玉に兄の妻になって欲しいと思っているが、それには非常な困難が伴う。七族の直系は、同じ一族の中から妻を迎えるのが原則である。伽国では七族それぞれの主姓、七姓の後継者及び当主が、別の七族の家から妻を娶ることは禁じられていた。海一族ではそれが頑なな程に守られていて、主姓である海姓だけでなく海一族に連なる他の四姓も外部の者と婚姻することは極めて稀である。七姓に名を連ねる洛瓊琚に同じく七姓の家柄である岳孔昭が嫁げるのは、家督は既に兄が継ぐことが決まっていて、彼が次期当主ではないからである。例外は伽王の娘くらいだが、岳一族ではなく、王女でもない、つまりはどちらにも該当しない炎玉が、七姓の次期当主(予定)である岳孔嘉の嫁になるのはまず無理である。それでも炎玉が望むのなら、抜け道はあるかも知れないが、炎玉自身が孔嘉をたかって来る蝿か何かのように思っているのだから、実現は不可能に近い。 「炎玉…、あなたは、どなたか思う方がいるの?」  天井を見つめながら孔昭が訊ねた。そういえば今まで聞いたことがなかったわね。と思い出したように付け加える。 「私は海姓の男と結婚すると決めている」 「前にもそう言っていたわね…。海姓直系といえば男性は四人ということだったけれど、うち二人はもう既に奥様をお迎えなのでしょう?」  他の一族のことながら、流石に七族直系の姫である。そのあたりの情報は把握していた。 「いや、三人だ。末の弟が先だって婚約した」 「まあ。では、あなたの想い人は青玉様?」  海邑に住む海姓の男は確かにそれだけであるが、長い時間の間に海邑から出ていった海姓の者もいるにはいる。それらは直系とはいえないが、そういったことを知った上での確認の為の問いである。 「うむ」  少し恥らうように、寝具を鼻の辺りまで持ち上げる。 「あれは、聡い。そして、優しい。私は、あれを支える者でありたい」  言葉に籠められた気持ちが、そっと立ち上るかのように白い吐息が闇に揺れた。  婚儀は、夜である。だが、その朝は夜明け前からいくつもの儀式が執り行われることになっていて、花嫁は休む暇もない。次から次へと儀式をこなす孔昭を横目に見ながら、炎玉はその手伝いをしていた。最終的に花嫁が身に纏うのは赤い衣装であるが、清めの儀式の段階では白い衣を纏う。白は死の色、そして赤は生の色である。生家での娘は死して、婚家で新たな誕生を迎えるという意味合いがあるのだと、炎玉は遠い昔親友である海紅玉から聞かされていた。それ自体は判らなくもないが、巫女である紅玉が身に纏うのは常に白い巫女衣装であったから、それは屍衣ということではないかと思い至って、寒々とした感情が身を貫いたものである。  白い衣を纏っている孔昭は、清めの泉の水を浴びて、体を震わせている。まだようやく顔を覗かせたばかりの太陽が、その細い肩に暖かな橙色の光を落としている。 「さあ」  炎玉は乾いた布を花嫁に被せ、滴り落ちる水を拭いた。清めの水浴びが終わったのである。銀色の髪は水分を吸って重く肩に落ちていた。その髪の色は、太陽の光を受けて一層鮮やかに見える。伏せた瞼はほのぼのとした赤味を帯びて初々しく輝き、頬に陰を落とす長い銀色の睫は、しっとりと潤っていた。 「美しいな」  そっと、しかししみじみと声に出すと、花嫁が身を竦ませる。 「炎玉…恥ずかしいわ」 「美しいと思ったから言葉に出したまでだ。恥ずかしがることはない」  そう言われはしても、面と向って「美しい」などと言われれば、誰だって気恥ずかしくなるだろう。言う方も言う方といえるが、それはあまり気にしていないらしい。 「二人で、幸福になれ」  相手に依存して幸福にしてもらうのではない、二人で幸福を掴むのだ。と。それは、幼い顔に似合わず恐ろしく老成した言い方だが、花嫁に対する温かい餞であった。 二  恋人を前に恥らう乙女のように、紅に染まった空が、一番星の登場とともに仄かな翳りを示しはじめる。それはやがて薄い紫色を湛え、いつしか濃紺に染まっていく。そう気付く前に日は空から落ちて、見えなくなっていた。あたりには夕陽の残照が、熾火のように微かに残るばかりで、すっかりと夜に染まりつつある。暫くは余韻をその身に止めたままの茜色だった雲さえも、夜の支配から自由では居られない。深い闇の色に囚われて、最早逃げられずにその身を夜の眷属の色へと染め上げる。そして、一面夜の色に染まった空に、一つまたひとつと、銀色の砂を撒いたような星が見えはじめている。夕空は特に綺羅綺羅しい星が二つ三つ見えているばかりであったが、時間の推移とともに夜は深まりゆき、見える星はその数を増していた。幾千幾万幾億もの星が、さざめくような光を傾けている。穏やかな夜の訪れであるが、今宵は少々落ち着かぬ風情を残していた。  夜に入って、いよいよ、婚儀が始まろうとしていた。花婿となる青年はここで岳一族の娘を貰い受け、伽都豫で王の許可印の入った書類を受けねばならない。それがなければ、正式な婚儀としては認可されないのである。しかる後に、花嫁を洛邑に連れ帰る。そして帰邑すれば、そこではまた花嫁が花婿の一族として迎えられる儀式が執り行われるが、花嫁の両親は参加出来ぬ。つまり花嫁はここで生家との縁を絶ち、その上で婚家へ迎え入れられるのだ。壮麗なる婚礼に相応しい、美々しい衣装を重ねた体躯が、今は少々暇を持て余しているようで、今宵花婿となる青年は落ち着かない様子を見せている。 「花婿がそんなでどうする」  小声で掛けられた言葉にいつもの皮肉を返す余裕さえないらしい。完全な傍観者である虞炎玉は、面白いものだと、まじまじと花婿を見つめた。  花婿の赤銅色の髪は白い頭布に隠されて、殆ど見えない。碧瞳はいつもなら深く落ち着いた色合いを示している筈だが、今宵に限っては落ち着かない色を浮かべていた。洛瓊琚は、洛家の当主の子である。第二子であった。七族では通常、正妻の他に何人かの側女を置く。洛家も然り。いや、そういう意味では炎玉が属す海の一族は、伽国の例外中の例外というべきかも知れぬ。  今宵の花婿自身は正妻の子であったが、第一子である兄は、父である現当主の寵愛する側女の一人が生んだ子であった。 「そんなに落ち着かないでいると、花嫁が困って出て来られないぞ」  からかうような炎玉の言葉にも、返事をする余裕はない。このときとばかりに攻撃を仕掛けたくなるのは人の常であるが、流石に儀式の場であると思い直して、炎玉はそれ以上つつくのをやめた。花婿の気がそぞろであったのは状況を考えれば止むを得まいが、花嫁である岳孔昭の登場が遅いのは事実である。本来ならもうとっくに祭壇の前に居て、花婿との契りの儀式を交わしていてもおかしくはなかった。確かに花嫁は支度が大変であるが、花嫁がこの婚礼そのものを忌むのであるならともかく、花婿とは曲りなりにも相愛の間柄である。いつまでも待たせるようなことはない筈だった。しかし、だからといって花婿が花嫁の天幕に押し入る訳にもいかぬ。それに、炎玉には一つ気になることがあった。 「岳の小父上。部外者が失礼しても宜しいか?」  炎玉がそう尋ねたのは、岳家の当主であり花嫁の父岳于飛である。部外者の炎玉がわざわざ名乗り出たのには、少々訳がある。七族同士の婚儀故に、というべきかも知れない。大事にする訳にはいかず、儀式の参列者は最小限に止めねばならぬほか、警備も厳重にしなければならなかった。母がいない孔昭の介添さえ侍女一人である。炎玉は親しい友としてよりも、花嫁の道中を警護する者としてこの儀式に参列することを許されていた。 「うむ。すまぬ」  当主の言葉を受けた炎玉は、さっと身を翻して、きびきびとした動作で天幕へと近づく。小ぶりの天幕は、この七族同士を結ぶ婚礼の為に特別に設えられたものである。上物の布を使って作られた、鮮やかな赤と縁を彩る翠との対比は絶妙で、要所に施された黄金色の刺繍も繊細優美な佳品と言えた。その天幕の入口の布を、炎玉は「入るぞ」という声とともにそっとめくる。しかし人の気配は不思議なほどにない。静まり返った天幕を訝しげに覗きこむと、そこには孔昭の侍女が倒れていた。油断なく、そして無駄のない動きで素早く視線を動かす。 「…小父上!」  炎玉の鋭く短い叫び声に、変事あるを予期して、花嫁の父は天幕へと急いだ。倒れていた侍女を炎玉が抱きあげているが、肝心の主役、花嫁岳孔昭の姿がない。 「おい、起きろ。聞こえるか」  幸い、侍女は気絶していただけで、怪我はなかった。それにはほっとしたものの、花嫁の姿が見当たらないことには、心の落ち着きどころがない。 「孔昭はどこだ?」  腕に抱えた侍女を揺すりつつ、はっとした顔になる。 「……天幕の入口を閉じて! 小父上、薬品が撒かれた形跡がある。念の為布で鼻と口を塞いで、余の者を近づけるな」  てきぱきとした指示を終えて、再び侍女に語りかける。何度目かの炎玉の問いに、ようやく意識を取り戻した侍女が答えようとしたが、声が出ない。己の声が出ぬことに愕然とした様子を見せつつも、侍女は自身の役目を弁えていた。炎玉の手を取り、それに文字を書く。 「孔昭は? ……攫われた、だと? 誰に?」  その場の空気が一瞬でざわめいた。岳家本拠地のしかも一番警備が厳しいこの場所から、易々と花嫁を拉致したというのである。それは、岳家に正面切って挑戦状を叩き付けたに等しい。そして、その婚家である洛家にも。 「相手の顔は…見られなかったというのだな? 姿は? 背格好程度は判るか? 髪の色は?」  矢継ぎ早の炎玉の質問ではあるが、侍女は首を縦に振り横に振り、時には文字を指で示すなどして、判る範囲で答えた。それによると、覆面した者が孔昭を捉えて気絶させ、更に侍女を気絶させて去ったらしい。毛髪を隠していて、髪の色さえも判らなかったのは是非もない。だが、侍女も流石に岳家に仕える者である。炎玉の袖を引き、もう片方の手を伸ばした。 「何だ?」  侍女がおずおずと差し出したのは、金鈴であった。小指の爪ほどの小さな鈴を、覆面した犯人の腰からようやく奪い取ったのである。それは今、花嫁孔昭に繋がる筈の唯一無二の手がかりであった。 「でかした。この鈴に心当たりは?」  後半の言葉は花嫁の父でありこの岳邑を統括する岳家当主に向けられたものである。血の気を失った顔がそれを覗き込み、力なくそっと横に振られた。 「いや…、ない」  軽い音を立てたその鈴を見て顔色を変えたのは、今頃花嫁を娶っていた筈だった青年だった。蒼白な顔に汗を浮かべて、今宵義理の父となるはずだった岳家当主に、そっと手を差し出す。その掌の上には、金色の小さなものが載せられていた。 「これは……、同じもの……?」 「洛家の一族の者なら誰でも持つ、印の鈴です」 「なんだと?」  主役たるべき花嫁が連れ去られたのは紛れもない事実であった。探索隊を差し向けるべきであるが、同時に婚礼行列もなければならない。明朝行列が出発することは周囲及び道中の地域には周知徹底済みであり、それがないとなれば岳家のみならず洛家をも、事と次第によっては七族を巻き込んだ大騒動になるのは自明の理である。しかも、洛家に花嫁拉致の容疑が掛かっており、同時に洛家は花婿の家でもあるのだ。 「だからと言って何故私が孔昭の身代わりに…!」  虞炎玉は銀髪のかつらを着用させられ、花嫁衣装を着せられて不本意そうに呟いた。背格好が近いのが一番の理由だが、邑に本来居ない人間であるので、岳邑を監視する者が見ていたとしても、気付かれぬ可能性が高いというのが本当の理由である。勿論数日前から岳邑に繋がる道を張られて居た場合、炎玉の存在が筒抜けになっている可能性もあるのだが。それでも岳家の他の娘が代わりになるよりは、ばれる確率は低い。それが理解出来ぬ炎玉ではない。 「岳家と洛家の交誼の為にも、私が出張る訳にはいかぬ。行列が洛邑に到着するまでには何としても孔昭を見つけ出すから」  花嫁の拉致で気疲れし憔悴しきっている岳于飛に、涙声で頼まれれば流石に無下にも出来ぬ。だが、そのまま洛邑に入る訳にもいかぬ。 「小父上。此度はあなたの目の下に飼われている小熊に免じて引き受けるが、洛邑の手前で私は行列を去る。それまでになんとしても孔昭を行列に戻されよ」 「すまぬ」  洛邑に到着後、炎玉の焦茶色の髪が洛家の者に知られれば、岳家が謀ったということで両家が戦闘状態になるのは回避出来ぬ。更に、炎玉自身が海家に連なる五姓の者と知られれば、それに加えて海家もまた巻き込まれるかも知れず、その渦中にあって炎玉自身も己が身を守ることは厳しくなるだろう。それを考慮した上での発言である。 「すまぬ」 「それと、何があろうとあの馬鹿だけには伝えるな。やりにくくてかなわん」 「孔嘉のことか? それなら……」  言い終えぬうちに、旅装束を調えた岳孔嘉が気軽な様子で片手を上げ、近づいてきた。 「よっ、炎玉! 俺の嫁に…」  がん。  毎度お馴染みとなりつつあるその台詞が終いまで終わらぬうちに、炎玉に「あの馬鹿」呼ばわりされた青年は、超絶技巧の刀背打ちを食らい、続きを口にする機会も与えられぬまま、音もなくその場にくずおれた。僅かに炎玉の銀の鬘が、風に揺れたかと見えたが、その実、隼のような動きは孔嘉の鳩尾に疾風の如き一撃を与えている。 「護衛にと思ったのだが」  情けなさそうに岳家当主は次期当主(予定)を見、それから炎玉に視線を戻した。 「邪魔なだけだ。それに」  ちら、と視線を花婿に送る。 「『花嫁』の護衛なら、花婿殿が居ろう。実の兄が金魚のフンか菓子のおまけのように、いつまでもついてくる花嫁などおるまい」  花嫁の父はその状況判断の見事さと度胸の座り方に感銘を受けつつ、次期当主の嫁に、という言葉をすんでのところで呑み込み、「次期当主」にちらり。と視線を向けて、深く溜息をついた。 「案ずるな、小父上」  花嫁用の衣装を身に纏い、婚礼用の輿に手を掛けつつ、炎玉は微笑んだ。 「孔昭は無事だ。それに必ず連れ戻す」  岳一族にとってこの上なく長かったその夜も、まもなく朝を迎えようとしていた。炎玉の後ろからまさに旭日の勢いで日が昇ろうとしている。背中に太陽を背負った炎玉は、小柄ながらも頼り甲斐を感じさせた。 「すまぬ、すまぬ……!」 「謝るな、小父上。あなたが悪い訳ではない」  攫われた娘の安否が気にならぬはずはない。それは花嫁の親友である炎玉も同じ筈である。だが、焦茶色の髪の持主は、それについては「大丈夫」と言ったきり、多くを語ろうとはしなかった。 「ただ、一刻も早く…」 「うむ」  炎玉の小さな手を痛い程に堅く握って、岳家の当主は涙を堪えた。 「出立だ!」  洛家の次男坊が右手を高く上げ、手を振る。列の最後尾に居た法螺貝の吹き手が、高々とそれを持ち上げ、深く力強い音色を奏でる。 「窮屈だろうが、暫く猫を被っていてくれ」 「言われるまでもない」  ふん、と軽く鼻を鳴らすのも、これが最後だろう。道中では一切気を抜くことは許されない。そして、ふと思い出したように振り返った。 「孔昭は無事だ。小父上、賊は恐らく流言飛語を飛ばしてくるだろうが、必ず行方を突き止めてくれ」  偽の情報百の中に真の情報一つがあればいい方だろう。賊の側から見れば、真偽取り混ぜあらゆる情報をばら撒くのが、この場合撹乱を意図する者として有効となりそうであった。望んでのことではないとはいえ、孔昭の扮装をしている今、流石にいつものような行動をする訳にはいかぬ。炎玉は隣に居た侍女に、輿の簾をそっと持ち上げさせ、優美な仕草で乗り込んだ。如何にも良家の子女らしく、可憐に、かつ淑やかに。 三  上空を鷹がゆったりと旋回している。厚手の上衣を頭から被った旅人は、それに気づいて、つと左手を高く差し伸べた。その腕に、慣れた様子で鷹が舞い降りる。足には小さな通信筒が付けられていた。旅人は鷹をあやしながら、足についたそれを取った。通信文を読み、すぐ傍にあった岩に腰を下ろして、返事を書く。鷹が旅人の肩や頭の上を楽しげに飛ぶが、作業の邪魔はしない。その行動を理解しているからだろう。通信筒に書いた返事を入れ、封をする。鷹は素直に足を差し出した。通信筒を括りつけて、顔や首の辺りを一頻り撫でてやると、嬉しげな声を上げて、力強く羽ばたく。次第に遠ざかる鷹を見ながら、旅人はまた歩きだした。  乾いた風が、冷たい音を立てる。どこまでも続く赤い岩と、その岩が風によって削られたために作られた赤く細かい沙とが、見渡す限りどこまでも続いていた。旅慣れぬ者であれば、そこで前途を儚んで絶望に打ちひしがれてもおかしくはない。だが、そこは沙と岩以外何もない場所である。そのままそこに留まれば、それは即ち死を意味する。旅人は、生き続けることを望むのであれば、立ち止まる訳にはいかなかった。  岳家の婚礼行列の先頭に立つのは、碧瞳の青年である。赤銅色の髪はその頭布に隠されて、今は見ることが出来ぬ。洛家の当主の第二子である彼は、岳家の当主の娘である女性を妻に娶ることになっていた。旅は順調であった。花嫁が不在であることを除けば。そう、この婚礼のもう一人の主役である岳孔昭は、岳家での儀式の直前に拉致されていたのである。気分が重くなるのは是非もない。花嫁の身代わりを立てて岳邑を出発したが、花嫁の行方は杳として知れなかった。 「孔昭。疲れてはいないか」  花嫁の幌に向って時々声を掛ける。岳邑を出た直後は花嫁衣装だったが、現在は洛家から持ってきた衣装をまとっている「替え玉」は、控えめに幌を開けて姿を見せ、静かに首を横に振った。いいえ。という声が風に運ばれてきたような気がするが、密やか過ぎてそれが現実なのか幻なのか、俄かに判断がつかぬ。洛家の公子は胸のうちで唸った。あの虞炎玉がこれほど完璧に替え玉をこなすとは。と。炎玉は花嫁である岳孔昭の親友である。背格好が似ている為に今回の役目を引き受けることになったが、容姿も性格もまるで正反対であった。寧ろ正反対であったからこそ二人は親友たりえたのかも知れない。 「あと少ししたら、駱駝に乗り替える」  表情がまるで見えない洛家の衣装は、花嫁の姿を隠すには好都合過ぎた。静かに首が肯くのを確認した花婿は、前方に目を向ける。行く手に沙河の渡し場が見えた。  沙河は、洛邑と岳邑のほぼ中間に位置する、伽都の方向から流れてくる河川である。沙の多い土地ゆえ、天井川で水量は多くはないが幅はそれなりにある。川沿いに南下するのが、伽都への通常行程であった。洛瓊琚は一旦対岸の様子を観察し、行列に停止命令を出した。  渡し場には、既に駱駝が用意されていた。駱駝は沙の多い地方で主に乗用若しくは貨物用に使われる乗り物で、南方ではあまり見られない。わざわざ乗り換えることを告げたのは、それが「替え玉」炎玉の実家がある海邑では、まず利用されないことを彼が知っていたからである。「花嫁」はしずしずと近寄って来、花婿の手から手綱を取った。駱駝の顔をそっと撫でた様子には、怖れは微塵も感じ取れない。駱駝は大人しくその場にしゃがみ、花嫁が横様に乗るのを待ってゆっくりと立ち上がる。 「大丈夫か」  目深に被った頭布は、表情さえも見えなくしてしまう。先程と同じように、慎ましやかに肯くのを見、更に言葉を続けた。 「順調にいけば、夕刻に其華に到着するだろう」  形の良い唇の端が、心持ち少し笑う形を作っているように見えた。  沙漠も終わろうとしているあたりにあるその小さな町は、規模としては大きくはないにせよ、適当な賑わいを見せていた。繁華街もあるようで、酔った男たちが肩を組んで陽気に歩いていく姿が、何組か見られた。そこを、小柄な旅人らしき姿が小走りで過ぎていく。大きめの皮革の衣は沙漠の熱も光も通さない丈夫なもので、装飾はないが品物は良さそうであった。頭部をも覆うそれは目深に被られていて、人相は良く見えないが、背格好から言って大人の男とは思えない。 「ようよう、いい衣装じゃねーか」  どこにでもいそうな輩は、ここにも居たらしい。面倒臭げに頭を軽く振って、相手が次の言葉を繰り出すのを待たずに、その爪先が地面を蹴った。「俺にそれを寄越せよ」と言い掛けた唇が驚愕の形に動く前に、男は地面に倒れ込んでいた。傍目から見れば酔ってそのまま倒れ込んだと思われそうな、平和な寝顔である。小柄な旅人は楽しそうに鼻で笑って、その場を立ち去った。  明るい光が窓から差し込んでくる。開いた目には、見慣れぬ風景が映りこんできた。そういえば昨夜は宿を取ったのだと思い出す。前夜が徹夜であったせいもあり、夕刻早目に宿を取ったのだが、入浴を終えてすぐ眠ってしまったらしい。眠りにおちた前後の記憶が途切れているのが少々不安ではあるが、牀の上に横たわっているようだから、恐らく自分で横になったのだろう。と身を起こした。辺りを見回して、思わず頭を抱える。この部屋は本来花嫁と二人で過ごす為に取った部屋だった。なので、牀は大きめであるが、代わりに横になれるような椅子などはない。はた、と花婿は思い当たった。炎玉。一緒にこの部屋に入った記憶まではあるが、今ここには居ない。まさか逃げたとは思わないが、取るものもとりあえず、慌てて部屋を飛び出す。隣は孔昭の侍女用の部屋である。ふと思い出して扉を叩くと、音もなく開かれる。彼を迎え入れたのは普段の姿の炎玉であった。宿屋は貸切にしていたが、花婿が入ると即座に扉は堅く閉ざされる。 「何だ、朝から騒々しい。しかも上半身裸というのはどういうことだ。淑女の前ということを弁えろ」  淑女に相応しい怒声かどうか、というよりは怒声そのものが淑女という存在に相応しいかどうか、を突っ込む余裕は既に無く、その内容に我に返って改めて自身の体を見る。下履きは辛うじて下半身を覆い隠してはいるが、上半身は何も纏ってはいない。淑女に悲鳴を上げられても文句は言えず、宿屋の建物の中で、自分の部屋の外を歩きまわるに相応しい格好とは到底いえない。 「良く眠っていたようだからな。起こさずそのまま寝かせて、私は侍女の部屋で一緒に休むことにしたんだ。文句はなかろう?」  替え玉であるだけの炎玉に、一緒の寝室で休むことまでは流石に強要出来ない。洛家での正式な儀式前であることも、寝室を別ける口実に出来るだろう。 「ところで、花婿殿」 「……何だ」  苦虫を二箱分ばかりまとめて噛み潰したような表情に思わず炎玉は笑みをこぼしかけた。 「今回の拉致の一件、もしかしてお前の兄が関わっているのではないか」  鋭く切り込んでくる言葉は、紫色の瞳の持主その人自身のようである。だが、それは彼自身も危惧していることでもあった。 「鈴が……」 「現場にあった、あれか?」 「……洛一族の者は誰も持っている。そして、あの鈴の音で、我々は互いが一族かどうかを判別出来るようになっている」  そう告げると、再び考えに沈みこむ。その思惑がどのあたりを回遊しているか定かではないが、現場にあった鈴が彼の心に重い影を落としているのは間違いないだろう。一族からの妨害など本来あってはならないことだが、後継としての兄を求めぬ一部の者は、第二子ではあるものの、後継の資格を持つ彼を強く推していた。そして、その一部の者は今回の婚礼を快く思っていない。何故なら、この婚儀によって、花婿は洛一族当主の座を継ぐ機会を永遠に奪われるからだ。 「孔昭は全てを知っていて嫁ぐと言った。私はあれの気持ちを大切にしたい」  今回の婚儀は、後継者の座を兄に譲りたい瓊琚の為のものと言っても過言ではなかった。後継者候補から外れる方法を考えていた彼に、この婚儀を提案したのは花嫁自身である。これは、お互いに好意を持っていた前提がなければ言いだすことは出来なかっただろう。孔昭自身も本来自分から結婚を申し出るような娘ではない。 「巻き込むべきではなかった」  堪えるように呟いた言葉に、やりきれなさが滲む。 「婚儀を完結させねば、計画の意味がない。孔昭の思いやりを無にするな。旅程は先に提示してあったものよりもゆっくりと行こう。時間稼ぎをしつつ、孔昭を探すんだ」  起こってしまったことは最早仕方ない。あとは、この儀式を完結させることと、拉致された花嫁を一刻も早く救出することが重要であった。空に鷹らしき影が舞っている。その影を認めて、炎玉はにやり。と笑った。花婿は朝食を摂ったら出立すると告げ、部屋に戻った。  石造りの館の窓は、採光を考慮して少々大きめにとってある。そこからは、外にある鏡湖が良く見えた。日差しは明るいが、暑いという程ではなさそうである。太陽に照らされて、湖面はまるで何かを誘うかのようにきらきらと輝いていた。几帳面なほどすっきりと、しかし無理なく背筋が伸びた姿勢で本を読んでいた青年は、ふと湖に目を向けた。と同時に、何かが窓から部屋へ飛び込んでくる。 「鷹玉、お帰り。ご苦労だったね」  鷹の足に括りつけられた通信筒を手際良く取ると、暫く鷹の相手をしてやる。首や頭のあたりを撫でると、鷹は嬉しげに目を細めて、青年に頬ずりする。楽しそうな声をあげて甘える様は、たいそう微笑ましい。 「三哥」  控えめで涼やかな声の後に、軽く戸を叩く音。それから、ゆっくりと扉が開かれた。雲なす黒髪を控えめに結いあげ、白い衣を身に纏った女性が、静かに部屋へと入ってくる。飾り気はまるでない装いであるが、ほんのりと桜色に染まった滑らかな頬には厭味のない円やかさがある。透き通るように白い手には小さな盆、その上には茶器と小さな器が二つ。 「ああ、ありがとう。助かったよ」  青年の微笑みを受けて、茶器はそのまま机の上にそっと置き、小さな器から中身を出して鷹に与える。更にもう一つの小さな器には水が入っていた。これも鷹に与える為のものだろう。嘴から飲むことを考慮してか、少々鋭い形状をしている。 「お疲れ様、大変だったでしょう。ありがとうね」  そういって兄と反対の方から手を差し伸べて、体を撫でる。鷹は二人に交互に甘えながら、餌と水とをゆっくりと平らげた。 「お前にはもうひと頑張りして貰うことになりそうだ。大変だが、頼んだよ」  青年がそういって咽喉のあたりを柔らかく撫でると、鷹は満足気に一声上げた。 四  岳邑を出て、早七日が経過しようとしていた。花嫁行列は、ゆっくりと、しかし確実に伽都へと進んでいる。人目も都市に近くなるに従って増えることも手伝って、普段のように活発な言動が「花嫁」には許されない。いや、行列翌朝に少し活動的な口調を宿舎の中で発したものの、それ以降は寡黙にして従順な「花嫁」に徹していた。それは「花嫁」を演じている虞炎玉には苦痛だろうと「花婿」はくすりと笑う。その「花嫁」の姿をふと振り返る。本来なら洛家で正式の婚儀を挙げるまでは、実家である岳家の衣装を洛邑まで着用していても良いのだが、炎玉は岳邑を出発してすぐの昼には既に洛家の衣装を身にまとっていた。理由は単純である。岳家の衣装では顔も髪も皆まる見えになる。しかし洛家の衣装は普通に着ていさえすれば、それだけで顔も姿も十分以上に隠れてしまうのだ。「身代わり」を務めている者にとって、まさに今の状況に打ってつけの衣装であるといえる。「花嫁」はその衣を目深に被り、口数も日毎に少なくなりつつある。本来の花嫁岳孔昭とてこれほど無口ではない。だが、今は無口な「花嫁」でいるほうが、問題は少なかった。その顎が、数日前より少し尖った印象を与えているような気がしたが、流石に「花嫁」も疲れているのだろう。と頭を振ってその考えを払った。  見上げると、薄い色をした青空が、高く見えた。上空を鳥がゆっくりとまわる。目深に被った布を少しだけ持ち上げて鳥を確認すると、左手を高く空に掲げた。鳥はそれを待っていたのだろう。一直線に降りてきて、それに捕まる。しかし勢いと引力のお陰で、小柄な旅人は鳥に引っ張られるように体勢を崩した。転ぶ寸前で止めることが出来たのは、多分平衡感覚を鍛えた成果か、若しくは単なる幸運のおかげかも知れない。 「ありがとう」  鳥は、まだ若い鷹である。右手で腰に吊るした袋から干し肉を取り出して鷹に与えると、足につけられた通信筒から手際良く手紙を引っ張り出す。鷹は旅人の肩の上で休憩を取りつつ、上手に干し肉を平らげていた。文面にさっと目を通すと、裏に返事を認めて通信筒へと戻す。 「頼んだぞ」  一声上げて鷹は空高く飛び立った。その様子を、少し離れた場所から見ていた人影がある。鷹の飛び去る方向を確認すると、歩き出した旅人の様子を注意深く凝視していた。 「行くぞ、月鬼、日鬼」  低く抑えたような声が響く。その傍らにいた大小二つの影が、ゆっくりと動きだす。大きな影の上に飛び乗った小さな影は、それを踏台にして声の主の肩へと上った。首の辺りが暖かくなるのを待って、観察者は歩き出した。旅人が、過ぎ去った方へと。  儀式の支度が済んで、天幕を出ようとした時だった。突然声が出なくなり、闖入者に気絶させられて、今自分がいる場所すら把握出来ていない。そこが生まれ育った場所ではないことだけは判ったが、両手両足に枷を嵌められ、目隠しをされて、荷車のようなものに転がされて運ばれているのに気づいたときは、流石に肝が冷えた。だが、ふと肌に感じる微かなものが、彼女を不安からそっと救いあげた。 「私がお前を守る。だから、心配するな」  温かい紫色の瞳の主は、そう彼女に言ったのだった。約束を違えたことのない、親友である。前方に立ち塞がるものは小さくはないが、小柄な身でそれらを打破する力を持つ人だと、彼女には判っていた。 「食事だ」  扉が開き、くぐもったような声が聞こえた。食欲を刺激するという程ではないが、空腹の身には十分に威力を持つ香が漂った。食事の時は目隠しを外される。手首の枷は鎖で繋がっているが、食べる間はその場所は彼女一人になっているようだった。人質に姿を見られることを避ける為だろう。だが、彼女が逃げないように小さな窓から監視されていることは理解していたし、とりあえず従順を装っておいた方が隙も出来るだろう。何より、体力を温存して置かねば、何れ助けが来たときに、動けない。彼女は与えられた食事を、いつもと同じ優雅さで、ゆっくりと口に運んだ。味や料理の質は格段に落ちるが、それによって自分の行動の質を落とすとしたら、それは食事そのものに対して、誠実ではない。じゃらじゃらと鎖が音を立てる。その音は、ずっしりとした重さを感じさせつつも、どこか音楽のような響きを持っていた。 「待ってる」  力を失っていない瞳で誰にともなくそう呟いて、彼女はひっそりと微笑んだ。  伽国の南方には山岳、西には湖沼が広がっていて、このあたりはその中間である。比較的温暖かつ湿潤な気候であるといえた。木造の家屋は、どっしりとした構造で、平屋ではあるが屋根は極めて高い。湿潤な気候には木造が最適だとして、古い時代の邑主がその建築を選んだと言われていた。事実、屋根が低いと気温は上がり易い。冬は寒いが、夏はたいそう涼しいので、夏季に適した、というよりは特化したと言った方が正しいような建築である。この構造が思い切り裏目に出る冬は、天井部分に一枚板を置いて屋根裏と仕切るという方法で、空間を小さくすることによって暖房効果を上げる工夫をしていた。ただし、隙間を少し作って空気の流れを妨げないようにもしている。 「ええい。まだ到着せぬのか」  苛立たしげな声を上げたのは、赤髪に黒瞳を持った壮年の人物である。色彩を考えればかなり派手といえるかも知れないが、余裕のなさが傍目から見ても酷く判るほどに、焦った表情を浮かべていた。程々に蓄えられた髭は頭髪と同じく赤だが、頭髪よりはややくすんでいて、もさもさとした印象を見るものに与える。それは、十分な手入れをしているようには見えない。それとも、手入れをする余裕がないということなのかも知れない。 「落ち着かれませ」  ゆったりとした様子で窘めるような声を発したのは、同じ赤髪に黒瞳の、しかしもう少し若く見える人物であった。年齢は一回り程度は確実に下だろう。しかし落ち着いているせいか、容貌はともかく態度は年齢が逆転していてもおかしくなさそうだった。 「これが落ち着いていられるか!」  吐き出すような言葉にも、余裕のなさがにじみ出てきているようだ。 「そう慌てなくとも、すぐに到着しますよ」  青年は相手の焦燥ぶりをじっくりと楽しむかのように、妖艶に微笑む。それは、異性ならずとも赤面してしまいそうなほどに、蠱惑的であった。息も絶え絶えの鼠を弄ぶ猫にも似た冷酷さが、その表情の中に垣間見える。髭の主はごくり。と唾を飲み込むと、ようやく落ち着いたらしく、ゆっくりと息を吐いた。 「しかし攸除よ。これが露見すれば、我らもただではすまぬ」  攸除と呼ばれた青年は、軽く目を細めた。それから表情を一新するかのように一旦瞳を閉じ、静かに開く。 「大丈夫ですよ、伯父上」  にっこり微笑みながら口にしたのはそこまでで、あなたが余計なことさえしなければ、ね。という言葉を青年は心の中で付け加えるに止めた。高い空では鳶のような鳥がゆっくりと旋回している。遠くから響くような鳴声だけが、二人の間にそっと響いた。  ここ三日程、背後に気配を感じていた。後をつけられていることに気づいたのは、従属物のせいであるが、それがなければ気づかなかったかも知れない。悪意も善意も感じられないが、それは追跡者の性格ゆえなのか、それとも気配とともにそういったものまで消しているのかは、判らない。単に観察されているだけなのかも知れないとも思ったが、現況でそれを信じることが出来る程、楽観的にはなれなかった。先を急ぐ旅でもあるし、不安要素は消しておきたい。音を立てず、気配を消して、少し離れた場所から観察をする。追跡者は慎重かも知れないが、従属物には隙がありそうだ。と観察して、一旦火の傍に戻る。その懐から小さな布袋を取り出した。布袋の中には細かい紙袋がいくつも入っていた。そのうちの一つをそっと取り出して、焚火に静かに投げ入れる。と、旅人はそこから再び離れて、様子を観察すべく闇の中に身を隠した。  効き目が現れるのに、少し時間が掛かるかと思ったが、その心配は不要だったようである。程なくして従属物が突進してきた。小山ほどとは言わぬが、中々に立派な体格をしている。毛皮はふさふさとして、銀色に輝くように見えた。その銀色の毛皮が焚火の中に飛び込む。その仕草は与えられた玩具に擦り寄る猛獣に似ていた。毛皮が焼けるだろうか、と他人事ながら旅人がふと思ったとき、金色の小さなものが銀色の毛皮に飛びかかった。毛皮に移った炎を消そうとしているようだ。それに続くように、人影が走り寄る。 「月鬼、日鬼!」  銀色の波が、月に照らされて揺れた。と見えた。癖もなく風に流れるそれは、追跡者の頭髪であった。顔の辺りは良く見えぬが、きりりとした顎の形は整っているように見えた。ほっそりとした体躯はしなやかに動き、月鬼、日鬼と呼んだものを焚火から救おうとしている。旅人は、漸く追跡者の姿をその目で見る事に成功したのであった。  焚火そのものは、元々大きくはなかったし、既に鎮火しつつあったので、銀色の毛皮のものも殆ど火傷をせずに済んだ。ただ、灰に目一杯顔を突っ込んだ為に、灰色の毛皮になっていた。それは金色の小さなものや後から現れた追跡者も同様で、煤と灰を頭から浴びたようになっていた。その様があまりにもおかしかったので、旅人はつい声をあげて笑った。 「誰だ!」  追跡者は既に自分の追いかけていた存在の事を失念していたようだ。声に出してそう叫んでから、しまったという顔で口を閉ざす。暗がりから旅人が現れたとき、その鮮やかな程に紺碧の色をした瞳だけが、少し細められた。 「灰色の髪、紺碧の瞳…。風家のものか? 私を追跡していたのはどういう訳か?」 「……別に追跡していた訳ではない。ただ、同じ方向に用事があっただけだ」  嘘をつけぬ性質なのかも知れない。微かに目線を逸らして、口ごもった様子は、まるで子供のようだった。事実、子供のような姿をしている。細く尖った顎はもう少し肉を与えて丸みをつけた方が良さそうである。上背もあまり大きいとは思えないが、その体の線の細さと言ったら、少女と言っても通用しそうな程である。 「二日も三日も同じ方向とは、私も舐められたものだ。先を急ぐゆえ、あまり構ってもやれぬのでな。正体だけは確認させて貰ったことだし、ここからは誰ぞ別のものの後でも追跡するが良い」  ぐ、と言葉に詰まったように眉を歪める。その様があまりに可愛らしく見えて、旅人はひっそりと笑った。 「何ぞ言い訳があるなら、言ってみよ。私も木石ではない」  そう言って頭布をそっと下ろす。焦茶色の髪を後頭部の高い位置で一つにまとめた旅人は、紫色の瞳に柔らかな色を浮かべて問いかけた。 「そなたの名は? 風家の者よ」 五  乾いた埃を含んだ風が、旋風を巻いている。淡い土色の風は、水気のなさを証明していた。事実そこには、荒涼とした空気以外のものはない。水を落としても忽ちの内に蒸気となって消える。沙と岩だけがどこまでも続くそこには、定住するための建物を作ることに意味をなさなくなる。故に、天幕を張って住居とする。勿論、移動式住居であるから、長く居住するには向かない。よって、その場所もほんの少しずつではあるが、時折移動する。その名を、洛邑という。伽国七姓の一つの家柄である洛家の本拠地である。それは、伽国を支えるべき貴族という身分からすれば、あまりにも質素に過ぎる邑であった。しかしそれとて海邑よりも規模は巨大である。  洛家では、まもなく婚儀が行われることになっていた。洛家当主の次男である洛瓊琚と、七姓の家である岳家当主の長女岳孔昭との縁組である。家の格からすれば見事に釣り合っているといえるが、本来伽国では七姓同士の家が婚姻を結ぶことは許されてはいない。しかし当主の跡目を継がない者に限り、お目こぼしが与えられる。それについても、伽国国主つまり王の認可が必要となる。岳家から花嫁を連れて王の御前で許可証を得、その上で洛邑に戻って婚儀を行うのだ。岳家から洛家に直接来るだけでも結構な道のりを、一旦伽都豫まで行かねばならぬのはかなり面倒ではあったが、手続きを踏まずに勝手に婚儀を行ったとなれば、咎めを受けかつ謀反のそしりを免れない。いや、結婚そのものを合法と認めてもらえなくなる。形式を踏まねばならぬときもあるのだった。  次男坊が嫁を迎えに行って、早くも三月が過ぎていた。そろそろ日が沈む。衣の上から頭布を深めに被った人影が、もの慣れた様子であまり大きくはない天幕の中へ入る。胡坐をかいて、頭布をそっと外すと、赤銅色の頭髪を軽く振った。碧瞳は射る様な鋭さの中に、何かを達観したような光を宿していた。 「戻りましたか」  天幕の外からそっとかけてくる声があった。柔らかい、女性の声である。慌てて居住まいを正す。それだけの身分の人物なのだろう。 「瓊華殿」 「これは、義母上」  義母上と呼ばれた人物が静かに天幕の中に入ってきた。頭布で表情は然程良く見えない。だが、そこに存在するだけで、場が華やぐような空気を纏う人であった。身なりも、飾り気こそはないが、仕立ての良いものを違和感なく着こなしているのが一目で判る。わざわざ立ち上がろうとする義子を軽く手で制し、そのまま下座にかけようとする。 「長く話しこむ訳ではありませぬ。このままで」 「しかし!」  ほほ。と指を口に当てて笑って見せる。目尻に皺が刻まれてはいるが、その軽やかな笑い声には若さがあった。対する義子にはあまり余裕はなさそうである。それは、どんな時にも礼儀を優先させるようきっちりと躾けられている者が、それを上位者の命令により遂行出来ずにいるためと思われた。 「なるほど、融通がきかぬとは良くも言われたものじゃ」  からからと明るい笑い声は、この天幕では長らく聴かれぬものであった。天幕の隅にもその笑い声が届くと、そこに明るさが生まれたような気さえする。朗らかな笑い声が、耳に心地よく届く。こんなのはいつ以来だったろうと瓊華はふと思念を巡らせかけて、慌てて義母に目を向け直す。何か用事がなければこのような場所に来るとも思えない。 「わざわざのお立ち寄り、誠に恐れ入ります。それで、何か」 「いえ、大したことではありませぬ。ただ、瓊華殿のご機嫌伺い。とでも申しましょうか」  その為にわざわざ来たというには、あまりにもな言葉であった。確か、義母が使う大天幕は洛邑中央部にあり、周辺部のしかも一番外縁部に近いこの天幕のあたりまで来るには、かなりの時間を要した筈だ。 「……確認の為の、ご訪問なのでしょうか」 「そうかも知れませぬし、そうでないかも知れませぬ。時に」  促すような義母の言葉に、ふと視線をそちらに向ける。緊張故に、眉根が寄るのは是非もない。 「おお、怖。お茶など一杯、頂けませぬか」  大して怖がっているようにも見えないが、義子は礼儀正しくその言葉を黙殺した。 「これは失礼致しました。すぐに」  手際良く、茶の用意をはじめる。すぐに去ると言っておきながら茶を要求する矛盾について考えかけたが、だがその成果をこの義母にぶつけられる筈もない。 「どうぞ」  義母にすすめ、自分の前にも同じように椀を置く。白い指先が茶器をそっとつまんでそっとあおる。本来は招かれた側が招いた相手に対する信頼の証として行う仕草である。それが終わらぬうちに、義子もまた、茶器をあおった。信頼の返しという訳である。 「良い飲みっぷりでいらっしゃること。酒でないのが、いっそ残念」  そういってまたころころと笑う。白い指先を口の辺りに添えた様は、七家の一つ洛家当主の妻として相応しい気品を備えていた。 「父上は、相変わらずですか」  この女人に付き合っていたら、いつまで経っても話が進むことはないだろう。半ば諦めかけていることではあるが、じっと黙っているよりは少しは進むに違いない。 「ええ、相変わらず若い女性がお好きなようで。ほほほ」  自らの夫であるということは考えていないのかも知れない。もっとも、夫の女性関係にばかり頭を使っていては、当主の妻は務まらぬだろう。それでなくても多事多端な身分なのだ。 「ところで」  義母の目がそっと静かに光って見えた。微笑んだ顔を崩すことはないが、印象ががらりと変わる。 「あなたの弟が、妻を迎えます」 「はい」 「あなたは?」  畳み掛けるような言葉には、一片の容赦もない。さっさと身を固めろということなら、すでに何度も言われていた。しかし。 「私のような数ならぬ身のものに、嫁いできてくれるような娘など、おりませぬ」  半ばほどは、嘘である。父は七姓洛家の当主なのだ。 「哥であるあなたが妻を迎えねば、あの子とて格好がつきますまい」  ぐ、と詰まりかけたところに、更に追い討ちがかかる。 「そうそう。あなたの弟を当主に就けたがっている者たちがおりましたね」  いきなり予告もなく転換された話題に一瞬思考が斜めに飛びかける。 「……はい」  側室の子である自分を疎んじ、正室の子である弟を当主にと推している者たちがいた。特に徒党を組んで何かをしようとしている訳ではないが、今回弟が唐突に決めた婚儀に不満を募らせている輩は多い。その不満が爆発せぬかどうか、天幕の主はそれをずっと心配していた。弟もそれを気がかりにしていたらしく、出発前夜この天幕を訪れていたのである。 「どうも、動いたらしゅうございますよ」 「え。……それは、どういう」  追いすがるように掛けた言葉も、義母には届かなかった。言いたいことは言ったとばかりにさっと立ち上がり、あっという間に天幕を出て行った義母の後姿の名残を見つめながら、彼は深く重い息をひとつ、吐いた。弟の結婚相手は岳家当主の娘である。弟がその姫を選んだのには、意味があった。それは、たとえ周囲が反対したとしても、七姓の家であれば、そう簡単に危害を加える訳にはいかないからである。危害を加えたが最後、岳家当主の怒りを買い、返り討ちにあってもおかしくはなかった。それを敢えて侵そうとするものがいるとは、彼には到底思えなかった。だが、義母の言葉に虚妄があったことは今までない。先に待ち受ける労苦を思って、彼は再び重い溜息をついた。  義子の天幕から出ると、空を見上げた。深い藍色の空に、銀沙を撒いたような星が広がっている。 「ここまで押してやらないといけないなんて、本当に駄目ね。あなたの哥上は」  少し楽しげな声でそう呟いて、近くに繋いでおいた駱駝に乗った。 「さあ、寒くなってしまう前に帰りましょう。旦那様の夜伽をする必要はもうないけれど、主婦としては家の管理はきちんとしなくてはね」  それに呼応するかのように駱駝が重々しく鳴いた。  どこかに連れ去られた岳孔昭の手がかりを求めて、岳家はその持てる力を総動員して調査に当たっていた。満遍なく展開されたそれはある意味水も漏らさぬものと言えたが、虞炎玉に言わせれば「無駄な戦力配分」ということになる。その指揮を取ったのは岳孔昭の兄である岳孔嘉であった。焦茶色の髪の持主からすれば「愚鈍にして鈍重」な最悪なる人事である。だが、岳于飛が心労で倒れた今、当主代行として動けるのはその嫡子である彼しかいなかった。逆に岳孔嘉という人物であったからこそ、その力を「満遍なく展開」せざるを得なかったとも言える。それを知ったら孔昭の親友である人物が重い溜息を吐くのは必至であるが、最初からあてにしなければいい。とでも言うかも知れない。しかしそれでも、それなりの精度の情報が幾つか集まっていた。その一つが、見慣れぬ荷馬車である。  その荷馬車は、猛獣か何かでも護送しているような風情だった。という。停車していた時間は長くはなかったが、時折じゃらじゃらと鎖が鳴るような音を聞いた者も居た。その荷馬車を見ていたものは多くはない。だが、その荷馬車の停まっていた辺りに、銀糸が落ちていたことに気づいたものは更に少なかった。その銀糸には、赤い小さな布片がついていた。布がなかったら、銀糸は見過ごされていたに違いない。その布と銀糸を見た孔嘉は、「あっ!」と声をあげた。その銀糸は妹の毛髪であり、赤い小さな布片は婚礼衣装の一部であったからである。赤の布自体は別に珍しいものでもない。だが、岳家婚礼用の衣装の布は、少々特殊な糸で織られていた。光沢も糸の細さも織も一級品のそれは、七姓のみに許されたものである。恐らくは監禁されて不自由な身でありながら、何とか自分への手がかりを落として行こうとしたのだろう。一つ間違って、赤い布片がこちらの手の者に届く前に拉致した者達に知られたら、岳家から出る花嫁がかなり危険な立場に追い込まれるのは疑いの余地がない。 「しかし。やることが大胆だよな、あいつも」  親友である人物の影響力の凄まじさを目の当たりにして、岳家次期当主候補(予定)はそっと笑った。 「お淑やかなだけだったあいつが、随分変わった」  以前のままの孔昭なら、うろたえて何も出来ずにただ拉致されていくままだったろう。それが、自分の居場所を発見してもらうために最大の努力を払うようになった。身の危険は承知だろう。だが、それでも為さねばならぬときに為す一手を間違えることがあってはならない。妹の身を案じながら、彼は花嫁が残した手がかりを見落とすまいと、その蒼い瞳を凝らした。 六 「名前を訊ねるなら、先に名乗るべきだろう」  拗ねたような物言いではあるが、一応筋は通っているだろう。生家を既に特定され、反抗する意志はなさそうだが、少々釈然としないものを感じているのかも知れない。 「ふん。まあ良かろう。私は虞炎玉という。海姓五家第四姓の出だ」  踊るような紫色の瞳が、好奇心を満たして追跡者を見下ろしていた。とはいっても、発言者はかなり小柄なので、見下ろした角度は威圧感を与えるほどのものではない。 「……風維王だ」  吐き出すような言葉は、溜息にも似ていた。癖の少ないさらりとした灰色の髪は、首の後ろあたりで一本に束ねられて、多少持主が頭を振ったくらいではなびいたりしない。しかし額に掛かった前髪の一部は、その動きにゆっくりと従って揺れ、そして戻った。 「何故私の後を追尾した?」  瞳は笑っているが、炎玉の小柄な身体には隙がない。それを睨むような目で見ていた紺碧の眼の持主は、暫時の沈黙のあと、再びゆっくりと吐き出すように、その唇から零す。 「場所が判らなくなったんだ」  あまりといえばあまりの言葉に、一瞬思考が停止した。と言っても、誰も咎めはすまい。犬が飼主の飛ばしたものをとって拾ってくる程度の時間がのんびりと経過したのち、焦茶色の髪の人物はあっけに取られたような顔はそのまま、漸く言葉を紡ぎだすことに成功した。 「……なんだと?」  意外といえば意外な返事に、再び間が空いた。紫色の目を丸くしつつ、先を促すように視線を送ると、厭々ながらもぽつりぽつりと語り始めた。つまり、維王は迷子の達人だったのである。 「では、試みに問うが。その従属物どもは、お前の方向感覚を補う為のものではないのか?」  銀色と金色の毛並みを持つ二匹は、維王の左右にちょこんと座っている。銀色の毛の獣が月鬼、金色が日鬼だと維王は言った。大きさは大分異なるが、片方が猫に近い動物で、もう片方は犬の眷属であるように思われた。 「月鬼と日鬼は…、愛玩動物であって、家来じゃない」  挑むように見つめ返してくる瞳は中々に強い光を持っていた。だが、言ってる内容は要するに道案内役としてはこの従属物達が役に立たないということである。 「……せめて、役に立つものを旅には連れ歩け。お荷物になって足を引っ張るようでは、お前の命が危なかろう」  仕掛けた側が言うのもおかしなことだ。と思うのは、その滑稽さが際立って見えるからである。現に、月鬼は炎玉の罠によって引きずり出された。そのまま後を追いかけてきた日鬼や維王ともども拘束し、必要であれば後顧の憂いを断ち切る為のあらゆる行動も考えていたし、実際それは、難しくはなかった。ただ、害意があるともないともつかぬままであったし、何より余計な恨みを買って却って面倒な事に巻き込まれるのは避けたかったので、状況を確認することを優先させただけである。 「俺が育てたんだ。放り出す訳にはいかない」 「……なるほど」  そこで深く肯きながら、焦茶色の髪の持主はにんまりと笑った。 「つまりお前はだ。役にも立たぬその愛玩動物とやらを旅に連れて歩いて、しかもその行動に振り回されて、居場所を見失った。と。そういう訳だな?」 「ななな。そんなことはない。月鬼も日鬼も鼻を駆使して地図だの磁石だのを探してくれたんだ。こいつらばかりが悪い訳じゃない」  更に微笑みを深くして、追い討ちをかける。 「そう、つまり管理責任者が無能だからだ。そういう責任者に飼われた動物はいっそ哀れだな。本来役に立つべきところで立たぬものになる。そもそもこのちっこいのが」  ひょい。と日鬼の首根っこを捕まえる。 「何をする!」 「犬というのが、良くない。犬は大型なものの方が旅では役に立つだろうに」 「それは……そうだが」 「しかもこっち」  月鬼へ向って顎をしゃくる。 「大型の猫というのは扱いが厄介なんだ。血の味を憶えたら人を襲うことだってある」  割合は高いかどうかは不明だが、人を食う猫科の大型獣が時折出現することも知られている。しょげ返った維王は、哀れな程に小さく見えた。空中に釣り上げられたままの日鬼はその姿を見て必死に足をバタバタさせる。月鬼は訳が判らぬままに炎玉を睨み、主に身を寄せて庇うかのように一歩前へ出た。 「まあ馬鹿な子程可愛いというしな。その気持ちは判らぬでもない」  そう言うと紫色の瞳をそっと伏せて、日鬼を元の場所へ下ろしてやった。金色の毛皮の塊が、維王の膝下にじゃれ付く。元追跡者は驚いたように少し目を見開いて、炎玉を見つめた。 「で」  話題を切り替えるかのように、表情も先程とは全く違う、冷たいものになっている。その表情に灰色の髪の主はごくり。と唾を飲み込み、呟くように告げた。 「峡邑へ行く」  相手が何かを言う前に、鋭く切り込むような声がそれだけを告げると、維王は押し黙った。炎玉もまた口を噤んだが、それは紺碧の瞳の少年が言った地名のせいである。「峡邑」。それは、海家を含む七姓の一つ峡家の本拠地であった。七姓とは、この伽国で最も勢力を持つ貴族である。岳家、洛家、そしてこの少年の生家である風家もまた七姓に連なる。虞炎玉が属する虞家は、海一族に入るが、細かく言えば海本家ではなくそれを支える家柄である。一般的社会的序列を考えれば、炎玉はこの少年よりも遥か下の席次に着くことになるのだ。しかし社会的序列はどうあれ、当然ながらそれが一個の人間としての価値を押し上げたり押し下げたりする訳ではない。 「お前も…峡邑に行くのだろう? 俺は峡邑に行きたい。行かねばならん用事があるのだ。連れていけ。いや、連れていってくれ」  その紺碧の色をした眼には、切羽詰まった何かがあるように見えた。 「断る!」  冷たい視線はそのまま、紫の瞳に怒りのようなものを潜ませて、突き放す。それは、維王が連れている従属物の為に、炎玉自身にも火の粉が飛んでくる可能性を考慮したためだろう。実際、旅の間には思いも寄らぬ出来事が起こり得る。連れ去られた花嫁を救出するだけなら、炎玉一人でも何とかなるかも知れないが、足を引っ張るだけの同行者が居ては、それも叶わぬものとなるだろう。 「では…、この伽国で起ころうとしている陰謀を未然に防ぐ為と言ったら?」 「……何だと?」  焦茶色の髪がそっと風に揺れる。その髪の主の瞳を真正面から見据えながら、薄い唇が少し口ごもりながらも、ゆっくりと言葉を紡ぎだす。それを聞きながら、紫色の瞳が次第に驚愕の形に見ひらかれた。  のんびりとした風が湿り気の多い空気を撫でる。飛ばすほどの勢いはないが、湿気を籠もらせることはない。のんびりした空気を破るように靴音も高く現れたのは、黒く艶やかな髪を持った長身の人影である。その靴音に気づいて、二本の木に紐状のものをまるで蜘蛛の巣のように張って寝ていた人物が目を開いた。 「やあ、おはよう。久しぶりだね」  のんびりした声には、まだ眠りの名残がある。つかつかと歩み寄った人物は眠りから醒めたばかりの知人の上にのしかかり、襟元を鷲掴みにして引き寄せる。唇がぶつかるまであとほんの少し、という絶妙な位置でぴたりと止まった様は、芸術的調和を示すようにさえ思えた。 「…男と目覚めの接吻というのは、流石に遠慮したいなぁ」 「誰がお前のような妖怪と接吻など」  凄んでみせる声は、低く押し殺してはいても激情の余韻が漂っている。普段冷静沈着で知られたこの黒髪の人物がここに到着するまでに、何か一悶着あったことは容易に察せられたが、寝ぼけたままで回転をはじめていない脳には、十分に推し量ることは出来ない。 「妖怪だなんて、酷いな」 「では、妖怪以下の魑魅魍魎、若しくはそれらの下っ端かそれらの眷属とでもいってやろうか」  真顔で台詞を寸秒の隙間もなくぽんぽんと返してくるあたり、いっそ本気なのかも知れない。 「そんなことよりさっさと吐け。何を企んでいる」 「厭だなぁ、企んでる、なんて。大体、僕が君の為にならないことなんてする筈がないでしょう?」 「私の為になるようなことも一切してはいないがな」  手を放し、ついでにそっぽを向く。その黒い髪は解き放ってしまいたい衝動に駆られるほど艶やかである。長さは、恐らく背中を覆う程度であろう。癖のない真っ直ぐな黒髪は後頭部の中央で一つにまとめられて、藍色の布に包まれている。凛々しい眉は少々釣りあがっているが、それは機嫌の良し悪しに関わるものかどうかは不明であった。血色のいい肌色は滑らかで、さらりとしていながらしっとりとした湿度を触れたものに与えるのかも知れない。褐色を帯びたその瞳は切れ長で、冴えた刃物の波紋を思わせる冷たい輝きを宿していた。ぞくり。と身のうちに冷たい汗が下るのを感じながら、昼寝を中断された人物は、そっと床に足を下ろす。 「心外だな。僕はそんなに信用がないのかい?」 「あるとでも思っているのか」  のんびりした昼日中の空気とは対象的な、冷やかな雰囲気を身に纏う。一言の冗談を混ぜる余地さえも残さないやりとりは、遊戯のような駆け引きも許すことはないのだろう。 「怖いなぁ」  言葉とは裏腹に、怖がっている様子は微塵もない。寧ろ、黒髪の人物の様子を楽しむような風情が漂っている。不快気に眉を寄せて睨み付けると、軽く微笑んで舌を出して見せた。 「情報は、どこまで掴んでいる?」  そのがっしりした背中を覆う藍色の衣の裾には、あまり目立たないけれども細かい文様が見事に刺繍されていた。精緻なその刺繍はかなりの縫い手が刺したものだろう。着用者の身分にも相応しい衣装ではあるが、そこまで精緻なものを仕上げられる職人は、伽国広しといえども、国内に数える程しかいまい。 「相変わらず見事な刺繍だよね。君の衣装を作る人の腕は大したものだ」  寄せられた眉根が更に険しさを増して相手を睨み付ける。 「おおっと。怖いなぁ。別にからかうつもりはないよ。ただ、君の奥方ってもう亡くなられてだいぶ経つよね」  険悪な空気から逃れるように少し距離を置いて、頭をめぐらせる。 「君の一族の一人である虞家のお嬢さんが、婚儀の場から連れ出された岳家の姫君を追って、風維王と合流した。そんなところかな」 「維王だと?」 「そう、あの維王だよ」  ひた。と視線を据えて、にたり。と笑いを滲ませる。何かを企んだ道化の顔というのは、こういう顔なのかも知れない。と黒髪の人物は唐突にそんなことを考えた。 「風家の嫡子が、何故……」  その答えを出すには、あまりにも情報が少なすぎた。 七  故郷では味わえない、潤いを含んだ空気が、小さく開けられた小窓から、風となってその肌をかすめた。思わず目を閉じて鼻に意識を集中してみるが、目隠しをされているのに目を閉じた自分を嗤う程度の余裕があることに気づいて、ひっそりと微笑む。青臭いとでも言いたい匂いが、ほんのりと感じられた。水を含んだ空気があることを彼女は察知していた。屋根のある荷車のようなものに押し込められてから、既に数日が経過している。食事は与えられているが、自身が匂う気がするのは如何ともし難い。それに、水浴を許されたところで、監視つきであるのは明白だったし、知らぬ者に肌を見られるよりはマシだと自分を慰めていた。親友である勇ましい人物は、きっと近くまで来ているに違いない。荷車を牽く動物の足音は、馬か驢馬。駆け足でないのは、目撃者に不審に思われるのを避ける為かも知れない。僅かな情報が、彼女にとっては全てであった。足音、車輪の音、荷車のきしむ音、風の音、水の音、外から差し込むほんの少しの光、そしてそれらの匂い。持てる力と知識の全てを総動員してもここから逃げ遂せるかどうかは判らない。寧ろ、再度捕まって更に厳重な警備をつけられる可能性もある。ただでさえじゃらじゃらとした鎖が腕と足にしっかりとつけられているのだ。逃げ出す機会があれば、それはただ一度きり。その機会を逃してはならないが、焦ってもいけない。焦りは計画を破綻させる。銀色の髪の花嫁は、じっと時を待っていた。 「……」  床板の隙間から、何やら囁くような声が漏れ聞こえる。思わずびくっと身を硬くしたが、相変わらず荷車は動いていて、変化はないようだった。しかし、その声は彼女に力を与えてくれた。思わず力強く肯きかけて、慌てて堪える。少しでも不審に思われれば、脱出が難しくなる。岳家の姫君は、ごくり。と唾を飲み込んだ。  奇妙な邂逅から一夜が過ぎた。勝手についてくることになった風維王についてはともかくとして、その従属物である月鬼日鬼をどうにかせねばならない。このまま連れていけば足手まといになるばかりか、岳孔昭を救出することさえ出来なくなる。細い顎に指を添えて何事かを考えていた虞炎玉は、ふと顔を上げた。 「この従属物どもを少々訓練しなおす。異存はないな?」  それは許可を求める言葉ではなく、決定を伝えていた。ぎょっとした顔の維王が「待て!」と言い出す前に二匹を連れ出す。 「これは海一族の秘儀なのでな。お前はここで待て」  反論の余地を与えずにやりと笑い、彼の「愛玩動物」二匹を引き摺るように歩いていく。真っ直ぐな焦茶色の髪が、馬の尻尾のようにゆらゆらと揺れて遠ざかるのを、維王はただ見つめることしか出来なかった。  暫く後に二匹を連れて炎玉が戻ったとき、維王はそのただならぬ様子に驚いた。炎玉自身は何も変わったところはない。だが。日鬼と月鬼は、まるで様変わりしていた。いや、その体に傷や汚れがあった訳ではない。ただ、顔つきが明らかにそれまでの二匹と違って見えた。ごくり。と音を立てて唾を飲み込んだのは、その空気に当てられたような気がしたからか。維王が近寄ると二匹もまた駆け足で主に駆け寄ろうとしたが、炎玉の鋭い命令にぴたりと止まる。それは、訓練された動物の動きであった。維王がそれまで何も訓練していなかった訳ではない。一応一通り出来ることは試し、また専門の訓練家に預けるなどもしてみたが、預けて半日で匙を投げられるのが常であった。それがこの変わりようは……。 「必要最低限の訓練だけはしてある。まあお前の命令にも絶対服従するかどうかまでは判らんが」  ぬけぬけと言った炎玉に、恐らく悪気はないのだろう。しかし「お前の命令にも」というのは、「炎玉の命令になら絶対服従する」ということなのか。主でない者に二匹が従うというのだろうか。丸く大きな碧眼が見ひらかれているのを、炎玉は興味深げに見ている。 「どうした?」 「いや、その……」  二匹は焦茶色の髪の主の両脇にそっと立った。まるで彼女が自分たちの主であると主張するように。 「とりあえず私の命令には絶対服従するように躾けてある」  真っ直ぐな焦茶色の髪が、風にそっと揺れた。その薄い唇が短く鋭く、用件のみを告げる。 「遅れを取り戻す。出立するぞ。支度をしろ」  その紫色の瞳が、挑むような光を帯びるのを、眩しいものを見る目で維王は見つめていた。  旅を続けるうちに、維王はこの焦茶色の髪を持つ人物が驚く程に旅に慣れていることを思い知ることになった。しかも、水場まで把握している。既に通ったことがあるのか?と訊ねると初めてだという返事が返ってきたのだが、水場を把握していたことについては「何故その場所を迷うこともなく知っているのか」を確認することが出来ずにいた。旅慣れぬ彼は足手まとい以外の何ものでもないことを自覚せざるを得ない状態になってはいたが、しかし何故か感謝の気持ちを上手く表現出来なかった。無論、今まで育ってきた環境がそれを妨げていることもあるだろう。一族の皆は嫡子であり次期当主となるであろう彼に傅き、彼の喜びを最上とする仕え方をしていた。己一人の立場になるまで、それが当然だと思っていた。嫡子という身分は彼にとって生まれたときからついてまわっているものだった。維王はその身分についてまわっている特権を享受していたし、恐らく彼に仕えていた人々もまた、そうであったに違いない。だが。邑を出て、一人になってみて。初めて自分が一人であるということを真に理解したのだった。 「この間の話だが」  不意に炎玉の声がすぐ傍から響いた。背後に回られていたことに気づかなかった維王は、思わず飛び上がった。 「ななな。何だ!」 「そんなにびくつくな。取って食う訳ではない。峡家でこの国を揺るがす陰謀がどうと言っていたな。私は別に峡邑を目指している訳ではない。ただ、親友を追っているだけだ」 「親友?」 「ああ、拉致されてな」 「それはもしや…岳家の孔昭姫のことか?」  岳家の姫君と、炎玉との個人的な交流を、彼が知っているとは思えない。だが、情報として知っている人物が、近辺に一人くらい居てもおかしくないような気がした。 「……知っているのか?」  思わず言葉に詰まったのは、仕方ないだろう。否定も肯定も出来なかったのは、嘘をつき慣れていないせいではない。ただ、どのくらいまで維王その人がこの件の全容を理解しているかを計りかねたからである。 「いや……、ただ」  そこで一旦言葉を切る。紫色の瞳が鋭くそちらを見遣ると、思いつめたような紺碧の眼がそっと伏せられて、揺れているように見えた。 「俺は、ある陰謀の話を立ち聞きした。岳家の姫君を攫う、と」  躊躇うような色があったのは、何か仔細がありそうだったが、それについてはあまり追求しても意味はないかも知れない。と詮索を避けた。 「その、密談をしていた者の心当たりは?」 「峡家の当主の弟と、それから俺の伯父だ」 「……なるほど」  未然に防ごうと努力したが、結局この迷子属性の為に期日までに岳邑に到着出来なかったのだろう。誰かにうっかりと口を滑らせていいことでもなし、己が伝えねばと思ったその心がけは確かに殊勝と言えるが、事実事件を未然に防ぐことが出来なかったあたり、配慮も行動力もかなり不足している。と炎玉は頭の中で灰色の髪の人物を査定した。 「やはりお前はここから去れ。後は私が何とか決着をつける」 「なんでだ! 俺がいることによって未然に防ぐことも……!」  追いすがるように声をかけても、紫色の瞳は冷ややかに彼を見ているだけである。事情を詳細に知らぬうちは同行を許すほかは無かったが、ある程度の概要が判れば、却って足手まといになるばかりだった。 「その逆になる可能性の方が高い。そして、現に私はお前のためにここで数日足止めを食らっている。お前の目的が私の足止めであるなら、もうこれで十分だろう。本来なら、もっと先に進んでいても良かった筈だ。お前の要らん従属物が追加されて更に遅れている。親友に追いつくのが一日遅れると、解決が二日遅れることになる。それは私の望むところではない」  極めて冷静に下された判断は、維王を完全に拒絶している。それは彼にとっては耐え難いことであるが、炎玉の分析が間違ってはいないことは、明白であった。 「お前が自分を子供ではないと言うのなら、分別あるところを見せて、聞き分けろ」  止めのような炎玉の台詞は、かなり深い衝撃を与えた。その童顔ゆえに道中ではいつも子供と間違われていたせいもある。事実、初対面で維王の実年齢を当てることが出来るものは皆無だった。しかし重ねて言われた言葉が、彼に逆噴射のような圧力を加えたのかも知れない。 「厭だ」  短く、それだけを言うと、泣きそうな顔が情けなさそうに炎玉をじっと見つめる。縋るような目が、少女のように可愛らしい。いや、或いは子猫か子犬のそれかも知れない。 「ったく。もう」  吐き棄てるように呟かれたのは、或いは自分を納得させるためだったのか。 「仕方ない。なら、遅れるようなことがあればそのまま置いていくことだけ覚悟しろ」  それだけ言って、背を向ける。焦茶色の髪がそっと風になびいて、維王の胸元に届くかに見えた。 「感謝する…! 炎玉姫」  維王の仕返しのような呼びかけに、思わず体勢を崩しかけた炎玉は、振り返らずに「炎玉でいい」とだけ返す。少しだけ見えた頬が、ほんのり色づいて見えたような気がした。  その馬車が到着したのは、その夕方のことだった。それを待ちかねていたように、館から人影が飛び出す。赤いくすんだ髪に黒い瞳の人物は、少壮といえる程度の年齢に思えたが、些か落ち着きには欠けるようだった。扉が開かれるのを今か今かと待ち受けていた彼は、開けられると同時にその中へと飛び込んだ。あまり大きくはない荷馬車の中には椅子らしきものも机のようなものもない。ただ、あるのは僅かばかりの藁束と、それから毛布である。それらには使われた形跡があったが、そこに居るべき肝心の人物は見当たらなかった。 「居ないではないか!」  苛立ちをそのまま部下に向けて叱責する。その予想外の怒声に驚いた部下は、慌てて中を見、そして驚愕のあまり呆然と立ち竦んだ。 「居…ない? 何故?」  そこに居るべき人物は荷馬車の中から、忽然と姿を消していたのである。まるで縄抜けでもしたかのように、鎖も、手枷足枷もそのままにして。 八  適度な湿り気を帯びた風が、やわらかく頬を撫でた。日差しを遮る衣は必要だが、この湿度に厚手の衣では、そろそろ中が蒸れるようになってきている。衣を替えるには丁度良いかも知れない。荷物の中から、つばの広い帽子を取り出す。皮革製で、顎にひっかけられるように紐がついている。長く編まれた紐にそっと添えられた房には、碧色の石が付いている。それは、今は傍にいない銀の髪をした花嫁が、婚姻を決める前に作ってくれたものだった。その花嫁の消息を掴んだと義兄となる予定の人物から連絡が来たのは、つい昨日のことである。碧色の石をそっと指でつまみ、視線を落とす。指にかかる房の色は、赤銅色。それを付ける人物の髪の色に合わせたものである。複雑な織をした房は、精緻で端麗なつくりをしていて、作り手の作業の濃やかさが目に浮かぶようだった。行列は、あと二日もすれば伽都豫へ到着するだろう。嫡子の婚姻ではないので伽王との謁見は予定されていないが、焦りは募るばかりであった。しかし花嫁の身代わりとなっている虞炎玉は、普段の傍若無人な行動が信じられぬ程にそつなく万事をこなしている。これほど完璧に「お淑やかな花嫁」を演じきると思っていなかった彼は、正直驚いてもいた。 「孔昭。次の宿で衣を替えよう」  気遣いの言葉をかけるのは、寧ろ周りの目を気にしてのことであるが、今回ばかりは予告をせねばならない。今までの衣は姿を隠すのに最適だったので、鬘を被らずとも髪があらわになることはなかったが、薄手の衣は生地の織も粗めに造ってあるので、鬘を被らずに済ませるわけにはいかない。鬘自体の重さは大したことはないが、折角薄手の衣に替えても花嫁役はその恩恵に預かることは出来ないのだ。 「孔昭、手を」  駱駝から降りる花嫁に手を差し伸べる。少し骨ばっているような気がするが、流石に花嫁役に疲れてきているのだろう。洛家の次男坊はそう思って労わるように肩に手をかけた。その瞬間、びくり。と花嫁が身を竦ませた。  鷹らしき影が上空を舞っている。二回、三回と頭上で旋回すると、それで気が済んだのか、そのまま飛び去って行った。地上からそれを眺めているのは、焦茶色の真っ直ぐな髪と紫色の活動的な瞳を持つ、元気の良すぎる人物である。いや、良すぎる程度で済めばいいかも知れない。その名を、虞炎玉という。親族一同をして「これほど似つかわしい名を誰が考えた」と言わしめる程の名だ。燃え盛る炎の玉。一歩間違えばちょっと危険なものになりかねないが、どちらかというとそちらの方が本来は良かったかも知れない。彼女は遠く飛びさる鷹を見つめながら、地上を歩いていた。供と呼べるかどうかは不明だが、近くに三つの影がある。一つは虞炎玉より頭一つ分程は大きいだろう。風維王という灰色の髪に紺碧の瞳の人物である。二つめは大型の獣で、銀色の体毛を身に纏っている。体は全体的に丸みを帯びて、しなやかであった。足音をさせない動きは、猫のそれに近い。三つめは小型の獣で、体毛は金、ちょこまかとした動きは小型犬のそれだった。 「炎玉…、日鬼が……」  遅れている、と言い掛けて、思わず殺気のような気配に目を上げる。氷の結晶よりも冷え冷えとした視線が絡みつくように彼を見つめていた。 「日鬼、お前の為にこれ以上遅らせる訳にはいかぬ。その細かい足を必死に動かすか、お前の飼主の肩に乗るかしろ」  焦茶色の髪の持主の指示が飛ぶと、日鬼と呼ばれた獣は素直に飼主の傍へ寄り、そのまま跳躍して左肩に飛び乗り、その反応を待つように炎玉の方をじっと見つめた。 「賢明だ」  肯くと、そのまま肩の上に腹ばいになる。そうすることによって、維王の負担も日鬼自身の負担も最小限にすることが出来た。 「……」  肩に金色の獣を載せた維王は、首だけ毛衣を纏っているようだった。丁度日鬼の尻尾がふさふさと首の反対側に回っているせいもあるだろう。 「丁度良い襟巻きが出来て良かったではないか。さあ急ぐぞ」  この炎天下に襟巻きなど欲しくはない!と言い掛けて、維王はがっくりとへたれこんだ。だが、容赦なく炎玉は先へと進む。その傍に控えているのは月鬼である。 「……」  言いたいことはいろいろあったが、とりあえず言えることはなさそうだった。灰色の髪を軽く振ると、肩の日鬼が体勢を崩さぬようにしがみついているのが判った。それにそっと微笑みかけて、維王は再び歩き出した。  長い廊下の天井は、かなり高かった。大理石で出来た床を音もなく歩けるのは、その上に敷かれた、ふかふかとした毛足の長い絨緞のせいである。足首まで埋まりそうなほどのやわらかさは、宮殿に住まう者には当たり前のものであったが、洛家の次男坊は少々不得手であった。洛家でも絨緞は使うが、どちらかというと薄手のものを好んで使う傾向がある。細い繊維の糸を丁寧に撚って作られるそれに、幼い頃から馴染んできた彼は、うっかりするとこの毛足の長い絨緞に足を取られそうだった。しかも今回は花嫁を連れている。その手をひいて歩くのに、自身が転ぶ訳にはいかない。その花嫁は、危うげなく進んでいた。花嫁の故郷岳邑では絨緞を使う習慣はない筈だが、あまり抵抗はないようである。それにしても。と視線を巡らす。伽都豫の中心にある王宮は、海一族の初代邑主が築いたものだという伝承があった。その海家の人々は、現在、伽国最南方の海邑に暮らしている。この宮殿は慣れれば仕組みは難しくはないが、初めて来たものにとってそこは巨大な迷路にも似た場所であった。部屋の数が膨大であるばかりでなく、どこもかしこも良く似た構造になっているのだ。それは、海一族そのものの構造とも良く似ていた。主姓である海姓は格こそは上だが、基本的に他姓と同等であるという立場を取っている。他の六姓でそのように他姓を扱うところはなかった。どこでも、歴然とした区別をしている。伽国七姓の中でも最も古い貴族である海姓は、それだけ異質であるともいえた。  幾つ目かの角を曲り、辿りついた部屋の扉を叩く。先導してきた人物は隣に控え、花婿は花嫁の手を引いたままその部屋の中へと吸い込まれて行った。その中もまた、毛足の長い絨緞が敷かれている。 「孔昭、気をつけて」  そう声をかけられた花嫁は、静かに肯いて優雅に足を進めた。その足取りはしっかりしており、寧ろ声を掛けた側の方こそ危なっかしい様子である。 「婚姻許可申請をしたい。私は洛瓊琚だ」  そう言って、既に用意されていた書類を皮革製の袋ごと窓口へと提出する。慌てた様子はないが、それでも受付の係員は後ろを振り返って、何かを待っている様子だった。 「ご苦労様です。七姓同士の婚姻でしたね」  柔和そうな顔をした人物が、これまた足音もなく奥から出てきて、提出した書類を受け取った。柔和そうなのは顔だけで、中身はというと氷を圧縮したようなという形容をされることが多い人物である。花婿自身には馴染みが深いが、だからと言って氷が冷水になることはない。不幸中の幸いと言えるのは、それが誰に対しても同じということだろう。自身にばかり冷たいという訳ではない、誰に対してもそうなのだ。と自分を慰めることが出来そうだった。それが精神の回復に役立つかどうかは別として。  書類の内容を確認していた切れ長の目が鋭く光り、終りまで見たところでふとそれが和らいだ。 「結構です。ところで」  少し声を落として、囁くような呟きを漏らす。 「『白の君』が『銀の花嫁』をご覧になりたいそうですよ」  それは、少なくとも今の二人にとって、不吉極まりない言葉だった。  「白の君」。それは、伽国王その人を示す隠語である。唯一至高の座につく伽王を呼ぶ称号は幾つかあるが、庶民も含めて一番良く使われているのは、この「白の君」或いは「白の王」だった。それは、文字通りの意味を持っている。  伽王家には三つの分家がある。成立した年代順に並べると、宣、陶、薄だ。八方の藩屏として比較的早くに作られた家である宣家と陶家は、七族としての数に含まれているが、薄家は本家である伽家の家宰の役割を担っており、貴族としての待遇はない。血としては宣・陶両家より王に近いのだが、王の庶子がその族祖であることがその大きな理由であると噂されていた。彼らは同じ初代王の血を持つ一族である筈だが、その遺伝子は既に分かたれているのかも知れなかった。事実、宣・陶・薄家の者は白銀の頭髪に橙色の瞳をしているが、伽王及びその子は白髪赤瞳であった。雪のように白い髪、血のように赤い瞳。それこそが王家の者の証であった。最も白い髪と最も赤い瞳を尊ぶ伽家では、次代の王をその資質ではなく、色素の色で決めるという話さえあったが、その真偽は今も謎に包まれている。 「そんな。謁見は不要な筈…!」  思わず現在の状況を忘れて食ってかかる洛家の次男坊に、苦笑しつつ語調を変えて応える。 「だー、かー、ら。『君から申し込みする』んじゃない。お馬鹿さんだねぇ」  七姓嫡子の婚姻の際には、伽王に報告する義務がある。次代当主として定められたのは異母兄の洛瓊華であった。それが故に岳孔昭が拉致されても、ある意味安心して伽都に許可申請に来れたのである。許可申請の段階で連れている花嫁が本人ではないということについては、誤魔化しの余地もあるだろうが、謁見で別人を連れていたとなると、偽装結婚、最悪は七族同士の共謀による反逆罪を疑われかねない。そうなれば、洛・岳両家は討伐の対象となるのだ。しかも海家と同じく武門である岳家はともかく、洛家は文門である。海家や岳家の十分の一の軍備も整えることは不可能だろう。まさか「自主的な謁見希望」を突きつけられるとは思ってもみなかった花婿には、まさに青天の霹靂であった。 「白の君が直々に許可証を下さるというありがたーい名誉が控えているんだからねぇ。すっぽかしたりしたら、大変なことになっちゃうよー?」  にやり。と微笑みつつ語り掛けてくる口調こそ軽快だが、その内容はかなり辛辣でさえある。頭を抱えた花婿の肩に、花嫁がそっと手を掛けた。振り向くと、頭布と前髪で顔は見えないながらも、そっと身を寄せて、肯いている。 「……孔昭」  別の人物の名を呟かずに済んだのは、花嫁の楚々とした動きのせいかも知れない。そのすぐ横で軽快な口笛が高らかに鳴り響いた。 「見せつけてくれるねえ、流石は新婚さん。いや、式はこれからだったっけ。そういえば花嫁の家から婚姻を申し出たそうだったね」  そう言った瞳が書類を確認した時と同じように、きらり。と光った。まるで必ずその粗を探してみせるよ。といわんばかりに。 九  洛家の次男坊が無理難題をつきつけられている頃。虞炎玉はお荷物三つを抱えて、歩みを進めていた。現在向っている先にあるのは峡家本拠地、峡邑である。予定より大分遅れていることに苛立ちを感じているが、その荷物を置いていく訳にはいかなくなった今、荷物を抱えた状態で少しでも早く進めるように努力することが最善の策と言える。その足取りが軽いとは言えなかったが、自分に課せられた役目を放棄出来る筈もない。 「休憩を……」  本日何度目かと数えたくなる休憩を申し出る灰色の髪のお荷物をじろり。と見る。炎玉一人であれば、これほど頻繁に休憩せずに済んだ筈だった。元々体力がないのかも知れない。風維王よりも小柄な炎玉が息一つ切らせずに歩いていることを見れば、如何に体力がないかが知れる。もっとも、炎玉は同じ体格の女性と比較すると格段に体力がある方だから、紺碧の瞳の主にそれを求めるのは難しいことかも知れない。炎玉自身は比較的幼い頃から一人で海邑の外を歩くことが多かったし、旅も何度となくしてきた。風一族の嫡子である維王は、殆ど一族本拠地の邑から出たことはないだろう。それは、彼の身分を考えれば普通のことではある。武門であることも手伝って、一つの武器と一つの楽器を習熟することが義務づけられていた海一族では、ある程度の体力も自然に培われる。その中で育ってきた焦茶色の髪の持主からしてみれば、この体力のなさは驚異的とさえ言えた。維王の白い額には汗がびっしょりと流れ、前髪もべとべとになって額に張り付いている。後ろは縛っているので多少は楽かも知れないが、息が上がって目がうつろになっている様は、炎玉の許容範囲を大幅に超えていた。 「見苦しい! しゃんとせんか、しゃんと!!」  紫色の瞳の持主は、すんでのところで蹴りを入れるところであった。しかし、ふと何かに気づいたように立ち止まり、目を閉じてあたりに意識を集中する。 「炎玉……?」 「黙れ」  はっきりきっぱりと拒絶した言葉のあとも、暫くの間炎玉は目を閉じたまま何かを考えているようだった。その血色のいい瞼を縁取る焦茶色の睫がかすかに震えるのを、維王は何か見たことがないものを見るような目で見ていた。ぽーっと見ている間に、ふっとその睫が薄く開き、遠くの空を見るような眼差しが次第に近くを見るものに変化していく。 「来るぞ」 「え?」  声を上げると同時に、炎玉は走り出した。咄嗟のことに動けず暫くそのまま立ちつくしていた灰色の髪の主も、慌てて走り出す。その次の瞬間、全てのものを薙ぎ払うかのような凄まじい雨が、あたりを白絹の帳のように隠した。降り出すより一瞬早く、炎玉はぎりぎりで木の陰に隠れることが出来たが、三瞬くらい遅れた維王はものの見事に濡れ鼠になった。寸前まで雨雲のようなものは見当たらなかったから、恐らく通り雨だろう。と炎玉は呟くように言って、乾いた布を風家の嫡子に放って寄越した。維王自身の荷物は、木陰への退避が間に合わなかったのである。少し離れたところに一旦置き去りにしてしまい、慌てて取りに行ったものの、それまでに結構濡れてしまっていたのだった。傍に控えていた月鬼と日鬼は、体をぶるぶると震わせて水気を飛ばし、二人から少し距離を置いて座っている。 「そろそろ日が暮れるな……」  次の町まで移動して宿を取るつもりで居たが、それは少し無理なようだった。次の町までの間に森を抜けなければならず、そこは日が暮れると少なからず危険な場所として知られていた。もっとも、野宿には慣れているし、一人であればこの森も越えてしまったかも知れないが。お荷物を連れて無事に抜けることが出来るかと考えたら、それは少々難しそうだった。 「明日払暁に発つ。それまでゆっくり休め。明日の休憩が四回を越えたら私はお前を置いていくことにする。異議は認めん」  突き放すようにそう言って、炎玉は夜営の支度を始めた。 「青玉!」  黒髪黒瞳の青年が、少し離れた所から声を掛けて駆け寄ってくる。族兄の一人、海翠玉であった。 「二哥、お疲れ様です。お手数をお掛けしてすみません」  爽やかな笑顔に白い歯。それが躍るような陽光に煌く様は、いっそ眩しい程でさえある。 「いや、大したことではない。だが、あれで良かったのか? あんな中途半端で」 「大丈夫ですよ。段取りは済んでますから、後は炎玉三姐が片をつけてくれます」  その言葉に、翠玉の顔が少し強張る。 「いや、まあ炎玉のことだから大丈夫だとは思うんだが。あいつ、またやり過ぎないか……?」  それには、思わず微笑むしかなかったらしい。しかし、小首を傾げつつも請け合ったのには彼なりの考えがあってのことかも知れない。 「岳姫が関わっていますし」 「そうだった」  炎玉という人物はありとあらゆる意味で少々問題があるが、友情に篤いということについて異論を挟むものは、少なくともこの海邑においては皆無だった。その炎玉が「親友」と呼ぶ相手を蔑ろにする筈がなかった。 「まあ多少派手にやってくれるかも知れませんが。役目を忘れるような方ではありませんから、大丈夫ですよ」 「そうだな」  二人は顔を見合わせて笑った。その次の瞬間、風が吹いた。と思ったら、それは鳥の形をしていた。 「鷹玉!」  青玉が左手をそっと差し伸べる。かなり勢いがあった筈だが、鷹玉はその左腕にしっかりと捕まった。左足だけをそこから一旦外し、青玉に向けて首を傾げる。 「ありがとう」  通信筒を外して手紙を抜き取る。内容をざっと読んで翠玉に渡したところで、巫女の衣装をまとった海紅玉がお盆を持ってくるのが見えた。鷹玉用の水と餌、そして二人分のお茶もある。 「お疲れ様でした」  雲なす黒髪は控えめに結い上げられて、首の細さを強調し、その白い肌は陽光に映えて一層際立って見える。飾り一つ付けず紅一つ落とさぬが、その艶麗さは隠し遂せるものではなくなりつつある。やがて、この巫女が海の新しい長と共に伽都豫へ行くことがあれば、それは海一族にとって波乱を招くものになるかも知れない。そんな未来を予測しつつも、口に上せることは躊躇われた。 「ありがとう」  その言葉に、巫女の頬が上気して薄紅に染まり、瞳が微かに潤いを帯びる。伏せられた長く黒い睫が色濃い影を落とすと、その白い面差しの陰影が更に深いものとなった。 「紅玉も十七か」  感慨深げに、翠玉が視線を落とす。大きすぎる力の代償であるかのように、二十歳まで生存し得なかった姉で巫女だった海白玉のことを思い出しているのかも知れない。それを思い出したのは、一人だけではなかったらしい。 「白玉大姐ほど完璧な巫女にはまだまだですが」  はにかむように小首を傾げて見せると、その面影が懐かしい人のそれと重なるようだった。恐らくは、その黒髪と、同じ恰好がもたらす効果だろう。 「いや、大姐も喜んでいるさ。こんなに立派な巫女になってくれて、と」  白玉がもし長く生きられる運命を持っていたら、紅玉は巫女にならずに済んだかも知れない。だが、それを口に出してしまうのは憚られた。 「そろそろ漣容を巫女にという声が上がっているようです」  海漣容、それは海姓長兄海碧玉の長女の名であった。巫女候補として上げるには、十歳程度の年齢が望ましい。二、三年程度の修行をして、一人前の巫女になるが、特に海姓の巫女は予見の力を持つ者が多かった。しかし、漣容はその能力についてはまだ不分明とされており、また、海邑不在の碧玉夫妻が手元から離したがらないこともあって、その話はそのままになっている。海邑以外で生計を立てている場合、子供がある程度の年齢に育てば海邑へ子供だけを送り、季節ごとに両親が帰邑するということが多いのだが、こと漣容に関してはその父親である碧玉がかなり強情を張っていると翠玉は聞いていた。 「漣容の意思を大事にしたいという意向だろう」 「はい、私もそう思います」  もし漣容だけを海邑に戻すとしたら、その時点で巫女候補として上がる確率は倍加する。今は遠隔地に居るせいもあってのびのびになっている。もしかしたら、他の巫女候補が挙がるまで、碧玉はそのままうやむやにしてしまうつもりなのかも知れない。 「ここ二代の巫女の様子を見ると、やはり躊躇われるのも無理はないだろうな」  薄い唇から溜息が漏れる。先代の巫女白玉と良く似ているその白い顔は、男性にしておくのは勿体無いと言われることが多かった。悩ましげでさえあるその溜息は、今は妻藺水玉一人が独占している。その水玉の母は白玉の前代の巫女海叔瑶であり、早くに夫と死に別れていた。碧玉は先代巫女の白玉に想いを寄せていた時期もあったし、巫女という存在に対していくらかの存念があるのだろうか。 「巫女という役目は役目。ですが」  適格者が居ないときには、巫女を置かなかったこともあったという。ならば、次世代の巫女を焦る必要はないのかも知れない。だが、巫女という存在に依存してきたここ数代の海一族の体質を変化させるのには、巫女を置かぬことも考慮せざるを得ない、と海姓兄弟は考えつつあった。勿論、今現在紅玉という巫女がいるからこそ可能なことも多々ある。だが、紅玉は先見の力には恵まれなかった。 「いずれにせよ、いつまでも先伸ばしにしておける問題でもないな」  翠玉がそう言って黒瞳をそっと伏せた。鷹玉は何時の間にか青玉の肩に座ってじっと様子を見ている。 「ええ、いずれは」  静かだが深い眼差しをして、青玉が肯く。黒髪の巫女は、鷹を肩に載せた青年の横顔をそっと見つめていた。 「謁見はまずい、まずすぎる」  そうやって王宮の室内をうろうろと歩き回っているのは、もうすぐ幸せな花婿になる予定の青年であった。洛家の衣装に身を包んでいるが、頭髪はそのままである。伽都豫の湿度は少々高めで、洛家の頭布を被っていると、蒸れるのだ。赤銅色の髪は束ねられずそのままだったが、きちんと梳かれているらしく、整えられていた。そのまま半日程もうろうろし続ける勢いである。だが、「花嫁」の痕跡を幾つか見つけたという将来の義兄の言葉は信じていても、肝心の「花嫁」の所在については現在も連絡が来ていなかった。 「どうすりゃいいんだ」  肩を落として、そこに幾つか置かれていた椅子に倒れこむように座る。妙案が思いつく精神的余裕があろうはずもない。刻一刻とその時は迫る。謁見を希望したくはないが、あのような申し出があった以上届出を出さずには済まされない。せめて岳孔嘉からの確実な連絡が来てからと思っていたが、ここに長く滞在するのもまた、危険だった。八方塞がりとはこのことか。と頭を覆う手を、そっと細く白い手が遮った。 「孔昭……」  宮殿内は、どこで誰が見ているか判らない。その為道中よりも気を遣っていたが、まるで孔昭自身であるかのようなその態度に、赤銅色の髪の主は、戸惑いを憶えていた。 「そうだな。明日朝、謁見の届出をしよう」  何事もやって見なければ判らない。明日、孔昭が戻ってくるかも知れないではないか。躊躇いを振り切ったような碧眼に、そっと夕刻の光が差し込んでいた。 十  峡邑に到着したのは、日も高くなった頃だった。邑をぐるっと囲む高い城壁とその外側に繋がる深い濠が、延々と続いて見える。どこまでも続いていくそれは、まるで何かから守るためのものにも思えた。或いは、何かを封じるためのものにも。入口となるべき城門は四方にあり、勝手口のような小さい門がその間に計四つある。小門は峡邑の住人自身が使うためのもので、八方に大小とりまぜ八つの門がある訳だが、来客があった際に主に使われるのは、北もしくは東門であった。ぴったりと堅く閉ざされた扉の前に立ち、門番に小声で名と来意を告げると、さっと顔色を変えて高く手を振り、緊張の面持ちで叫ぶ。 「開門! 開門!!」  次の瞬間、重厚な音があたりに響いて扉がゆっくりと左右に開いた。扉は木材からつくられたもので、深い色は長い年月に耐えてきたものであることを偲ばせた。濠の上に掛けられた橋がその扉の先に続いている。水が豊富なここ峡邑ならではの城門と言えるだろう。焦茶色の髪を後頭部中央で一つにきりりと縛った虞炎玉は、しっかりと一歩を踏み出した。風維王がそれに続こうとした瞬間、炎玉が鋭く口笛を吹き、ついで指で灰色の髪の持主を指して命じた。 「拘束!」  咄嗟に避けることも出来ず、維王はその場に押し倒された。他ならぬ、日鬼と月鬼とによって。門番は堅い表情のままそれを眺め、騒ぎを聞きつけた人々が、城門近くに少しずつ集まりはじめている。 「これはどういうことだ」  押し殺した声を鋭く吐きだしてもあまり迫力が出ていない。ちらり。と視線をくれたあとで、焦茶色の髪の持主は、峡邑の中心部からやってくる人影に向き直った。 「虞炎玉、海姓五家第四姓、虞叔鋒第二子。伽国武官海碧玉名代として峡家当主に相見を乞う!」 「海碧玉…名代だと?!」  呟き漏れた言葉にひっそりと微笑んでみせたその顔は、いつになく妖艶ですらあった。 「如何にも。海碧玉は我が族兄」  先程押し倒されたときに、後頭部を打ったのかも知れない。次第に遠ざかりつつある意識の中で、打つ手を誤ったな、という言葉は、半分も聞き取れなかった。 「虞炎玉殿」  身なりを調えた従者風の者が、炎玉に声を掛けた。 「お待たせ致しました。どうぞ、こちらへ」 「ご配慮感謝する。ところで」  視線を月鬼日鬼に押し倒された風維王にやって。 「これも証拠いや証人なのでな。縄で拘束した状態で運んで頂きたい。よろしいか」 「かしこまりました」 「月鬼、日鬼、離脱。ご苦労だった」  炎玉の命令のもと、月鬼日鬼は維王から身を離し、炎玉の両脇にちょこんと座った。労うようにその手が二匹の首を撫でる。その間に峡家の従者は風家の嫡子を手際良く縛り上げた。適度なきつさは逃れることが出来ない程度であるが、苦痛を与える程のものではない。拷問にかけるならいざしらず、その身柄の確保を最優先とする場合は、丁度良い程度と言えるだろう。  相見の場として用意された部屋は、木造家屋の一室だった。そこに肘掛のついた幾つかの椅子が置かれている。卓子はなく、がらんとした一室は盗聴防止の為か、或いはその疑いを避けるためのものかと思われた。炎玉がその部屋に入ると、少し間を置いて一人がやってきた。 「虞炎玉殿。海碧玉殿の名代ということでしたな」 「如何にも」  重々しく肯いた炎玉の視線を受けて、その表情が少し和らいだ。整えられたやわらかな赤髪に理知的な黒い瞳、口髭は髪と同じ赤で、恐らく髭は年齢を少し上に見せる目的の為に蓄えられたものだろう。 「峡硯人だ」  予想していたのだろう。表情は変えずに、紫瞳の持主はその場に膝を折った。立場としては伽国武官名代だが、峡家当主という身分に対して敬意を表したのである。身分という一点で考えれば、虞炎玉はそれより下となるのだ。 「此度の件、落着致しました」 「流石の手際だな。感謝する。身中の虫については後日またご連絡申し上げるとしよう」  穏やかな中にも鋭い光を宿した涼やかな黒瞳が、炎玉にはひどく懐かしく思われた。帰邑したら、まず一番にあの瞳を見たい。そして、おかえりなさいと声を掛けて欲しい。と焦茶色の髪の持主は思った。 「さて、今後のことについて協議したいのだが。まずは椅子を」  その言葉に従って、紫瞳の娘は素直に着座した。  長い廊下が延々と続く。足音を消す毛足の長い絨緞もまた、延々と続いていた。謁見希望申請を出して三日。正直、待っている時間は拷問にさえ等しい。いや、いっそ拷問の方が楽ではないかと思われた。宮殿の中では誰がいつ見ているか判らない。一瞬も気を抜けない時間が続くのは、旅の途上の方が遥かにましだと言えた。廊下の突き当たりに到着した。少しの間を置いて、重い扉がゆっくりと開かれる。精緻な装飾を一分の隙もないほどに埋め尽くした扉が、ゆっくりと左右に開いた。その先には更に深い絨緞が続き、その先には玉座がある。この国至高の存在である「白の君」の座る玉座が。  ひとつ大きく呼吸をして、静かに足をすすめる。後ろに続く花嫁は、侍女がその手を取っている。婚礼用の長い衣装は、重量も相応にあって、歩行には向かない。玉座の前の階の下に少し余裕を持って立つと、膝を折る。その隣に花嫁が跪いた。俯き加減でいるのは、直接主上――白の君を見る不敬を避ける為である。二人はそのまま拝礼をし、頭を垂れた。 「洛瓊琚、岳孔昭」  玉座の真下、階のすぐ隣で名前を読み上げているのは、洛家の次男坊も良く知る文官である。その顔つきはいつもの軽さと性格の悪さを見事に隠していて、赤銅色の髪の持主は些か尻のあたりがむず痒い気分になった。その花婿も今日ばかりは婚礼衣装をまとっている。婚礼の許可を申請に来て、その許可証を受け取る段取りになっているのだから当然といえば当然だ。目に映るのは階の下の方ばかりである。階の上を見上げることは不可能だった。 「洛家、岳家の婚姻を許可する。許可証を」 「はっ!」  きびきびとした声が響く。この許可証を受け取れば、あとは…。 「岳孔昭、主上の御前である。花嫁の被きを取れ」  咄嗟に花嫁を庇う位置に立ったのは、花婿として当然の行動である。 「婚礼衣装を取るのは婚儀のあと、でございます。いかな主上といえど、我が花嫁に対してそれはご無体というものでありましょう」 「そなたの申すこと、如何にも道理。しかし銀の花嫁の美髪とその蒼瞳の噂は伽国中に鳴り響いておる」  階の上から降ってくるような声には、粘るような何かが含まれている。そんな気分を花婿は憶えた。階の上からも見れるようにとは、つまり花嫁が階の上を見上げねばならぬということだ。瞳の色を見られたら、孔昭ではないことが一目で知られてしまう。必死になって庇う花婿に同情するものも少なからず居たが、国主の言葉に逆らえるものなど、居るものではない。そのとき、花婿の袖をそっと押さえた手があった。振り返ると、それは赤い花嫁衣装に包まれた白い手である。 「……孔昭」  静かに首を左右に振って、その繊手が髪を覆い隠していた布をそっと引いた。それが床に落ちずに済んだのは、傍に控える侍女が受け止めたからである。布がはらり。と取れると、被きに隠されていた銀髪が、まるで満月の光のように綺羅綺羅しくあたりを照らすかと見えた。 「孔…昭?」  一瞬の間。そして、そのあとに続くどよめき。それは磨きあげた白銀さえも及ばぬ光沢を示していた。銀色に染めた絹のような髪、そして瞳は――震える銀色の睫がそっと陰を落として、容易には見ることが出来ぬ。 「頭をあげよ」  その声は、階のすぐ下から発せられた。先程の文官である。恐る恐る、と言った風情で花嫁は静かにその頭をあげ、ゆっくりと瞳を開いた。風にも耐えぬ柳のような容姿は、男の庇護欲をそそらずには居られない、可憐さをもっていた。 「これは…!」 「なんという……!」  そんな声があちこちからひそひそと囁かれる。ゆっくりと眼差しをあげた花嫁の瞳は、澄んだ氷のような涼やかな蒼であった。 「今頃は謁見を済ませていると存じます。根性は捻じ曲がってますが、あれでも一応有能と称される身。そつなく取り計らってくれるでしょう。あとの道中は私の一族の者が護衛致します」  扉を控えめに叩く音がして、従者が声を掛けた。 「洛瓊華様、ご到着でございます」  洛家の衣装を身につけた青年がゆっくりと入ってきた。 「瓊華殿。よう来られた」  着座していた峡家の当主が席を立ち、椅子をすすめる。虞炎玉は来客の身分なので座ったままであるが、それにはお構いなしに当主に向かって挨拶を述べる。 「お久しぶりでございます」  久闊を叙する作法をそつなくこなす様は、流石に次期当主として認められただけの格を感じさせた。次男が正妻の子であるゆえに、兄である彼は遠慮もしてきたが、その選択に同意するものは少なくなかったのである。洛邑の中でこそ、正妻の子をという声もあったが、対外的には長男の方が評価が高かった。何より、その謙虚で控えめな姿勢を峡家当主も気に入り、押してきたのである。 「さて、先程虞炎玉殿とも協議していたのだが」  てきぱきと事務的にすすめようとしているのは、それがそれぞれの一族にとって、厄介かつ面倒な事柄だからだ。 「処分について、まず岳姫をかどわかした拙家の者ですが。終生の峡邑軟禁とし、邑外に出る場合には海家、洛家、岳家何れかの監視を伴うものとする」 「結構です。どうしようもない場合にはなんらかの処置を考えることに致しましょう」 「峡家側の同調者ですが。これは、自宅謹慎に止めます。私から言い聞かせることにしますが、今後ご両家に迷惑をお掛けするような真似は一切させません。私が責任をもって監督致します」 「宜しいでしょう。では、そういうことで」  一同は協議を終え、解散した。  謁見を済ませて洛邑に戻った花婿と花嫁は漸く婚儀を執り行うことが出来た。儀式につぐ儀式で疲労困憊したけれども、新床で花嫁の膝に頭を載せた花婿は、いつになく安堵した表情を見せている。本来なら新床を賑やかに盛り上げる役を担う人々も、その微笑ましい様子を眺めて戸口のあたりでそっと騒ぐだけに止めた。 「なあ、孔昭」 「はい」 「本当は、いつから戻ってたんだ?」  その言葉には応えず、そっと微笑みを深くした。 「あ」  唐突に花婿が身を起こした。勢いがありすぎたせいか、花嫁の首筋に接吻を落とし、そのまま花嫁を新床に押し倒す。花びらが撒かれたそこは、少々官能的な匂いがあって、思わず二人は顔を赤くして互いに目を逸らした。 「すすす。すまん」 「いえ」  焦りつつも、床の傍にあった卓子の抽斗をそっと引く。中には銀鈴が二つ、置かれていた。懐から金鈴を取り出して見せる。 「洛家で子が生まれると、皆この金鈴をもつ。これは一族の印の鈴だ。そしてこちらは別に作らせた銀鈴。二人で共に持つために」  岳家の者である孔昭が洛家の鈴を身に付けることは出来ない。その為に、洛家の次男坊が誂えたものだった。花嫁の髪の色と同じ銀色の鈴をその手に落とし、部屋の中央に二人で向かい合い、鈴を振る。 からん。  高く明るい鈴の音が響き、更にその上にもう一つの音が響く。驚く花嫁をそっと抱きしめて、花婿が説明した。 「これは一族の識別の印にもなっていて、一緒に鳴らすと更に上の音が反響して聞こえる仕組みになっているんだ…」  優しく語り掛ける言葉は、次第に甘いものになっていく。外では銀色の星が空一面に輝いて、新たに夫婦となった二人を祝福しているかのように見えた。 十一  海邑へ向う足取りは、軽かった。婚儀のあとの岳孔昭を確認出来ないのは少々淋しくはあるが、先に片付けておかねばならぬことが山ほどある。落ち着いた頃に行くことに決めて、その旨の連絡も既に済ませた。脇に月鬼日鬼を従え、荷馬車の中に捕虜を転がして、自らは御者をつとめている。幌つきの荷馬車は峡硯人に借りたものだった。一人で大丈夫か、と心許なげに訊ねる峡家当主だったが、それは子供がお遣いをする気分を味わっていたからかも知れない。実際、虞炎玉は大柄な者が多い海一族に生まれていながら、他の六姓からも驚かれるほど極端に小柄であった。その傲岸不遜な振る舞いは子供が大人をからかうように感じるものも少なからず居るようで、炎玉を知ったものが最初に受ける洗礼のようなものでもあった。もっとも、一度その実力を知れば、炎玉の自信のあらわれと好意的に解釈してくれるようになるものも少なくはなかったので、炎玉自身はまるで気にしてはいなかったが。膂力も体力もその小柄な体から推察されるものとは大分異なる実力を秘めていることについては、彼女を知るものは皆太鼓判を押してくれていた。  御者をつとめながらも炎玉の心は海邑に飛んでいる。その焦茶色の髪がもし心を持っていたなら、炎玉よりもずっと先に飛んでいってしまったかも知れない。湖沼地帯を抜け、海邑に通じる階段状態の田圃地帯の傍を通ると、先に連なる豊かな森が少し滲んで見えた。今回はいつもより長めの旅だったことをふと思い出す。近づくと石造りの本館と神殿、幾つかの倉庫などが目に入る。しかしそれよりも目を奪うのは、その名の通りきらきらしい光を放つ「鏡湖」だった。太陽の光を反射して眩しい程のその湖は、海一族そのものの象徴とも言えた。 「炎玉三姐!」  黒髪の美貌の女性が巫女の衣装を身につけて佇んでいるのが見えた。海邑は比較的平坦な場所に作られてはいるが、様々な意味合いから神殿が若干高く見晴らしの良い場所に作られていて、物見のような役目も果たしていた。近づいてくる荷馬車の御者を視認して、出迎えに来たのである。 「紅玉!」  荷馬車を止めるとそこから飛び降りて駆け出す。海紅玉の隣には青い服を着用した青年も居て、炎玉は彼に向かって身軽に跳躍してみせたが、それを受け止めたのは彼女にとって不本意なことに、陳菫玉であった。 「菫ちゃん? 居たのか?」  勢いがありあまって炎玉に潰されたのは、彼自身も小柄で非力であるせいだが、これがいずれ解消されるかどうかについては、今のところ誰も判らない。 「さっきから青玉三哥の隣に居たじゃないですか、炎玉三姐。痛たたた。子供じゃないんですから……」  その紫がかかった瞳に映ったのは青玉と紅玉の兄妹だけだったらしい。焦茶色の髪の持主の関心がどこに向いているかを如実に示した結果、と言えなくもないかも知れない。 「お前に受け止めて欲しいと頼んだ憶えはないぞ」  受け止めて貰ったお陰で本人は怪我一つない。少々菫玉にとっては理不尽ながらも、憤慨したような顔が綻んだのは、青服の青年の手がそっと差し伸べられたからだろう。 「炎玉三姐、お帰りなさい」  語尾に微かに籠もったような響きがある声とともに、にっこりと微笑む。その笑顔に、一瞬ぽーっとなりつつも「ただいま」と首の辺りに抱きつこうとしたが、その前に紅玉からも手が伸びていて、結果炎玉は親友に抱きつく結果になった。まあそれはそれで致し方ないというか、順当なところであるといえるだろう。 「おかえりなさい、おつかれさま」  ふわりとした微笑と鈴のような美声が、故郷に帰ってきたことを実感させた。 「……ただいま。……」  長い旅路を労わるように、白い繊手がそっとその小さな、それでいて逞しい肩を抱いた。 「風家には報せを出しました。今日あたりご使者が到着されると思います」  窓から吹き込む風を受けつつ、海青玉がそう言ったのは、旅支度を解いた炎玉が落ち着いて、居間に戻った時だった。湯あみを済ませさっぱりすると、紅玉の用意した着替えがあった。その心遣いに感謝しつつ、袖を通す。いつもと同じように体にぴったりと寄り添うような着心地は、紅玉の濃やかな心遣いそのものに似ていた。 「ああ、やはり偽者か」  察してはいたものの、確証がなかった。いくらなんでもせいぜい十代半ばとしか思えないこの容姿で二十二歳というのはありえないだろうと思っていたせいもある。だが、後刻その認識が微妙に間違っていることを炎玉は思い知ることになるのである。その日、辺りが暮れはじめる頃、その若者は海邑に辿り着いた。馬に乗り従者を数人程従えたその人物は、「風維王」を名乗っていた者と瓜二つだった。  海邑の館の広間で、風家からの使者である灰色の髪、紺碧の瞳の主は、礼儀正しく海家長老に相見した。 「風維王でございます」  炎玉が連れてきた捕虜と同じ髪の色、瞳の色で背格好もほぼ同じに見えた。 「この度はご迷惑をお掛けしまして、誠に申し訳ございません」  深々と頭を下げた様子に恐縮する色もなく海天祥は視線をそっと青玉へと向けた。一礼して、隣室に控えていた捕虜を連れてくる。重罪を犯す寸前で炎玉が止めていなかったら、風家はかなり危うい立場に追い込まれていた筈だった。 「……」  無言なままの捕虜は項垂れて、目を合わせようとしない。先を促すように長老が静かに問い質す。 「維王殿、良く似ておられるがこの者は……?」 「はい、私の双子の妹、維行でございます」  並んだところはどちらがどちらか判らなくなるほどに良く似ていた。しかし、並べて見比べて初めて判ることもある。ほんの少しの差ではあるが、兄の維王の方が背が高くもう少し骨ばっていたし、妹の方が全体的に丸みを帯びた体つきをしていた。 「どうしてこのようなことを目論んだのかについては、風邑にて詮議したいと存じますが、宜しゅうございますか?」  質問の形をとってはいても、それは確認に過ぎなかった。元より、風家のものを海家の者が勝手に詮議することは好ましいこととは思えなかったし、これを表沙汰にすることは岳家・峡家・洛家も望まないだろう。 「異存はない。ただ」  流石に年の功とは言ったものである。眼光に鋭さを増して、威圧するかのように長老・天祥は念押しをした。 「納得の行く事後処理を望む。文書にすれば後始末が心配であろう。それが残ることは懸念ともなる。だから、後日維王殿が再度来邑し事後報告するということにして頂きたい」  父親である邑主が本来は出張るべき局面であるが、流石に邑主が動けば大事になる。そして、この場合の最高責任者として維王を名指しし、その結末をきちんとした上で出頭せよというに等しいそれは、一歩間違えれば恫喝とも言えたが、事を起こしたのは維王の身内である。それに逆らうよりは意見を容れる方がより順当であると言えた。 「お心遣い、恐縮に存じます」  言葉と形だけはきっちりと、だが恐縮しているとは全く思えないさまで、風家の嫡子は深く頭を下げた。  兄の監視下に入ったことで、風維行は枷を外された。明日には風邑に兄と共に戻ることになるが、とりあえず鍵のかかる一室へ監禁されることになった。他邑からの客人が来たとなれば通常は歓迎の宴となるものだが、今回は流石に事情も事情ゆえそういう訳にはゆかぬ。いつも以上に静まり返った本館の自室で、炎玉は出窓に腰を掛けて、外を眺めていた。既に陽は沈んで、月明かりが鏡湖を照らしている。昼とはまた違った静かな光は、青玉の隣に佇む紅玉を思わせた。その時、開いたままの扉の内側を二、三度叩きながら、声を掛けてきた者がいる。 「炎玉殿。少し宜しいだろうか」  灰色の髪と紺碧の瞳。その容姿は似てはいるが、見慣れると識別は比較的容易であった。肯いて、出窓から降り先に立って歩き出す。神殿か、湖の畔が良かろうと思ったが、より「人に聞かれないことを理解させる」場所として、焦茶色の髪の主は湖畔を選んだ。背の低い草がみっしりと繁茂してはいても、人が隠れることが出来る場所がないことが、一目瞭然の場所である。 「ここなら人に聞かれないことをご理解頂けるだろう」 「……ご配慮、深く感謝する」  一拍の間が空いたのは、人払いをする必要がない場所を先に提示されたからだろうか。辺りを窺うようなさまを示しつつも、徐に口を開く。 「この度は炎玉殿のお陰で表沙汰にならずに済んだ。それに感謝して、父がお礼をしたいと申している。何かご希望があったら、教えて頂きたい」 「要らぬ」  一瞬の躊躇もない即答に、それまで軽い薄笑いを浮かべて鷹揚に構えていた風家の嫡子は、戸惑うような顔をした。実年齢よりも若く見える顔が、更に幼く見える。 「私は岳孔昭の為に計らったまでのこと。そうでなかったら、未遂といえどとうの昔に役所にでも突き出している」  それはあまりにもきっぱりとした物言いであった。鮮やかといえる程に。 「自身の監督不行き届きをそうやって誤魔化したいのだろうが。付き合う義理は私にはない。だが」  欺瞞を指摘されて、風家の嫡子は目の前が真っ暗になったが、続いた言葉に完全に色を失った。思わぬところから望んでいた答えが返ってきたからである。 「今後私の知らぬところで同じことが起こったとしても、過去の証言をするつもりはない」  岳孔昭や海家……炎玉に直接或いは間接的に関わらないのであれば、万が一維行が再犯したとしても証言はしない、という意味である。口止め料不要ということを、紫瞳の主はそういう言い方で表現したのだった。当事者の証言がないことを明言したが、同時に監督責任を明確に指摘し、返す刀でことを曖昧に収めようとする風家の体質を鋭く見抜いてばっさりと一刀両断してみせる切れの良さは、小気味良い程であった。この光景を風家のものが見て居たとしたら、その目を疑っただろう。風家の嫡子がなすすべもなく翻弄されていた。勿論、彼自身がどうしようもない最初のところで立場の不利があったけれども、本来彼は立場の悪さを覆す力量があった。 「私は言葉を覆すことはしない。それは、私を知る全てのものが保証してくれるだろう」  一諾に千金の値があるという意味を、紺碧の瞳の持主は、初めて知った。 「こんな事件をしでかした妹の先行きを心配するのは兄として、時期邑主として当然だ。先まわりしてその可能性を消しておきたい訳も判る。私は別にあの馬鹿娘の将来を潰す気はない。…まあこういうことは隠しても自然に伝わるものだから縁談に差し障りが出るかも知れんがな」  予想外の炎玉の述懐は、妹の女性としての将来を考えぬいたものだった。鋭い政治感覚を秘めつつも女性らしい配慮を示す焦茶色の髪の主に、彼は驚嘆の念を密かに抱いた。周囲に女性が居なかった訳ではない。金のある男を手玉にとって高価な装飾品をせびり、恋愛遊戯に勤しみ媚を切り売りして楽しむ。或いは主人の気を惹き安穏たる生活を保持する為に、身を飾ることに無我夢中になって我が子の養育も忘れ去る。女性とはそういう者ばかりだと思っていた彼にとって、炎玉という女性は存在そのものが不可思議であった。 十二  虞炎玉が帰邑して、数日が過ぎた。「岳姫(岳孔昭)拉致事件」は表沙汰にならぬまま或いは有耶無耶のうちに落着し、関わった海邑のものも帰邑しつつある。そして風家のものも……といいたいところだが。何故か、風家の嫡子はまだ海邑に居た。そして炎玉にとっては迷惑なことに、焦茶色の髪の持主の身辺をうろちょろとまとわりついていた。 「何ぞ用か」  冷ややかな視線を向けると、その目は宙に彷徨い明後日の方向を見ながら「た、たまたまだ」と返ってくる。そんなことが一日に三度四度と続いては流石に閉口するしかなかった。これなら追尾されている方がまだましと言える。慕われているというのならまだ可愛くも思えるかも知れないが、視線を合わせることもなく見当違いの返事が返ってくるばかりでは、炎玉も途方に暮れる以外のことを思いつかない。「用がないなら近づくな」という言葉を呑み込んだのは、相手の体面を考慮したからだが、忍耐力も限界に近づきつつあった。しかし海邑でなら追尾者を撒くのも容易である。当初は真面目に対応せねばならぬかと思ってそれなりにしていたが、暫くすると適当にあしらって逃げるが勝ちとばかりに姿をくらませて、風家の嫡子を途方に暮れさせていた。本来なら助け船を出してくれるであろう海紅玉も、他邑の嫡子ゆえ、そして場所が海邑であるがために少し様子を見ているのかも知れなかった。その様子を見て、最初に行動を起こしたのは海家の「実直の見本、模範の基本」、海青玉である。 「お茶をご一緒に如何ですか。維王殿、維行殿」  語尾が微かに籠もる涼しげな声が風家の兄妹にそう誘いかけた。青服をきっちりと着こなし、やわらかな微笑みを浮かべている。後ろに控えているのは青玉の妹にして巫女の紅玉、茶器と茶葉と菓子を載せた盆を手に持っている。 「ありがたいお申し出ですが、特に咽喉が渇いている訳では……」  そう言い掛けた維王ににっこりと笑って。 「あなたがご所望のものをご用意出来ます」  海家特有の黒髪黒瞳を持った少年は、まるで悪戯を企んでいるようだった。  爽やかで深いお茶の香が仄かにたちのぼり、菓子を焼く匂いがふわりと広がる。 「もうそろそろですよ」  そう言って青玉が笑うと、元気の良い足音が聞こえてきた。 「紅玉! 私にも!!」  明るく朗らかな声とともに扉が勢い良く開いて、焦茶色の髪を後頭部高くに括った人物が姿を現す。 「ほら」  勢いよく扉を開けて居間に足を踏み入れた瞬間、中に居た人物を確認して、「しまった」という微かな声とともにそのまま表情が凍る。 「お待ちしてましたよ、炎玉三姐。好物の焼き菓子も紅玉に頼んで用意して貰いましたし、ゆっくりとお茶をご一緒しましょう」  嵌められた、と思ったが、それでも海家兄妹が一緒である。それなら、と観念して、焦茶色の髪の主は、用意された席にすとん。と腰掛けた。炎玉の左隣に紅玉、それから青玉、風維行、風維王の順にぐるっと一周する。その次の瞬間、丸い卓子の中央に焼き菓子が載った皿がそっと置かれた。 「どうぞお召し上がり下さい」  雲なす豊かな黒髪を控えめに結い上げて、そっと微笑む巫女も、優雅に炎玉の隣席に腰を下ろす。焼き菓子の皿の隅には、水果(果物)と、それから少しの香の物も載っていた。甘いものだけではという巫女自身の配慮だろう。 「何か炎玉三姐に重要なご用事があるのではないかとお見受け致しましたが……」  咽喉をうるおし小腹を満たしたところで、のんびりと青玉が微笑んだ。そののんびりした微笑みにつられるように、風維王が「実は、その…」と徐に口を開いた。しかし何か言い出し難いことであるらしく、中々話が先へと進まない。 「言いたいことがあるのならはっきり言わんか!」  いつもなら、炎玉もそう言って卓子を蹴飛ばしていたに違いない。だが、青玉の微笑む前でそれは出来なかった。代わりに先を促したのは海家嫡子である。 「どうぞ、何なりとおっしゃって下さい。ここに居るのは海家の人間ですが、長老や家長はおりません。あくまでも個人的なお茶の席なのですから」  焦茶色の髪の持主はあっ。と叫びそうになった。巫女の兄の配慮の理由を知ったからである。 「いや、別に虞炎玉殿に含むところがあった訳ではなく…、ただ」 「ただ?」  更に先を促す一声を呟いたのは、紫瞳の主であった。 「風邑に来ても良い、と言いたかっただけで」 「はあっ?!」  心なしか、うっすらと頬は赤く、耳は真っ赤に染まっている。隣に居た妹は、言葉を失い目を見開いて兄の横顔を見つめていた。 「私が? わざわざ、一体何の為に?!」  声を荒げたのは言われた内容のせいだろう。招待なのか許可なのかいまいち判り難いのだが、灰色の髪の青年の様子を見るかぎり、前者のようである。 「いや、だから来たかったら来れば、というか…、来ても良い、というか、その」 「そのへたれっぷりは一体なんだ?! 招待してるのか今後行っても良いという許可なのか、全く判らんではないか。男ならはっきりせんか、はっきり!!」  小気味よい程の一喝が鋭く突き刺さるように発せられ、風家の嫡子は顔を赤らめたまま、そっと俯いた。恥じらう乙女のように。 「うー」 「三姐」  紺碧の瞳を真っ向から見据えて糾弾する指を窘めるように包む手は、隣に座る紅玉のものだった。指をそっと折って微笑むことで、炎玉の非礼を無言のままに諌めている。それは、先の巫女であった海白玉がもっとも得意とした方法であった。人前で誰かを糾弾することも、それを人前で窘めることも、された本人の体面に関わる。それを上手く回避する方法を亡き巫女は考え抜いたと言えるだろう。そして、そのやり方は、現巫女にも踏襲されているのだった。 「炎玉三姐へのご招待、有難く存じます。ですが、三姐は多忙につきすぐに、という訳には行かないかも知れません」  穏やかにそう答えたのは黒髪の青年である。彼自身は現在家長でも邑主でもないが、嫡子として海家に連なる一族のものの代理を務めることが出来た。穏やかな物言いと物腰、そして独特のやわらかな微笑みはその父親であった海叔珪譲りだが、様々な状況下で彼の存在は緩衝材としての役目を果たすこともあった。 「状況が許せば、そして本人に異存がなければしかるべき機会にということで如何でしょうか」  つまり、行けたら行く。という程度のことである。正式な場での招待でないのだから、炎玉が行っても行かなくても問題はない。正式な招待を突っ撥ねることは双方の一族間に思わぬ遺恨を残しかねないが、非公式な個人の場であれば単なる口約束に過ぎず、それが実行されてもされなくても七族同士の問題にはならない。ただ友人同士の約束であるというだけだ。炎玉自身が風家兄妹を「友人」と見なすかどうかは別として。 「は、はい。是非」  身の置き処がなくて途方に暮れていた様子の維王も、半ば安堵したように大きく息を吐いた。  湖の傍に寝転がって星空を見ている人物がいた。その隣にすとん。と腰を下ろしたのは、大役を終えた海青玉である。 「一応落着致しました」  それだけを穏やかな声音で告げると、また辺りには沈黙が広がる。 「そうか」  少しの間を置いて答えた人物は、ゆっくりと身を起こした。本来なら後頭部で結わえている筈の黒髪を、首の後ろで無造作に束ねただけにしている。艶やかな黒髪は背中の中央あたりにまで届いていた。寝転がっていたために少し草が髪や衣服についているが、それを気にする様子はない。 「大事になってはまずいと思ってお前に頼んでしまったが。世話をかけた」 「いえ。それよりも伯父上。今回の件、やはり……?」 「うむ」  躊躇いがちにそれだけ答えるが、それ以上の言葉を口に出せずに言い淀む。 「風姫(風維行)は踊らされた、と」  ずばりと本質を貫く青玉の声に、ふと目を細めてその顔を見つめる。 「父に、似てきたな。青玉よ」  懐かしげに見つめる伯父の微笑みは、記憶も曖昧になりつつある父の面影を宿した自身に向けられたものだと知って、照れくさそうに顔を赤らめる。しかし、伯父がそう言ったのは、面差しが似ている為ではなく、寧ろそれ以外のところにあったようだ。 「本質をずばりと切り取ることにおいて、お前の父程鋭敏な頭脳を持つものは居なかった」  月の光を受けた、まだ少年の残り香を秘めたその顔が小さくはにかんだ。 「今回の真の黒幕は、どこにいるとお思いですか」  表情ははにかみ、言葉遣いはやわらかいながらも、その明確さはまさに父親譲りだった。 「恐らく、峡家。しかも、黒幕は嫡流より少し離れたところに居て、今回の事件では直接影響を受けない者。そして、野心家。恐らくはお前と大差ない世代の者だろう」  かなり具体的なところまで犯人像を絞り込めているようだった。だが、海家ならともかく、それでは特定したとは言えない。一夫一妻が守られていて子供の数がある程度限られる海家とは違い、一世代の人数が段違いに多いのだ。 「今後も調査を続けることに?」  青玉がそう尋ねたのは、今回の件が及ぼす影響が小さくはないことを知っていたからである。 「いや」  そう言って伯父は首をそっと横に振った。 「だが。あれほどの事を起こした野心家だ。数年以内に峡家での勢力を拡大して、今後中央に出てくる可能性がある。そうなった場合、今回以上の事件を巻き起こす可能性もある。青玉よ。一族を守るためにも、そういう手合いに足を掬われてはならぬ」 「はい。ところで」  ふと向き直り、正面からまっすぐに伯父の顔を見つめる青年の目は、暗闇の中でさえも鮮やかな光を宿していた。 「お役目があることは存じています。が、碧玉大哥がやがて替わりを勤めることが出来ましょうし、早く邑にお戻り頂けませんか。叔世代が少ないのは仕方ないと判ってはいます。ですが」 「判っている。みなまでいうな」  反論を封殺するような拒絶に、青年は項垂れて目を閉じた。 「いつかは戻る。ただ、今すぐではないだけだ」  伯父は、聞き分けのない子供に言い聞かせるように、やわらかな声で語りかけた。  夜の闇に銀色の花が風に舞っている。そう見えたのは風花であったようだ。山頂は常に雪に覆われている崖山の、麓である。山頂の雪が強い風に飛ばされて、揺らめき躍るように地上に降り注ぐ。それは一枚の、銀色の幕のようにも見えた。 「銀の宵……か」  どこまでも広がる闇の中を、馬に乗った旅人はそれだけを呟いて再び闇の中へと消えて行った。音もなく降り注ぐ風花は、旅人の肩に触れることなく、地上に落ちて消えていった。  海家をめぐる状況は、変わり始めようとしている。音をたてず降り積もる雪のように、それは澱のように積もり、世界を白銀に染めあげるかに見えた。 十三  抗う、という事が、これほど難しいということを、彼は初めて知った。  今回の事件の「首謀者」にされてしまった少女を、訪れたときのことである。灰色の豊かな髪を適当に束ねただけで、寛衣をゆったりと身にまとう様は、普通の少女にすぎなかった。前回見た時は痛々しい程に細い体をぴったりとした服で覆っていて、まるで少年のようにしか見えなかったが、今の彼女は普通の少女に見える。本来、彼女の出自である家柄を考えれば、煌びやかに仕立ててしかるべきである。だが、それを彼女は徹底的に拒否しているようだった。ふと、視線に気づいた少女がこちらを見た。吸い込まれそうな、という言葉がこれほどぴたりと来る状況も他にはあるまい。それは、紺碧の海の色をそのまま湛えたような、深く静かな色だった。 「いらっしゃいませ。洛様」  予め兄から聞かされていたのだろう。躊躇する間もなく用意してあった椅子を示し、傍に置いてあった器に茶を注いて差し出す。白い繊手に軽い戸惑いを感じるのは、恐らく普段彼が接している女性たちの逞しさを思うからだ。沙漠では日差しのために、そしてその乾燥のために、自然黒々とした肌を持つようになる。そして、その労働は過酷だ。他所の土地から嫁いできた女が、あっという間に肝っ玉母さんになる姿を、彼も幾度か目にしている。とは言っても、彼の母程度の身になれば、そういった雑役からは自由なのだが。 「突然お邪魔いたしまして、申し訳ございません」 「いえ……」  少女は言葉少なにそれだけを答えると、ふと思い出したかのように茶菓を差し出す。茶より先に出すべきものを、失念していたらしい。仕草だけですすめると、もう彼女の側から発すべき言葉はなかった。 「ありがとうございます。……その、今日、お伺いしたのは」  思い切って視線を合わそうとすると、戸惑うように視線がずらされた。扉は開いてはいるとはいえ、個室に異性しかも普段馴染みのない人物。別家のしかも嫡子がいるのだ。緊張しないように、と言ってもそれは難しい。 「あの…。あなたに、全ての責任を押し付ける結果になって、申し訳なく思います。と、そう伝えたくて。ご迷惑を顧みずお邪魔しました」 「それはもう、済んだことですから」  頑なとも言えるその表情からは、感情の所在を明らかにすることが出来ない。虞炎玉が彼女を拘束したのは、これ以上関与して更なる濡れ衣を着せられないようにするため、そして、黒幕の動きを牽制し掣肘することが目的だった。峡家邑内でそれを行ったのは、峡家内に不協和音が存在したことと、深い関わりがある。しかも峡邑は常時かなりの人の往来があって、その宣伝効果は抜群だった。ついでにいうなら、事態を悪化させた風維行に対する戒めの意味もあっただろう。しかし炎玉は事態の収拾に尽力したが、結局黒幕を炙りだすことまでは不可能だった。七族の人間ではあるだろう。踊らされた風姫を人身御供のように首謀者に仕立てることに対して、渋い顔をしたのは風家当主だけではない。だが、それによって黒幕に油断させ、将来的な網を張ることを検討した結果である。風姫拘束を峡邑内で派手に行ったのはやりすぎだという声もないではない。だが、その自由を奪うことは、同時に彼女を危険から少しでも遠ざけるための配慮であることを、理解し得ない程の愚者も関係者には居なかった。寧ろ、そういうやり方があったか、と唸った邑主も少なからず居たようである。ただ一人割を食った風維行だが、ある意味彼女がしゃしゃり出て来なかったらこれほどの事態には発展しなかったかも知れないので、それを口に上せるような者はいないが、これだけ状況が複雑化してしまうと、それが一番穏当であることは明らかだった。しかし、各家とも一枚岩という訳ではないし、網を張ったとしてその人物がかかる可能性は今のところ不明である。そうなると無実を証明出来るのが何時になるかは全く不明としか言いようがなかったし、風姫の軟禁状態がいつ解かれるかは予想もつかない。だが、七族の姫が一人で軽々しく旅に出ることは本来ありえないことなので、実害らしい実害もないと言えるかも知れない。しかし、洛家の次期当主は、そのまま済ませておけるような人物ではなかった。「あなたが無実なのは存じてます」と言わんばかりに風邑へ押しかけ、今の状況になっているのである。 「お気になさらず。……わたくしとて、虞様の処置に、さしたる不満はありません。それは、こちらに護送される間に細かく教えて頂きました。勿論、峡家でのことには驚くばかりではありましたが。慣れぬお芝居をするよりは、些かましだったことでしょう」  落ち着いた様子を見せる風姫は、あれほどのはねっかえりをやってのけたとは思えないほど、淑やかで、上品である。 「ところで。何故、風邑を出て虞炎玉殿に……?」  虞炎玉はいわば囮として、岳姫を拉致した者等の目を引き付ける為に行動していた。実際の奪還部隊は海家の別働隊であった。……その実情は今も不明であったが。その囮に自ら近づいたことで、風姫の濡れ衣が判り易くなったともいえるが、目立つ行動を意図的に取っていた炎玉と一緒に行くことは、関与しているという事実そのものを隠すことが出来なくなったということでもあった。洛瓊華は風姫を人身御供に立てることを最後まで消極的反対していたが、実際にそうするほかに収拾出来る方法がないと判ってからは、消極的な賛成に回った。本来無関係な人間を巻き込みたくない配慮だったのかも知れないが、元々、彼の弟が七族同士での婚姻を求めなければ今回の事態にはならなかった。それを考えると、やるせなかったのかも知れない。 「それよりも」  紺碧の瞳を伏目がちに、さぐるような視線を向けてくる。 「この度は弟君のご結婚、誠におめでとうございます」  予想外というか、ここで祝いの言葉を述べられるとは思っていなかったので、洛家の次期当主は少々慌てた。いや、それこそが風姫の意図していたところだったのかも知れない。風姫の行動をそれ以上探られないようにするための。 「あ、ありがとうございます。お陰様で義妹も徐々に洛邑に馴染んで参りまして」  当たり障りのない返礼をしていて、はた、と気づく。話題を遠ざけられたということに。 「あの、それで」 「それはようございました。気候の違う邑などに嫁ぎますと、習慣の違いなどで苦労することも多いと申しますし」 「は、はあ」  元の話に戻すのは、なかなか骨が折れそうだった。しかし、完璧な程の「壁」に、少々興味が湧いたのも事実である。これは長期戦になりそうだな、と彼は心の中でひとりごちて、風姫にまっすぐな視線を向けて微笑んだ。その視線に戸惑うような表情を見せたものの、きりりと唇を結んで灰色の髪の少女は洛家の長男に挑むように顔を向けた。その少年のような凛々しさに、赤髪の次期当主の口元が我知らず綻ぶ。それが、何の始まりであったかも、確とは意識せぬままに。  風姫が邑外からの客人をもてなしている頃、風邑に居た他家の者は、洛瓊華だけではなかった。焦茶色の髪を後頭部頭頂できりりと結んだ娘も、その頃邑主の館に腰を下ろしていた。嫡子の招きは適当に誤魔化しておくだけのつもりだったが、結局風姫護送の手伝いということで借り出され、そのまま風家兄妹に付き合わされて邑まで到着すると、その後は毎日のように嫡子からの訪問を受けている。一応、招待のこともあったし相手の体面もあるだろうと、二、三日滞在するのはやむを得ないとは思っていたが。一日また一日と何かと理由を付けられては滞在を引き伸ばされるのと、風維王の何とも奇妙な会話に付き合うのは、流石に少々苦痛になっていた。 「炎玉殿、風邑をご案内しても良いと思うのだが」  心の中で「しても良い」というのはどういうことだ、と突っ込みつつ、表情に出してはいるものの、口に出すのは別である。 「いや、別に案内は不要だ。散歩ならひとりでするし、他家の者が邑内を見てまわるのはあまり歓迎されることではないだろう。それくらいは私とて弁えている」 「それでは剣の稽古の…」 「不要」  最後まで語り終えないうちに、鋭く拒絶するような視線と、にべもない返事が返ってくる。二の句がつげない、というのは紺碧の瞳の少年にとっては、あまり愉快なことではないはずだったが、それでも犬のようにまとわりついてくるのは、いっそ微笑ましいといえるかも知れない。まとわりつかれている本人がどう思うかは置くとして。 「それよりも」  珍しく炎玉の側から振られた話題に、風家の嫡子が目を細める。 「金鈴のこと、調査は進んでいるのか?」  それは、岳姫拉致事件の際に、現場で花嫁の侍女が握っていた鈴である。 花婿となった洛家の次男坊によれば、「洛家の人間なら誰でも持っている」ものだそうだが。 「いや、洛家の鈴とは全く別のものであることまでは判ったが」  何故それがそこにあったかというと。 「偽装」  鋭く発せられた言葉に、灰色の髪を後ろで束ねた少年は、思わず息をのんだ。そもそも、大切なものであるなら、必死になった花嫁の侍女に奪われてしまうようなところに下げておくなど、解せない。だとすれば、初めから取られるように仕組まれたという方が説明がつく。それで、炎玉はその調査を風家に依頼していたのだった。 「洛家の鈴とは金属の比率が異なることまでは断定できたが、どこで作られたかとなると」  そこで両手を軽く挙げる。お手上げだ、と声に出さずに道化めかしてみせる様は、嫡子という身分にはそぐわないが、その年齢を思えば年相応と言えるかも知れない。 「金属比率の成分表はあるか?」  焦茶色の髪の主は、真剣な眼差しでそう問いかけた。その強い輝きを放つ紫がかった瞳に、少年は思わず怯んだ。理由も判らぬままに。 「いや、鈴を潰したわけではないので、細かい成分表までは」 「ある程度判ればいい」  間髪おかず発せられた言葉は、恐らく少年の返答を予測していたのだろう。 「維王」  その声で名を呼ばれたことに、紺碧の瞳が驚愕に見開かれた。そしてそれが初めてだということに気づいた。頭が真っ白になった、といわんばかりの表情に、舌打ちをしつつ続けられた言葉は、少年を危うく気絶させるかと思われた。 「成分表を出す気があるか? それを私に寄越すなら、滞在の間に案内を受けよう。剣の稽古の相手もしてやろう。どうだ?」  にやりと笑う仕草は淑女には相応しくないかも知れない。だが、それは虞炎玉という人間には、この上もなく似つかわしい笑いだった。 十四  荒地を、誰かが旅をしていた。  重そうな外套を頭からすっぽり被り、足場の悪い道を危なげなく歩く様子は、小柄なその身からは想像つき難い程、相当に足腰を鍛えているようだった。その頭上を飛び回る影がある。旅人は、それを見上げて顔を綻ばせた。頭部の布を外すと黒い髪があらわになる。線が細く繊細な顔立ちを見る限り、多少上に見積もったとしても、せいぜい十代半ばと思しき少年だが、見事な程の黒髪を後頭部でまとめて布に包んでいる。それは、この荒地が属する国――伽国では、通常成年男子の髪型である。成年とされる年齢は、一般の人々で二十歳とされていた。所謂「七族」に連なるものであれば、二十歳に達しておらずとも、成年として扱われることも多いが、曲がりなりにも「七族」であるなら、このような人気のない場所を一人でふらふら歩くのは考え難いことであった。或いは、「大人に見られたい」と願っての姿なのかも知れない。旅人はそっと手を伸ばした。影はその腕に襲いかかった。かに見えた。 「鷹玉、ありがとう」  それは、一羽の鷹だった。「鷹玉」というのがその鷹に付けられた名なのだろう。旅人は明るい茶色の目を向けて礼を言うと、その足にくくり付けられているものをそっと外す。通信筒である。嵩張らないように小さくまとめられた中に、小さく丸められた紙片が入っていた。中にはこれまた小さな文字がびっしりと記されている。内容をざっと読んで、彼はその場に座りこみ、矢立を取り出した。所謂携帯用筆記用具である。彼は懐から小さな紙片を取り出して返事を認めると、丁寧に小さく丸めて通信筒にそれを納め、元のように鷹の足にそれを付けた。 「面倒だが、頼むよ」  そう鷹に向って話しかけると、鷹は一声あげて軽く羽ばたき、彼の腕から飛び立つ。無駄のなく力強い羽ばたきは、生命力を感じさせて快かった。 「さて。俺も行くか」  顔立ちには似合わぬ「俺」という言葉遣いは、自身の面立ちを意識してのことなのかも知れない。外した布を頭に戻して、彼は歩き出した。  風邑に滞在したままの海邑からの旅人虞炎玉は、風家嫡子維王の賓客として扱われていた。窮屈さは感じてはいるかも知れないが、適当に理由を付けて――たとえば、剣の稽古として――維王を思う存分叩きのめしたりしているので、それなりに精神的重圧を発散出来ているだろう。とそれを眺める嫡子の妹風維行は見ていた。また、炎玉が一緒にいれば少しの外出も許可されたので、維行自身にとっても有難い面があったことは否めない。しかし、今までになく女性にこき使われ、足蹴にされ、いいようにあしらわれる兄を見て、複雑な気持ちになったことも確かである。今までは群がる女性を鬱陶しそうにしていることが多かった兄に、そのような無体を許す女性が現れるとは正直思っていなかったが、事実目の前に居る姿と、それに使役されまくる兄を見たあとでは、思わず頭を抱えそうになるのも無理はないと言えた。 「維行。お前剣と弓は扱えるか?」  鮮やかな程に真直ぐな焦茶色の髪の主が、唐突にそう訊ねてきたとき、彼女は心の中で身構えた。 「剣なら何度か触ったことがありますが、弓は…」 「どの程度扱える?」 「弓は一度も」  少し考えるような風情で「そうか」とこたえる。そこまでは良かったのだが。それから発せられた炎玉の言葉に、灰色の髪の娘は、文字通り目を丸くした。 「お前にやる気があるのなら、剣と弓の腕を鍛えてやるが。どうだ?」 「え……?」  通常、良家の娘が武術を習い覚えることはない。炎玉の属する海一族は、女子も男子も等しく武芸と楽器を身に付けるよう決められているが、他の六族では良家の娘は淑やかに家事をこなせればそれで良いとされていた。炎玉の親友である岳姫(岳一族の姫)孔昭も同様であった。海一族ではそれが標準として炎玉のような娘が武芸を習い覚え、或いは身を守るためにそれを行使したとしても誰も咎めだてはしないが、他家では「良家の娘が武芸を習うなんて」と眉を顰めることも少なくはなかった。もっとも、他家の方が主流であり、海家が異端であることは炎玉も承知している。海家で女子も武芸を修める理由は、ひとえにある女性の影響が絶大であった。  それは、海家の初代邑主の妻にして初代巫女であった女性である。彼女は、盲目ながら武芸の達人でもあった。絶代の美貌と、苦難多き初代邑主を支えた聡明さを慕われて、三百年の時を越えた現在も「伝説の巫女」として名高い彼女は、まだ男女の格差が大きかった時代に、一族の者に男女の区別なく平等に学問と武芸を学ぶことを勧めたのである。女傑という言葉が彼女ほど相応しい人も他にいまい。彼女の楚々とした美貌に敵が鼻の下を伸ばしている間に策謀を巡らして相手を失墜させるとまで言われた程頭の回転が早かったが、自身は欺瞞を厭い信義を重んずる人であった。と一族の伝承にはある。事実がどうだったかは既に三百年の時を隔ててしまっては判らないが、一族郎党を率いてこの地に辿り着き、邑を作った一族の祖である初代邑主の嫡妻を務め、一族の基礎を作ったという一事だけでも相当な辣腕の持主であったことは確実だろう。七族では一夫多妻が多いのに対し、海一族では彼女に敬意を表して一夫一妻が標準であるが、初代邑主の言葉を借りれば「二人も持つと面倒だから最良の一人が居れば十分」ということになる。 「でも……」 「なに、護身術だ。習い覚えたことだけ内緒にしておけば良い。普段は淑やかにして、借りてきた猫のように振る舞うのだ。周囲には侮らせておけ。有事に自身を救うためのちょっとした奇策だ。使うことがないのが一番なのだからな」  そう瓢々と言ってのける炎玉は、まるで悪戯でも考えているかのように楽しげな顔つきをしていた。 「それを岳姫には…お教えにはならなかったのでしょうか?」  もし岳孔昭が護身術を学んでいたのだとしたら、やすやすとさらわれることはなかったのではないか。言外に鋭さを垣間見せるような問いに、紫がかった瞳が微笑んだ。 「それは企業秘密というやつだ」  教えてあったかも知れないが、それを維行に教える理由はない。これは他家の問題なのだ。そういう意味で、炎玉という人は、確かに信頼のおける人と言えるのかも知れなかった。岳姫が彼女を信頼した理由が、返された答えの中にあるような気がした。  旅人が風邑に到着したのは、その午後だった。砂埃を被った外衣を邑外で叩いてはきたが、洗濯したとしてもなかなか取れるものではない。外套の頭布を外すと、黒い髪が見えた。昨今これほど見事な黒髪は珍しい。伽黒と呼ばれるほど有名なその黒を、惚れ惚れと眺めるのは、同じ髪の色の律義者を思い出すせいかも知れない。 「菫ちゃん、よく来たな」  途端に仏頂面になった従姉弟に微笑みながら近づく。つい先頃、同世代の最年少である少年にまで追い越されたが、それでも炎玉よりは僅かに頭の位置が高くなった。可愛らしい顔つきは、少女と見紛うほどである。だが、それは彼にとって劣等感を刺激する以外の何ものでもない。風維王、維行兄妹の面差しも繊細なほうではあるが、陳菫玉は身長が低いせいもあり、より少女らしさが勝った。 「それはやめて下さい」  厭そうな顔はしても、流石に目上だという意識があるせいか、言葉は崩さない。家格ということを厳密に考えれば、菫玉は陳家で第二姓に当たるので、本来炎玉が丁寧な言葉遣いをしてもおかしくはないのだが、海家内部では暗黙の了解として、五姓は平等とされていた。――他邑に来てまでそのような事を気にすることはないのかも知れないが。「菫ちゃん」という呼び名を嫌う少年としては、それが定着する前に何とかしたかったようだが、既に一部「従兄姉」たちの間には定着しつつあるようだった。 「ま、そう尖がるな。かわいくなくなるぞ」 「可愛くなりたくなんかありません!」  傍に居た風姫は思わずその漫才のようなやりとりに、目を白黒させる。 「それより」 「ああ、そうだな。私の客室に行くとしよう」  焦茶色の髪の主があてがわれた部屋は、離れである。母屋では気を遣うだろうという邑主の配慮であった。もっとも、離れとは言っても数部屋あるそれなりにしっかりした建物であるし、下働きの者などが常時うろうろしているので、招待された方はあまり気が休まるというわけにはいかない。 「あ、じゃあ剣の稽古に付き合ってくれませんか。最近ちょっと鈍っていて」  何気なさそうに茶色の瞳が微笑む。紫がかった瞳が、陽光にきらめいてにやりと笑った。 「容赦せんぞ?」  二人の稽古を見るともなく見ていた風姫は、兄に炎玉が剣の相手をと言われて「不要」と答えた訳が判った。維行は剣を持ったことが数度ある程度で、大して遣えるわけではない。それでも、その力量の差が歴然としていることは、彼女にも判った。最初、型を使っての稽古を行ったが、実戦さながらの凄まじい速度と剣の風圧に、それが型であることを忘れて見入った。炎玉は渡りの剣士に教えを乞い学んだと言われているが、基礎になる部分は海家直伝の剣である。剣士の流派は伽国全体に三つと言われているが、海家はその中でも独特を持って知られる剣法であった。海家の剣の始祖は初代邑主の親友であるという。その伝承が事実であれば、少なくとも三百年を数える伝統がある筈だった。先程、その剣を「学ぶか?」とまるで悪戯のように訊かれたことが頭に浮かぶ。本来、剣士の技は門外不出が基本だと聞いている。しかし、炎玉の姿を見る限り、それを出し惜しみするようなそぶりは全く見当たらなかった。 「海家からの客人か」  不意に湧いた声に、思わず振り向く。灰色の髪と紺碧の瞳、そして自分と良く似た面差し――風家の嫡子であり、次期邑主となるであろう彼女の兄風維王であった。 「大哥(兄弟の一番上のお兄様、という程度の意味)」  ひと呼吸を置いて、少し跳ねた心臓を静めてから、答える。 「ええ、先程。海家第二姓の陳菫玉様と」 「……陳将軍の甥君か!」  唸るような声に、いやその言葉の内容に驚く。陳将軍といえば、伽国軍でも指折りの勇猛果敢な人物として知られていた。武挙でも文挙でも首席確実と言われた文武両道の人物である。容姿端麗なこともあって、当時の王太子に側近或いは近衛兵にと懇願されたが、華美を嫌ってそれを蹴ったという話まである。それが事実かどうかは不明だが、質実剛健を好む性質は、彼自身を知らぬものの間にも良く知られていた。陳将軍は様々な事情により武挙を選んだが、文官の高官が地団駄踏んで悔しがったという逸話まである。それから三十年近くが経過し、遥かな過去のこととなってはいるが、その若いころの逸話は知らずとも、陳将軍の活躍を知らぬ子供など、伽国には居ない。まさか、この一見美少女としか思えない可愛らしい少年が、そのように著名な将軍の甥に当たるとは思いもしなかったので、目と口とで三つの丸を作ったまま、風姫は「陳将軍の甥」を見つめた。 十五  少々重たい雲がずっしりと立ちこめていた。のどかなはずの風景ではあるが、気が重くなるのは天候のせいだけではない。計画が狂いを見せたのは、苦労して拉致させた岳姫(孔昭)が、痕跡もなく姿を消したときである。監禁していたその車から、跡形もなく消えうせることなど、深窓の令嬢に出来る筈もない。誰かが横から攫ったか、それとも或いは岳家の意を受けた何者かが、取り戻しに来たのかも知れない。彼は乱れた赤髪に指を突っ込んで苛立ちごとかき混ぜながら、企みを阻止し得る幾つかの候補を頭に浮かべてみるが、後の祭でしかない。 「くそっ!」  荒んだ光を宿した黒瞳は、血走ったような色合いを含んで、殺伐とした空気をまとっているかのようだった。 「攸除」  不意に呼びかけられた声に、その表情のまま振り向くと、相手が固まった。怯えたわけではなさそうだから、余程こちらが酷い顔をしていたに違いない。 「ええーと、攸除? ご機嫌斜めだね?」  髪と瞳は攸除と呼ばれた青年と同じ赤髪黒瞳である。きちんと整えられた身なりは、お坊ちゃん然とした雰囲気やおっとりした口調と相まって、育ちの良さを感じさせるが、それだけのものではない。 「攸寧か」  ふん、と鼻を鳴らす。同じ一族、同じ世代同士ではあるが、だからと言って誰もが仲良く出来るというものでもない。寧ろ、同世代の一族の者は、競争相手なのだ。 「岳姫の一件、聞いたでしょ?」  窺うように表情を覗きこむ。微かな変化でも見逃さないその視線の鋭さは、おっとりした雰囲気から少し逸脱したような印象がある。もっとも、この鋭さも互いを知る者を相手にしているからこそ見せるものであって、本来の彼はそのような仕草をおくびにも出さない。食えない奴だと判ってはいるが、自身には為し得ない「隠匿」の技術を持つ彼に対して、いくらかの畏敬の念を持ってはいる。 「ああ、洛家へ輿入れした姫君の件か」  どこまで嗅ぎつけているか判らないものに、わざわざ尻尾を掴ませることはない。適当に相槌を打つだけに止めたのは、藪蛇を怖れたからだが、恐らく彼の場合は無害な青大将の面を付けた猛毒の大蛇に違いない。知らぬ間に背後にしのび寄っていて、獲物が気づくのは体の自由を奪われて毒牙にかけられる瞬間だ。 「伯父上は終生監禁扱いだってさ。怖いよねぇ」  しみじみとそう呟いて見せるが、思わせぶりに視線を投げかけてくる。まるで、真の主犯が誰かを知っているよ、とでも言わんばかりに。 「主犯を放置しておくわけにもいくまい」  白々しいと思いつつも、平静を装って切り抜けなければ、いつどこでこの毒蛇に足を掬われるか判らない。計画が頓挫したことは計算外だったが、無能なばかりでぼやき続けるだけの伯父が鬱陶しくもなっていた。精々「隠れ蓑」としての役割は果たして貰わねば、自身の身が危うい。「本番」はもっと周到に、綿密に計画しなければならない。煮えたぎるばかりだった頭の中が少し冷やせたことについては感謝しつつ、会話を終わらせる為に峡攸除はゆっくりと立ち上がり、庭へと向った。 「ようやく着いた」  そう呟いて邑の入口に立った人影は、人並み外れて良い体格をしていた。厚手の外套を小脇に抱えているのは、道中暑さに耐え切れなくなったからだろう。埃塗れの外套を軽くばたばたと叩けば、砂埃が立った。表敬訪問というには少々表情が硬いが、それも仕方ないのかも知れない。まっすぐにのびた銀色の髪を軽く束ねて後ろに流す。些か垂れ目気味の蒼瞳がいつになく緊張の色を宿していた。邑の入口で門番らしき人影を見つけると、誰何される前に自分から名乗りを挙げる。 「岳家嫡男、岳孔嘉。友人虞炎玉に会いに来た」  「友人」と呼ばれた人物が「来客」の到着を快く思うかどうかは別にして、当直の門番の幾人かの間にどよめきが起こったのは、その名の故か、それとも訪問理由の故か。恐らくは両者だろうが、凍りついたようなその場の空気から逃れるように、一人が慌てて駆け出した。来客の訪問を邑主に告げるために。  風に揺れる長い焦茶色の髪は、ひたすらに真直ぐで、さらさらと音を立てそうだった。それは後頭部の高い位置で一つに束ねられ、滝のように背中に流れている。それが馬の尻尾のように元気よく跳ねるのを風維王はぼーっと見つめている。いや、見惚れている。というのが、正しいかも知れない。目で追うばかりで話しかけることもままならぬ有様だが、それでも権勢欲や金銭欲豊かな女性に一方的に偏った好意を寄せられるばかりだった兄が、自身で女性に興味を持つ日が来たことは、喜ばしいのかも知れない。と風維行は思う。その相手がよりにもよって海一族の末端に連なる女性であろうとも。 「得意な得物は?」  意中の女性に話しかけるのに、その質問は到底妥当だとは思えないが、相手を考えればそれほど的外れという訳でもないかも知れない。他の女性であればともかく、相手が、虞炎玉という人であることを考えれば。 「刀」  という回答に、少し驚いたように眉を顰める。刀はあまりここでは見かけない武器だからだ。刀剣といい、その形状は良く似てはいるが、刃を持つものとはいえ、遣い方は大分異なる。刀は片刃、剣は両刃である。しかし焦茶色の髪の主は得手とは言えぬ剣も、十分以上に良く遣っていると思えたので、不得手であるとは予想だにしていなかった。その道具を熟知してそれに合わせた遣い方が出来るようになれば、得物の違いなどさしたる意味を持たないのかも知れない。不得手を自覚して扱いを習熟したのだろうが、それでも得手である刀よりは格段に落ちるということか。従姉弟と称する少年と刀剣を交えた彼女は、久しぶりに刀を遣った、とにやりと笑った。大半は型を使っての稽古ではあったが、その凄まじさは彼らが知るところの「稽古」とは似ても似つかぬ実戦的なものだった。しかし実戦的なものが粗野なだけであるかと思えば、そうでもない。何よりその動きには無駄がなく、動きは流れるようで、まるで剣舞のように芸術的でさえあった。寧ろ、伽国一流の舞踊家でさえも真似の出来ない動きと言えた。 「ところで」  ふとこちらを紫がかった瞳がじっと見つめ、思わず視線を外す。いや、そこでまっすぐ見なくては駄目ではないのか。と心の中で妹は思ってみるが、心の声援は耳には届かない。 「……何だ」  声を掛けた側が微かに首を竦めたように見えたのは、維王の気のせいかも知れない。 「そろそろ帰る。挨拶はしなくても良いのだろうが、まあとりあえず世話になった礼くらいはせねばな」 「そ…んな!」 「そんなもこんなもあるか。大体、他邑のものが一月以上も滞在するということが異常なんだ。お前があれこれと引き止めるから顔を潰さぬようにと多少は我慢もしてきたが。これ以上他姓の注目を集めてみろ、どんな騒ぎになるか。だからそうなる前にだな…」  そう言い掛けて、炎玉は口を噤んだ。彼女が話している相手が、顔を歪めてこちらをじっと見つめていたからである。放心したかのような目尻から、つつーと透明なものが流れていくのに気づいて、ぎょっとしたのは二人だけではない。少し離れた所からこちらを窺うようにしていた妹もまた、驚いた一人だった。 「な…んで!?」  同時に声を上げたのは三人だったが、本人がその中に含まれていたのは、末期症状と言えるかも知れない。 「炎玉、こんなところで男を泣かせてどうするんだ?」  からかい若しくは苛立ちの籠もった口調にふと視線を向けると、ここに居てはならぬ筈の人物の姿が見えて、頭を振った。 「いかんな。どうも暑さか何かにやられたのかも知れん。幻覚ならせめてもっと快いものを見たいものだが。じゃ、私は海邑に帰るからな。世話になった、礼を言う」  言うべきことは言ったとばかりに、ひらひらと風家兄妹に手を振って、そのまま歩き去ろうとする。 「ちょっと待て、俺が折角お前の顔を見に来たっていうのに、帰る気かよ!」  ものすごく厭なものに気づきつつ、しかし気づきたくないという顔でちらりとそちらに首を向ける。体ごと向き直らないのは、何かを警戒しているからかも知れない。 「……どうも幻覚が酷いらしいな。あー、維行。あそこに、ここに居てはならん岳家の馬鹿息子が見えるんだが。お前にはあの幻覚が見えるか?」  それはまるで妖怪か悪霊か或いは怪物か、普通の人間には見えないものが見えるかどうかを確認するかのような物言いだった。 「……わたくしもあまり視力は良い方とは言えないのですが。銀髪蒼瞳の大柄の殿方が」 「黒い油虫の親戚の方がまだましなんだが、そうか、お前にも見えるのか。私の目だけがおかしくなっているわけではないようだが、とりあえず私は帰る。じゃ、後は任せた」  あくまでもさっさと帰ろうとする炎玉の腕を銀髪の青年が掴もうとするが、届く前に叩き払う手があった。 「あ……」  思わず声を漏らしたのは、手を伸ばした本人自身、意図していなかったのか。思わず伸びていたのかも知れない。 「じゃあ邑主の嫡男同士、仲良くやってくれ」  まるで見合いでも仕切るように手際よくそう告げると、とっとと退散だとばかりに踵を返して焦茶色の髪が揺れる。その進む先に居るのは、彼女の一族の少年だった。二頭の馬に鞍を置いて手綱を引き、荷物はもうその背に載せている。どうやら、邑主には既に挨拶を終えていて、あとは彼女自身が馬に乗ればいいだけになっているようだ。 「ま、待てよ、炎玉。お前が海邑に戻るなら、俺も…!」  追いすがる二人の嫡子の髪は、陽光に眩しく煌くが、追いかけられている方が振り向く様子はない。手綱を受け取り、慣れた様子で馬に足を掛ける。その時、あらぬ方から二人の嫡子を止める声がした。 「海家の邑主が理由もなく他姓の嫡子を二人も容れるわけがなかろう」  眩しそうにこちらを見るのは、洛家の嫡子だった。陳菫玉がそっと呟きを漏らす。 「嫡子、揃い踏み」 「鬱陶しいな。嫡子率が高すぎる」  全くもってその通り、と思わないでもない者は他にもいたが、わざわざ口に出していう程のことでもない。しかしその呟きを咎める者もない。 「洛瓊華!」 「何でここに!!」  その質問に答えたのは、追いかけられていた人物だった。仕方ないな、と小声で呟き、簡潔に告げる。 「私を迎えに来たに決まっているだろう」  七族同士の長い婚礼の宴は、漸く終わっていた。炎玉は海姓に連なるものであったから、洛家の宴に出席することは出来ない。だが、ささやかで良いからせめて感謝の宴をどうしてもと花嫁から懇願されれば、この輿入れの最大の功労者を招かぬ訳にもいかぬ。そして今回は事情が込み入っているだけに、使者兼案内人として洛瓊華がやってきたのだった。まるで鳶に油揚だ。と風維行は思うが、あっけにとられたように見送るばかりの二人を見ては、気の毒にしか思えない。尤も、両者とも炎玉を引き止めるようなものを何も持ってはいないのだ。 「帰るついでに、洛邑に寄るつもりではあったのだがな。迎えが来たのだから丁度良い」  躊躇いもなく進む炎玉を引き止めるもの。それを持つのは、あの海家直系の青年だけなのだろう。姿を見かける度に、焦茶色の髪をなびかせて懐の中に飛び込んで行こうとする娘は、明らかに全幅の信頼を彼に寄せているように見えた。彼女の兄維王がかの青年と同等か、それ以上の信頼を紫瞳の主に寄せられる日が来るとしたら、とてつもなく遠い未来のように思える。それが現実のものとなれば、或いは兄の願いも叶うのかも知れないが、その日が来ることは、極めて難しいような気がしていた。  気づくと、馬上で馬の尻尾のように揺れる焦茶の髪が次第に遠ざかっているのが見えた。 「炎玉姐! ありがとう!」  振り向きもせずただ軽く振った手は、気にするな。と言っているように、彼女には思えた。