トップランナー公開収録賈鵬芳(ジャー・パンファン)2004/07/04  ラジオの公開収録は、以前美冬。さんに連れて行って頂いて見たことがあった。TVは今回が初めてである。そもそも、TRのHPを見ていて、何気なく応募したのがこの賈鵬芳氏だったのだが、他の日にはあまり興味がなかった。  当たるかどうか、その日に用事があるかどうか、という問題ではない。二胡に興味を持った頃、賈鵬芳氏の曲が入ったCDを購入し、暫くはまったことがあったのだった。その後、いろんな二胡演奏家の曲を聴く様になって、最近は伝統曲の方が寧ろ好きだということに気付いたのであまり聴かなくなったが、きっかけの一人と言っても過言ではないだろう。ピアノとのコラボは特に素晴らしいなと思っていた。  締切は確か7/1で、多分二、三週間先だろうと思っていた私は、何の気なしにライブ友達R君と自分の名前を書いて応募した。6月末のことである。すぐに当選の連絡を頂き、R君にメールを転送しようと確認したら、公開録画は7/4とあった。一瞬冷汗がたらり。となったのは言うまでもない。  幸いR君には予定がなく、折角だからとお付き合いしてくれることになった。応募した名前と違う場合は観覧が出来なくなるので、他の人を代理で連れて行くことは不可だったのである。  当日は晴れて気持ちの良い日だった。途中R君と待ち合わせし、会場付近へ到着したのはお昼近くだった。近くの讃岐うどん屋で軽く食事を摂り、NHKに着いたのは多分15分前だったろう。ところが。  いくら歩いても集合場所が判らない!!  至る所で警備員を呼びとめ、ようやく集合場所である駐車場へ辿り着いたのは、多分時間ぎりぎりだった。が、気にする程のこともなかったらしい。私達より後にもぞろぞろと来る人、人、人。具体的な人数は判らないけど、100人前後だったかな?  賈鵬芳氏は大井町をはじめとした幾つかの場所で二胡教室を開いている。今日はその生徒さんも多いらしく、それらしい会話が飛んでいた。  集合場所が駐車場だったこともあり、当初バスで移動するのかと勘違いした(笑) 名前の確認を受け、オーディエンス用のステッカーを貰ったあとは、長時間にわたる収録ということもあってお手洗いを済ませ、スタジオに入る。背もたれのない小さなスツールが半円状に五、六列程並んでいるところへ、順番に掛けていくことになった。座りにくい椅子でお尻が辛かった。思っていたより安っぽいセットだなと感じた。でもTVで見るとそれなりに立派に見えるあたり、非常に不思議(笑)  まずはライブから収録。ドラム、ピアノ、それからベースになるのはチェロだったかな。それらの楽器がセッティングされ、最後に二胡を抱えた賈鵬芳氏が登場することになっていた。プロデューサらしき人が「今日は癒されますよ」などと告げ、拍手について説明する。  ま、この辺りはお決まりなので省いてもいいよね。  そして賈鵬芳氏の登場である。  賈鵬芳氏は黒檀二胡を抱えてきた。大井町にある彼の教室でも販売しているが、生徒用は確か30万程だったと記憶している。紫檀と黒檀、花梨などが多いと聞くが、上海系はやや高音で華やか、北京系は低音だという。賈鵬芳氏は北京より更に北、ジャムスの出身であるから北京系なのだろう。  演目には映画「LOVERS」のメインテーマや伝統曲「賽馬」などがあった。TVでは放映されないという曲があったことも記しておこう(笑) 個人的に「睡蓮」は嬉しかった♪  何曲目かが終った時、メイクさんが賈鵬芳氏の鼻筋にファンデーションを入れ、前髪を軽く櫛で分けた。 「そんなに違う?」  冗談なのか本気なのかいまいち判断しにくい賈鵬芳氏が客席に向かって問いかける。…どう判断すべき(^^;)?  そんなこんなで数曲演奏すると、賈鵬芳氏はお召し替えの為一旦退席。そしてオーディエンスは退場して、席替え。  ライブ会場と同じスタジオで、反対側を遣う。言わば細長いホールの片側をライブで使い、もう片方をトークで使用するのである。  廊下で、それぞれの組毎にプラスティックのカードを引いた。その順番に並び、席に着くのである。  先程と同じ背もたれなし椅子が使用された。…辛い。最前列は更に低い椅子だったが、きっと大変だったことだろうと思う。  観客席は大まかに分けて三個所。司会者とゲストを正面から見る席が一番人数が多い。次に司会者側の後ろ。これは十人に満たない程度だと思われた。そして最後はゲスト側の後ろ。これも十人に満たない程度である。  収録について再び簡単な説明を受ける。  司会者登場の時間になった。ゲスト用の扉ではなく、その脇から現れたのは本上まなみと武田真治である。 「かわい〜!!」  女性らしい黄色い声が飛んだ。一瞬、私も「ああ、可愛いな」と武田真治を見て思ったが、次の瞬間、それが本上まなみに向けられたものだと気づいた(笑) ようやく前列の人の頭の間から本上まなみの実物を見て。「あ、意外に化粧が濃いな」と思った。収録だからそれ用のメイクなのかも知れない。と思ったが、後日放映を見て「やっぱり濃かった」と再認識した(笑)  そして、賈鵬芳氏の再登場。  ゲスト用の扉を押して入って来る。ゲスト用の扉はデジタルの帯がついていて、賈鵬芳氏のピンイン(中国語発音記号兼英語表記)が流れている。  先程とは違うスーツを着用していた。武田真治が長身の賈鵬芳氏に並ぶと、本当に小さく見える。少し緊張気味?に話しかけている。それから、いろんな話が始まった。二胡については勿論、生い立ちやら学校、家族の事から二胡の偉い先生に師事出来るようになった事、その先生に薦められた民族音楽学校に合格しつつも楽団に入った経緯、日本へ渡航するきっかけや来日直後にレストランでアルバイトをしつつ生計を立てていたことなど。  通訳不要な程流暢に日本語を話すことが出来る賈鵬芳氏を不思議に思っていた謎が一気に解けた。  あからさまには語られなかったが、文化大革命のこともちょっと登場した。賈鵬芳氏本人は至って「さらっ」としている。飄々としているというべきかな?  国に居れば、二胡演奏家として何不自由のない暮らしをしていた筈の賈鵬芳氏が日本へ何を求めて来たのか、正直悩むことがあったが、淡々とインタビューを受ける姿に集約されている気がした。もし二胡演奏家になれなかったとしても、彼は多分理科系の研究者にでもなれただろう。語学にも数学にも強く、日曜大工も得意。  蛇足ながら、賈鵬芳氏の教室を見学したことがある。当時、二胡を学ぶ場所を探していたのである。その日、丁度教室と事務局の部屋の間を仕切る扉が壊れていた。賈鵬芳氏はそれを自ら修理していた。教室は生徒入替を兼ねた休憩以外は殆ど休みなしである。教室の合間におにぎりを立ったまま二つばかり急いで食べていた姿を思い出す。その時、私が椅子を使っていたせいかも知れないが、少し無理を重ねているのではとこちらが心配する程だった。  話が少し逸れてしまったようだ。  二胡についての話もあり、なかなか楽しかった。かなり意外な話としては、来日直後の賈鵬芳氏が、中国では有数の演奏家だったにも関わらず、こちらでは無名だったため、レストランで皿洗いのアルバイトを暫くしていたということだった。そして、その間、「辛くなるから」と一切二胡には触れなかったという。  服部克久さんのアルバムに参加したことがきっかけでどんどん売れるようになった賈鵬芳氏だが、やっぱり強運の人であるような気がする。  最後は質問コーナーだった。プロデューサに呼ばれた数人の人が質問を受けて貰えるのだ。透明なプラスティックの椅子に掛けた賈鵬芳氏が天然ボケを発揮しながら答えていく様子は面白かった。真面目な話も冗談も全て淡々と語られる為に、ちょっと悩むシーンがないでもなかったが、苦労を苦労と感じることなく立ち向かっていくのに、これほど気負いを感じない人は少ないのではないだろうか、と本当に思った。  余計な力が体に加わると、良い書は書けないし、その姿勢は持続しない。余計な力を入れずに淡々と全て乗り越えて来ている人だからこそなのかも知れない、とその時思った。  収録が終ると、酷く体が疲れていることに気付いた。スタジオを出ると、もう夕方だった。連れのライブ友達R君と食事をして一緒に帰った。夏らしい空がどこまでも続いていた。